Splitterecho   from Kobe

2021

MAURO & PABLO ヴァイオリンとチェンバロ・ピアノの魅力


海辺の祈り、山上の祈り


音楽は、どのような世界に向けて奏でられるか、どんな時代の空気をふるわせようとするかで、大きく響きを変える。コンサートの冒頭、ヴァイオリニストのマウロ・イウラートさんは言葉少なに「むずかしい時代です」と観客に語りかけました。パンデミックの時代の閉塞感に私たちはもう長いこと閉じ込められていましたが、このコンサートのほんの数日前には、ヨーロッパで新しい戦争がはじまったばかりでした。

ヴィヴァルディの「12のヴァイオリン・ソナタ 第12番 イ短調」のゆったりとしたテンポの導入は世の悲しみを帯びて響かずにはいません。余韻、というよりはむしろすべての演奏を通じてそこに途切れることのないひとつの音が、ひとつの潜在的な音響が持続しているかのようなマウロ氏のヴァイオリン。それはまた、ヘンデルの「ヴァイオリンソナタ ニ長調」のたゆたう旋律のなかで「あれかこれか」ではない音楽として印象づけられました。ひとつの美しい部屋が示されても、また扉が開かれ、次の間、次の間と新しい音楽的空間が無限に開示されるかのよう。コレッリの「ラ・フォリア」では、新たな旋律がその都度初めて生み出されていくような反復としてそれがあらわれ、変奏という音楽形式の本質がみずみずしく示されました。

パブロ・エスカンデさん(チェンバロ、ピアノ)のどこか司祭を思わせるたたずまい。その抑制のきいたピアノが表現するのは安易に情緒に流れない凝縮されたロマンティシズムです。自身の作曲による「ミロンガ・カンペーラ」、その暗い緊張をはらんだリフをバックに展開するのびやかな旋律に立ちあらわれるものは、秘めた情熱、甦る過去。また、対照的なテンポの「ミロンガ・シウダダーナ」。いずれもクラシックのプログラムの中にあって少しも違和感を感じさせず、はるか遠い港町ブエノスアイレスから吹いてくる潮風がコンサート全体に活気を与えているようでした。

繰り返し訪れる美しさをきわめた瞬間。と同時に、この日私たちが体験したのは美しいものに触れれば触れるほど悲しみが滲むという体験でもあったのです。波止場に臨むこのいかにも神戸らしいホールで休憩時間、各々テラスに出て前半のプログラムの余韻に浸りつつ海をながめる。空は晴れわたり波は穏やかで平和そのもの。ところが新たに起こった戦争のしらせに、現実はこの歓喜と正反対の悲しみのただ中にあるのだと、演奏のさなかにもそのもっとも美しい瞬間ごと、かえって強く悲しみを感じずにはいられません。

かつていかなる反戦歌も戦争を止めることはなかった。としても、戦争を忌避する精神を涵養するために音楽を止めてはならないのでしょう。戦争がこの地上からなくなることがないのは誰でも知っています。戦争を必要としている人々さえ数多くいます。しかし芸術に携わる者であれば、戦争が芸術の破壊者の最たるものであることは誰もが知っています。戦争を回避するというもっとも切実な問題に、表現をしつづけるというもっとも迂遠な仕方で当たるしかない、その意味では芸術はやはり祈りに似ています。

マウロ・イウラートさんは今年、六甲山上に野外ステージ「六甲山 森のステージ」を建設しました。美しいその六角形の舞台は、光のもとで風に託して世界に向けて祈るための、あるいは天体の奏でるあの精妙な音楽に応え、宇宙へと楽音を響かせるための祈りの場所であるのでしょう。


11月3日に神戸・中央区文化センターで再びお二人の演奏会「中央区文化センター 定期演奏会 Vol.1“NOSTALGIA LATINA”」が開かれます。→ハルモニア神戸の情報ページ

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藤田佳代研究所 創作実験劇場 不思議な文字と7つのダンス

重ね合わせのダンス


はじめの作品は、急遽追加されたプログラムでした。
タイトルは「届ける――ウクライナへ 過去も未来も国家として在ることを祈ります」。
藤田佳代さんの振付です。
6人の「拍踏衆」の手拍子と足踏みで、黒ずくめのダンサーたちが踊ります。
見る側の気持ちが大いに投影されてのことかもしれませんが――沈鬱な、悲哀のトーンではじまったダンスでした。
それがやがて、赤い鼻緒の下駄を「手に」履いてダイナミックな所作で打ち鳴らしはじめるころからです、これは力強いエールを送り届けようとする踊りなのだと確信されました。
「国家」と呼びかけられているとしても、もちろん戦いの鼓舞などではないでしょう。戦争になれば、どうあっても双方ともが残虐なことをします。
そうではなく、それは生きること、生き残ることへのエールであるようでした。
「届ける」はもともと東日本大震災の犠牲者への追悼のために踊りつづけられた作品ですが、そのダンスが人間の犠牲だけでなく、 地震で、津波で、原発の事故で命を奪われたあらゆる命に捧げられていたように、 今度の作品は戦火に逃げまどう人々、逃げることすらできない弱き人々への、どうか生き延びてほしいという切実な祈り、こころからのエールでした。
そうして遠くの世界の人々に向けて、届くも届かぬもなく、その人々に送るために打ち鳴らされる拍子が、足踏みが、踊りがあるのです。


プログラムは他に7つ。今回は書家の和田彩さんの書の字からそれぞれが一文字ずつを選び、その字をテーマに踊りを作るという趣向でした。
振付家それぞれに、これまでとはすこしちがうイメージの踊りがみられたようで楽しい舞台です。


藤田さんの「雨」はまず導入に意表を突かれました。
しっとりとしたピアノのメロディー――ミハイル・グリンカ――で、向井華奈子さんが、振り返り、振り返り、ためらいながら舞台に歩みでてきます。
この人物は若い女性のようにもみえ、長く人生を生きてきた老人のようにもみえます。
追憶と後悔が、いま彼女の歩みをそんなふうに遅々としたものにするようです。
これまで藤田さんが歴史を踊り、季節の移り変わりを踊ることはあっても、このようにパーソナルな(あるいは私的な?)スケールで人生の時間を描いたことはあまりなかったのではないでしょうか。
とはいえ藤田さんはやはり藤田さんで、決してみる者の想像力を狭めることはなく、おおらかに開かれた意味の地平の上にドラマは展開します。
その女性の周囲を行き交うダンサーたちは彼女の心に去来する思い出でしょうか。
やがて雨が上がったのか――いえ、むしろ雨の糸が金の輝きを帯びて降るようにもみえるのですが、彼女の顔をあたたかな光で――照明家の新田三郎さんの、このアンバーの光がいつも実に美しい――照らしはじめます。

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写真提供:藤田佳代舞踊研究所


金沢景子さんは「観」の字に「観えざるもの 観えるもの」という作品を振付け、自身で踊りました。
客席をあちらへ、こちらへと、何かを探しながら現われます。何を探しているのか、もしかしたら当人にも、何かが「観えて」いないはずだという欠如の感覚、喪失の感覚だけがあるのかもしれません。
そして――この上にあるのかしら?――とうとう舞台に歩み寄りますが、ここで勢い込んで飛び上がるのではなく、躊躇する様子を一瞬みせたようでした。正体はわからなくとも本質的な表現というのは、何か他の瞬間から際立った深い陰影を示すものです。思えばこのときに予感は与えられていました。
とりわけ心を揺さぶられたのは作品のクライマックス、宙に向かって広げられた腕がゆっくりと下ろされていく、それはもちろん舞踊的所作、ひとつの型として表現されるわけですが、ところがそうして下ろされる腕が不意にその舞踊性から逸脱した日常的ともいえる仕種となって腰のあたりを滑り下ります。
決して緊張を失ってしくじったわけではなく、もっとも張りつめた集中と緊張、もっとも舞踊的な瞬間のなかで舞踊性から逸脱するものが表現されたということに、はっとするときめきがありました。
張りつめたしどけなさ、とでも呼びたいその姿態の不思議な魅力の正体が何なのか、それはひとつにはモダンダンスの理念である「自由」の表出という観点から考えられそうですが、その答えはどこをおいても、これからの金沢さんの踊りの中にこそあるのでしょう。今後の作品がますます楽しみです。

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写真提供:藤田佳代舞踊研究所


向井華奈子さん作品にみずみずしく零れたのはユーモアの感覚でした。
「海」の字に振付けられた「海をゆく」という作品。
前回の「創作実験劇場」で向井さんが発表した「掘る人」は、何か掘り出そうというのか、埋めようというのか、地面に穴を掘りつづけるその人は、やはり国法に逆らって兄の墓穴を掘ったアンティゴネーを想起させずにはおかないのですが、ついには自分がその穴に飛び込んでしまうという不思議な作品です。
そうした詩的・思索的テーマの中で懊悩し、桎梏からの解放を求めるように向井さんの肉体が激しく躍動する――この人の作品にはそのようなイメージの作品が多かったように思われます。
それが今度の「海をゆく」ではむしろ無邪気に、向井さんほか平岡愛理さん、田中文菜さんの踊る「宗像三女神」(むなかたさんじょしん)はコッペリウスの館に忍び込んだスワニルダと友人たちのように頼りなく、しかしどこか楽しげにあっちへ流れ、こっちへ流れ、彼女たちが波をつくりだしているようにもみえ、またそうして翻弄される彼女たちの右往左往が波となってこの世に現象するかのようです。
疫病に戦火に、道に迷いつづける私たちに針路を示してほしいという切実な願いを、旅の道を守る三女神の踊りに託した作品ですが、三人のなかでどうもいちばんボンヤリした役どころらしい向井さんの童女のように結った髪型をみるにつけ、もし神々自身がそうしてとまどい、あわてふためく子供たちなら、この世の大騒ぎもむべなるかなと、そんなことを感じさせもします。
深刻な問題意識を重々しく表現するのではなく、やさしく、ほのかにユーモラスな踊りに込めて。
悲哀と混乱に埋没するのとはちがう、それを突き放し、拒むのでもない、ある意味強靭な精神のあり方といえるユーモアの真髄に触れるような作品です。

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写真提供:藤田佳代舞踊研究所


ドラマへの集中と開かれた意味、舞踊的瞬間に現われる日常性、深刻な問題意識とユーモア――いずれの作品も、アイロニカルに二つの意味の両極に引き裂かれるのではなく、その二つの意味が高い緊張のなかで重なり合ってあらわれるという点が深く印象的でした。
藤田さんに師事するダンサーたちおのおのの世界の充実の度が示されています。


プログラムはほかに、振付家の詩的感性が存分に魅力を放った寺井美津子さんの作品「鳥-渡りのとき」。
「贈」の字に自己との対峙を掘り下げた菊本千永さんの「贈りもの-今日」。
プログラムの最後を飾った、かじのり子さんの「遊ぶ」はダンサー総出演の作品で、構成に手腕が発揮されました。
そして昨年11月に同じホールで公演を開催したダンスグループ自灯明。七人のメンバーが「空・めぐる」を踊り、若手ダンサーたちの成長を強く印象づけました。


藤田佳代舞踊研究所モダンダンス公演 創作実験劇場「不思議な文字と7つのダンス」は2022年3月12日、神戸ファッション美術館オルビスホールで開催された。
照明:新田三郎/舞台監督:長島充伸/音響:新田登/衣装:工房かさご、山下由紀子、藤田啓子/写真;中野良彦/舞台美術:アトリエTETSU
今後の公演予定 2022年8月28日(日)ダンスブーケ(本部スタジオ予定)/10月15日(土)第45回藤田佳代舞踊研究所発表会(神戸文化大ホール)/11月26日(土)向井華奈子ダンスリサイタルⅢ(オルビスホール)/2023年3月18日(土)創作実験劇場(オルビスホール)
藤田佳代舞踊研究所ホームページ http://www2s.biglobe.ne.jp/~fkmds/index.htm


Cahier
船川翔司 個展「Hey、_ 」

渚にて

船川作品のスケールの大きさ――それは必ずしも作品のサイズやインスタレーションの規模のことではない。個々のオブジェを、あるいは作品の前に立つ私たちを一種の寛容さで包み込む、そういうスケールの。


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3つのスペースに展示された《挨拶》(=Hey)/《無人島》/《風穴》をモチーフとした作品群。
普段映画館としても使われる地下の会場では、ポリエチレンシートに投影された波の映像、音、そして風を体験することになる。忘れられたロビンソンとして、そしてまた私たちも、うねる波濤の響きの背後に都市の喧騒を忘れつつ、懐かしい無為へと浸る――とはいえどこかで、次の瞬間には大波の不意打ちを食らうのではないかという予感と緊張を抱きながら。
やがて《風穴》の出口に熱の光の灯る夜が訪れる。ときおりプラズマの放電が神経質に闇を引掻く。そしてあの決定的な時間――打ち上げられた漁網とみえた光ファイバーにいま世界の背後からでもない、天上からの光明でもない、この地上の物質の内側からにじみ出るような光がほの光る中間休止の時――《凪》の時間にいつのまにか自分がそっと置かれているのをみいだす。
13世紀後半から14世紀初頭に生きたスコラ学者、ドゥンス・スコトゥスの哲学概念が作家に霊感をもたらした。「このもの性」と呼ばれるその概念は、個物を個物たらしめる固有の性質をいうらしい。すると道端で拾った何でもない石が宝石の輝きを帯びはじめる。この石はこの石しかない――。スコトゥスの言葉に触れ、作家には世界の見え方が一変した。
ただしその石は孤絶した物とはちがう。これはただ個物のみがあって普遍的なものが存在しないという話ではない。
「結局、唯一の存在論、すなわち、存在に唯一の声を与えるドゥンス・スコトゥスの存在論しかなかったのである」――20世紀の哲学者ジル・ドゥルーズは書いた。
スコトゥス、ドゥルーズ、そしてスピノザにおいて、あらゆる個物は、ある普遍的な一者に浸透され、内部から支えられている。


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地下の別の展示室では、ガラスケースのなかに石や砂や骨そしてガラス玉やプラスチック製品のかけらが散りばめられ、ひとつの単調な歌が繰り返されている。
「わたしとあなたは同じ、あなたとわたしは同じ……」
これは、その一義的な存在において「わたしとあなた」の区別が存在しないことを歌うのだろうか?
ところで面白いのは、いまみた通り、どの展示空間でも自然物と人工物が露骨にないまぜにされていることで、何より区別が失効しているのは、まずこの両者においてといえる。1階の開放的な展示室の鉢植えの植物群にしろ、リアルタイムの気象データと連動した照明と映像作品にしろ、ここで目指されているのが自然の「再現」などではないのは明らかなこと。いったい誰が、奇妙なスピーカー付きのガラスケースに入れられた石や貝に、ありのままの「自然」をみるだろう?
私たちはうっかり船川の作品に、みもしなかった「自然」を感じたなどと口にしてしまいそうになるが、これは、真正の自然的(本性的)なもの/二次的な人工物という、経験・認識の枠組みを無効にする作家の方法だろう。そこでは人工から区別される自然が存在しない。すると年来の反目し合う恋人を失い、結局、人工物の方も消失する。
これはあの存在の一義性の比喩ととれるだろうか。それにしてもそれがどこまでも比喩にとどまらざるを得ないのは、その一者なるものがそもそも経験の外部の出来事だからにほかならない。わたしとあなたは同じ――としても、その同じであることは決してわたしにもあなたにも経験されることはない。宥和はある、ただ、それは私たちのためではない。
個々の作品の結びつきはゆるやかに、しかしすべてがそのような一者との関係をはかりつつ配置されているということに、おそらくこの作品展の特異なスケール感の理由がある。経験の孤島の彼方、見渡す限りの大洋に――有機的な自然ではない、無情な物理法則ともちがう、悲しいかな慈悲に満ちた神でもない――そのような一者の蜃気楼を幻視しつつ、船川は品々をひとつひとつ砂浜に置いていく。
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ドゥルーズの引用は『差異と反復』(財津理 訳)から。


船川翔司個展「Hey,_ 」は神戸・新開地の神戸アートビレッジセンターで2022年2月19日~3月13日の会期で開催。30代~40代の作家を対象とした同センターの公募プログラム「ART LEAP」の2022年度の選出企画。
神戸アートビレッジセンターの展覧会の詳細ページ https://www.kavc.or.jp/events/8581/

Cahier
貞松・浜田バレエ団「ドン・キホーテ」

永遠への参照

貞松・浜田バレエ団による「ドン・キホーテ」全幕が2020年10月11日、あましんアルカイックホールで上演された。
キトリを上山榛名、バジルを水城卓哉が踊った。二人は2019年に上演された「ロミオとジュリエット」「くるみ割り人形」でも、息の合ったダンスで気品にみちた舞台を作り上げたペア。
キトリというキャラクターに求められるあでやかさが、上山の持ち味であるしっとりとした優雅さを通して踊られるとき、何も真っ向から「日本的な」というようなものを目指すのではないとしても、おのずとそうした風合いが立ちあらわれるよう。ヨーロッパ的なものへの憧れからつくられる舞台というよりは、ヨーロッパに発しロシアが大きく発展させたクラシック・バレエの数百年の歴史に日本のダンサーとカンパニーがいま確かに新しいものを付け加え、またバレエの魂にエネルギーを還流させる、そんな時代を迎えているのを肌で感じさせられる。


プティパ/ゴルスキー振付のバレエ「ドン・キホーテ」はセルバンテスの『ドン・キホーテ』の一挿話によっている。
金持ちのガマーシュ(カマーチョ)との結婚を強いられるキトリ(キテーリア)。そのことで苦悩する恋人バジル(バシーリオ)。バジルは人々の前で狂言自殺を演じてみせ、とうとうキトリとの結婚を認めさせる。
騎士道小説の幻想を生きるドン・キホーテは、従士として従えるサンチョ・パンサとともにそんな二人の事件にたまたま居合わせる。
それでも小説ではまだしも、ドン・キホーテはバジルの自殺が芝居と明かされたあと、この夢想の人としては意外なほどの説得力をもってガマーシュ一党を説き伏せ、ことを丸く収めるという役割を担う。
バレエ作品の方でも、キトリの父親に結婚を認めさせはするが、舞踊的表現としては、説得というよりは武器を突きつけての威圧、ほとんど発作的な義憤に駆られた狂人としか映らず、本来複雑なキャラクターであるドン・キホーテである必然性というのはないに等しい。
キトリに「思い姫」ドゥルシネーアの幻影をみて多少場をかき乱すことはあっても、話の本筋に何ら影響を与えることはなく、悪しき巨人と思い込み風車に突進していくあの有名な場面がとってつけたように挿入されたりもするけれど、ある意味バレエ「ドン・キホーテ」にはドン・キホーテはいてもいなくてもいい存在である。


しかし、こんなことをなぜわざわざ取り上げて言う必要があるのか。
ドン・キホーテの扱いがどうであるということにそもそも大した意味なんてない。飜案作品ということだ。セルバンテスの物語の枠組をかりて楽しい踊りの世界を作り上げてみせる。それ以外に何の申し開きが必要だというのか……
いや、事態は逆だったのだ。
卓越した舞台は作者の思惑を超えて新しい意味を作品に付け加える。
あるいは結局同じことだが、潜在的に秘められていた可能性を最大限に、創造的に展開させる。
飾り物であっても誰も文句をつけないはずの人物ドン・キホーテの構造的な意味が、この貞松・浜田バレエ団の舞台においてはくっきりと浮き彫りにされ、作品そのものの射程をさらに遠くへと運んでいたのだった。


第一幕のいいようのないすばらしさ。
まぶしい陽光の降りそそぐバルセロナの街の広場で陽気に踊る男女。
やがてワインレッドと黒のコントラストの美しい衣装に身を包んでキトリが登場する。高く宙に蹴り上げられる脚。つづいて登場するバジルの粋で力強い踊り。
キトリの父ロレンツォは二人の恋愛に反対だが、友人たちは父親の目を引きつけて恋人たちのお膳立てをする。
ミハイル・バフチンがそのカーニバル文学論でいうように、セルバンテスの『ドン・キホーテ』を「もっともカーニバル的な小説の一つ」と規定できるのかどうか、また、本当にヨーロッパ中世の人々が「カーニバル的世界感覚」を生きていたのかどうかはわからない。
しかしカーニバル劇というものが「全民衆性のシンボル」としての〈広場〉を舞台とし、そこでは「人間同士のあらゆる距離も取り払われ、カーニバル特有のカテゴリーである、自由で無遠慮な人間同士の接触が力を得ることになる」という、そんなあり得たかもしれない〈広場〉、宥和的な〈広場〉の理念というものを、バレエ作品の「ドン・キホーテ」の方こそが確かに実現しているようだ。


すべてが陽気で、この明るい陽ざしは決して陰ることがない。一日はいつまでも暮れず、ここではこの時間が永遠に続いているのではないかと感じられる。
やがて日が傾き夕暮れ時を迎えるとすれば、それはその時刻が来たからというより、他でもない、いまここにかの「憂い顔の騎士」が現われたからである。ドン・キホーテこそがいまはじめて、この街角に夜をもたらすのであり、とりもなおさずそれは、この永遠の午後が物語に化肉したということである。
もしこの主従が現われないなら、誰に物語られることもない自己完結的な永遠の踊りがそこでつづいていた、という話ではもちろんない。これが舞台上で繰り広げられるひとつの虚構、ひとつの幻想だということは口にするのも野暮だ。
永遠が自己を犠牲にして物語と化すことでわたしたちの情動に訴える存在となり、この苦痛に満ちた現実からひとときわたしたちを救ってくれる、そんな比喩をもてあそんでみるのも楽しいことだが、しかし実際の認識の順序は逆で、いつまでもつづくかのような祝祭が不意に断ち切られたことによって、むしろその祝祭の永遠性のイメージがもたらされる。
冒頭の永遠性のパートが主従の登場によって有限の物語のパートに切り替わったという話ではない。ドン・キホーテの登場により呼び込まれた切断の、その甘くうずく傷口がわたしたちを永遠性の想念へと駆り立てる。


その切断を「傷」たらしめていたのは、この日の冒頭の一連のダンスの完全さにほかならない。
そしてその完全性の鍵は、正木志保、竹中優花らプリマとして踊る実力をもったソリストたち(正木は2002年の同バレエ団の「ドン・キホーテ」で高岸直樹のバジルと共にキトリを踊った)であり、また舞台上のすべてのダンサーたちが、そのときどきの中心的な踊り手たちへの視線の集中を阻害しない限りでの、最大限かつ必然的な生き生きとした仕草をみせる、集中的かつ発散的な舞台構成の妙である。


感動という観点からストーリー、あるいはプロットというものを取り上げてもほとんど問題にならない。すでに紹介した通りそれは単純な恋物語、ありふれた喜劇にほかならない。
だがそのことは何ら感動の妨げにならない。
それはドン・キホーテの通過によって切り取られた永遠の一部なのである。バルセロナの街角の永遠の祝祭の、「ジプシー」たちの永遠の悲哀の。
あたかもその物語が永遠から生成したものとしてそこに示されたこと――つかの間そこに結晶した物語を通して永遠性という不可能な経験を透かしみせてくれたこと――それが美の核心だった。
そしてその永遠性と物語のはざまにあってその後者を発動させるのがほかならぬドン・キホーテであり、これは付け足しどころではない。


いま彼が通り過ぎたことで、わずかなひとときの、しかし忘れ得ぬ悦びを与えてくれた物語はふたたび手の届かぬ領域へとかき消える。
だが、またもや熱に浮かされたように、次の旅、次の冒険へとさまよい歩いていくこの狂気の騎士の姿に胸が熱くなるのは、そうしてどこかたどり着いた先で、その魔法の槍で、また永遠を物語に変えてくれることを知っているからである。


バフチンの引用は『ドストエフスキーの詩学』(望月哲男、鈴木淳一 訳)から。


貞松・浜田バレエ団「ドン・キホーテ」全幕は2020年10月10日、あましんアルカイックホールで上演された。上記キトリ、バジルの他、ドン・キホーテ:岩本正治(劇団伽羅倶梨)/サンチョ・パンサ:秋定信哉(SMBS秋定・渡部バレエスタジオ)/ピッキリア:尾﨑理沙/ジュアニッタ:宮本萌/ロレンツォ:芦内雄二郎/エスパーダ:武藤天華/ジプシーの女:佐々木優希/ドゥリアーダの女王:井上ひなた/キューピッド:清田奈保/ヴァリアシオン:山口益加、廣岡奈美
再演出:ニコライ・フョードロフ/新演出・芸術監督:貞松正一郎/総監督:堤悠輔/演出:貞松融、浜田蓉子

榎忠展 祭りの日には大砲を鳴らせ!


炸裂する記憶


「シュプリッターエコー」紙では20年近く前、榎忠さんにインタビューをさせていただいたことがあります。そのときも「大砲」の作品についてお話をうかがいました。

「火薬じゃなくてカーバイドで発射する大砲。会場に持ってきてもらった物をデュシャン風の粉砕機で砕いてパラフィンの弾にパックして、撃って粉々にする展覧会をやった。評判になってテレビ番組に呼ばれたけど、生放送で弾に詰めた絵の具を壁にぶちつける予定だったのが、威力が強すぎて壁を突き抜けてしもてな。そのとき大砲使ういうから大阪の保安課の刑事が二人来とった。えらいこっちゃいうて隠したけど、番組終わって近づいてきて「何撃ったんや」言われて「紙撃った」言うて「ほんならその紙みしてみ」「いや、もう紙ほかしてもた」「そんなはずない」しょうがなく撃ち抜いたベニヤの壁見せたら「殺傷力あるな」。それからやん、兵庫県警が調べだした。ちょうど浅間山荘事件(1972年)があった頃や。毎晩5、6人に張り込まれて、あるときとうとう踏み込まれた……」

榎さんの代表作のひとつ「LSDF(大砲)」。
「祭りの日には大砲を鳴らせ!」と題された今度のcity gallery 2320(神戸市長田区)での作品展(2021年6/12〜29)はその大砲作品を軸に、エノチュウさんのこれまでの作品を振り返る展示となっています。
ターポリンと呼ばれる生地素材に大きくプリントされた大砲や銃の作品の写真の美しさが目を引きます。
そして70年代から2001年までの作品の、展示や制作過程をスタイリッシュにまとめた20枚以上のパネル、これはデザイナーの谷口新さんによるもの。
上映されているビデオは大砲作品の「発砲」パフォーマンスの記録映像です。
それから、展示室の真ん中に据えられた巨大な実物の砲弾、鋳鉄製のマシンガン作品。

強い政治的なメッセージとも受け取れる銃や大砲、また「薬莢」の作品ですが、制作のもっとも奥深い動機は、形態美への偏執的な愛、そして幼年時代の体験にあるようです。
生まれ育った香川県の自宅は自衛隊(警察予備隊)の演習場のすぐそば、小学校の頃から演習場に忍び込んでは銃弾や迫撃砲弾を拾い、鍋で溶かして売って小遣い稼ぎをしていたといいます。
そして、上にご紹介したインタビューでも、こう語っていらっしゃいます。

「反戦とか戦争賛美とかそういうことじゃない。武器というのは生き物の進化と同じで、相手に負けないようどんどん洗練されていく。そのなかで理にかなった美が生まれる。僕はそういう形態美にぞくぞくする。」

’94年の作品展「GUILLOTINE1250」では、ギロチンシャーという機械で切断され、その切断の圧力によってよじれた鉄材がJRの高架下の会場に並べられました。ところが作品展の直後に阪神・淡路大震災が発生、街じゅうに同じような姿をみせる瓦礫の鉄材があふれ、榎さん自身そのことにとても驚いたといいます。
そして2000年から取り組んでいたマシンガン作品の展示中にはニューヨークの9.11テロ事件が起こりました。その後頻繁に、榎さんの作るAK銃を持つアルカイダ兵たちがテレビに映し出されることになり、またAK銃を積み重ねた榎さんの作品そのもののような写真もメディアに流れ、それが榎さんがマシンガンシリーズの制作をやめるひとつのきっかけになりました。
そうした時代との感応、予言性というものも、榎さんが真性の作家であることを物語る事柄といえるのでしょう。

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今回のcity gallery 2320での展覧会が実現したのは、ひとつには去年、神戸市西区からcity gallery 2320のすぐ近くにアトリエを移転したということがあります。
移転の直前にはその「ATELIER L・S・D・F」で池内美絵さんと4日間だけの展覧会を開きました。このときもこれまでの制作活動を振り返るような内容の展示で、青年時代の貴重な絵画作品や、伝説となっているパフォーマンス作品「BAR ROSE CHU」(1979年)のマダム「ローズチュウ」のコスチューム一式(シリコン製のオッパイも)などをみることができました。
林の奥の、まさに秘密基地のような雰囲気のアトリエでした。
引っ越しの整理の中で2002年の京都精華大学での展覧会「榎忠展 MADE IN KOBE L・S・D・F」のために作られたパネルが見つけ出され、これを中心にどうかと、今回の展覧会が実現したそうです。

榎さんの作品は、マシンガンや大砲のように、いまでは各地の美術館に収蔵されもし、形として残るものがあれば、数々の「ハプニング」――パフォーマンスや、住宅造成地で岩盤まで穴を掘り進めた作品など、記録や記憶としてしか残らないものが数多くあります。それがこうした展覧会の大きな意義であることはまちがいありません。
それにしても、過去の刺激的な作品の記録をみるにつけ、また榎さんの次の作品をみたいという期待が高まっていくのを私たちは抑えることができないのです。



「榎忠展 祭りの日には大砲を鳴らせ!」はcity gallery 2320で2021年6月12日から29日の会期で開催されました。
また百島(広島県尾道市)のART BASE MOMOSHIMAでは2020年10月より榎さんの「LSDF 020」展を開催中。「大砲」「マシンガン」「薬莢」が展示されています。いまのところ終了時期は未定。完全予約制。http://artbasemomoshima.jp/exhibition/lsdf020.html


パネル展示をみていて今さらながら思い当たったのは、2003年の兵庫県立美術館の展覧会でも400丁という大変な点数を展示したこのマシンガン、榎さんの制作した鋳型に溶けた鉄を流し込んで作るのですから、溶解炉の設備が必要です。榎さんが相談を持ちかけて協力を得た工場は、正規の業務というよりは一種のサービスとして時間外に作業をして、制作費の面でもずいぶん助けてくれたといいます。「また、そこの人が、こういう銃みたいなのが好きな人でな」――榎さんの情熱と率直な人柄に引き寄せられ、そしてまた作品の制作に関わることに喜びを感じる、そうした多くの人々との出会いが確かに榎さんのこれまでの作品を支えてきたようです。榎さん自身も会場で繰り返しそのことをお話しになるのです。

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