2019-2014
感性の街
20021 スタジオ・グラニート 銅版画展VI
版画姉妹は過激に美しく
神戸・三宮のトアギャラリーでスタジオ・グラニート(鳥井雅子主催)の「銅版画展VI」が開催されています。会期は3月16日(木)から21日(木)。10人の作家が出展しています。
多彩で個性的な作品が並びますが、そのどれもが、ほかを押しのけて自己を主張するというふうでもなく、むしろ会場全体をみたすふくよかな豊かさに貢献している、そんな印象です。
とはいえ、個々の作家の世界に分け入るなら、その森は深い。
河合美和さんの作品には油彩画と同じく、樹影と思われるかたちがあらわれます。ですが輪郭線を鋭く際立たせる銅版画という技法で描かれると、油彩作品でこちらが見落としていたもの、あるいは隠れていたものがみえてくるような楽しさがあります。
河合さんの描く分岐する枝、それは緊張をはらんだ分岐する道でもあるのですが、油彩作品においては、そこをたどる視線と精神をしっかり捉えて離さない、そういう力強さが前面に出ています。それは周囲のエネルギーを集めて押し流す奔流です。
一方で今回の銅版作品では、すべてを集約して押し流すあの重々しくも激しい流れは、いっそう軽やかに、集中するものというよりは発散するものとして表現されています。
いわば枝と枝のあいだにただよう不可思議なエーテル、あれかこれかではなく、あわいの世界の豊かさ。
ひとりの作家の作品に心ひかれるものを感じるとき、私たちはその作家の世界の見え方に惹きつけられているともいえないでしょうか。
であるなら、異なった技法による諸作品という「視差」を手に入れることで、作品をみる者に、作家の目に映る世界がいっそうくっきりと立ち現われてくる、そういう喜びがあるものです。
笹田敬子さんは「memoraphilia」というシリーズの作品を出展しています。笹田さんが一貫して追いつづけている記憶というテーマです。
ここでもまた銅版画という技法の特性と制約のなかであらわになるものがあるようで興味深く思われるのです。
笹田さんの絵画作品のにじむような美しい青、あのあわいの色彩が後景に退き、(ある意味、河合さんとは対照的に)線のイメージが前面に引き出されます。
複雑に折れ曲がり延びていく、かと思うと絡まり合い、高密度の構造をなすかにみえる伸縮自在の線。
どうしても、細胞周期の各段階を通じて凝集し、自らを束ねてはまたほどける染色体の糸に重ねてみたい誘惑にあらがえません。染色体あるいは遺伝子とは、まさに記憶の物質です。タンパク質の配列の形で綿々と受け継がれてゆく、それぞれの種のかたちの記憶。
笹田さんの描く記憶の地平が、この銅版画の小品において一気に無限の奥へと広がるようです。
山本有子さんは、線を用いてむしろ輪郭を破壊するのです。
樹木が、人が、激しい振動にゆさぶられ、もはやそれがそれであるということを失わんばかり、いえ、事態は実際は逆で、樹木ならざる、人ならざる何かを、その目をくらませる振動のうちに、私たちは樹木や人とみなしているだけなのかもしれません。
振動の仕方、残像の作られ方がそのもののかたちをなすのだと、それを知りもしないで。
実在をまぼろし、空とみる見方は私たちになじみの思想ですが、生命といわず、ものというものはおしなべて、そういう、ふるえそのものなのかもしれません。
才村昌子さんはポーの『大鴉』をふまえた「Nevermore」と、それと対になる「Evermore」を発表しています。
といって、これはネガとポジのような、反対の関係にあるペアではありません。
花をモチーフに、濃密な黒が印象的に刷られた前者と、それを決して日の光のもとに差し出すことはせず、冷たい月の光の下にそっと置いたというような、銀のインクで刷られた後者。
同じ絵がこちらは紗幕の向こうに置かれたような、どうしても自分の眼と作品のあいだに何かが差しはさまれ介入しているとしかみえない、錯覚めいた、ある種のもどかしさを味わうことになります。その神秘をみきわめようと目を凝らします。
ここでNevermoreとEvermoreのあいだに生み出されているのは対立ではなく、階調であることは明らかですが、これはむしろ、対象のあいだのそれというより、眼と対象のあいだにあると私たちが知らずみなしている対立、それも非対称の対立の相対化、
眼の専横に対する異議申し立て、そういう特異な体験であるようです。
光と結託した、いえ、光の威を借る視覚への逆説的な反乱、あるいはネグレクト。つまり、ここにポジは存在しない。光への到達を限りなく(evermore)先延ばしにしようとする、ネガの階調だけをみつめる世界。豊饒なネガの濃淡だけが万象を成り立たしめる、
静かに過激な一元的世界です。
ほかに、高朝子さん、杉山知子さん、瀬口郁子さん、福田弥生さんの作品が展示されています。
トアギャラリーの所在地は神戸市北長狭通3-12-13。トアロード沿いです。開廊時間は11:00から19:00まで(最終日の3月21日は16:30まで)。
トアギャラリーのホームページでは作品の写真をみることもできます。
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また、2階の展示室では同じ会期で、やはり版画作品を制作している中村公美さんの個展が開催されています。こちらは銅版画ではなくリトグラフです。
世紀末的な雰囲気の漂う奇怪な人物の顔や鳥らしきものの姿が、大きくとられた余白との張りつめた緊張のうちに描かれています。
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Cahier 10078 遠山敦 おのおのの紋章を掲げよ |
子供の頃、若い母の作っていた帆船のプラモデルを思い出した。コロンブスのサンタ・マリア号だったと思う。
帆に大きく赤い十字架が描かれていた。十字架は十字架でも、赤十字のシンボルのように4本の枝の長さが等しい。
そしてプロペラのように先へ行くにつれて広がっている(末広十字とかクロスパティーと呼ばれるらしい)。
その十字架のもつ何か呪術的な雰囲気が心をとらえ、記憶の層に赤い痣を残した。
遠山敦の作品に呼び起こされた思い出。ギャラリー ヴィー「いつでも、どこでもアート展」(2018年9月4日~24日)でのこと。 |
「無題のシリーズ、鳥と船」 |
サンタ・マリア号の十字架ならそれは信仰心の表明であり、またそれは他の船に向けての、というより、究極的には神に向けての表現、
神の加護を得て、再び無事に港に帰り着けることを願う祈りだろう。
呪術とは、何といっても超越的なものとの交信の手段である。 ところが、遠山敦の作品はどこか事情がちがう。 シンプルな線で描かれた船体のシルエットのデッキの上の方、帆のあるあたりに広がったそれは、あとからそこに据えつけられたものではなく 船の内部から湧き上がったものが形をなしたという趣。甲板に根を張った一本の木が大きく育って枝葉を広げたような。 これは確かに紋章のようにみえるけれど、神のそれではない。自分の内側から生まれ、ただ自分のためだけに描かれた紋章。 |
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そのエンブレムに刻まれたものは何か。他でもない、自己の内部のヴィジョンである。
何か機械仕掛けの仕組みのようにみえるなら、それは永久機関たる魂の内的運動のメカニズムであり、回路のようにみえるなら、身体内部の無限の循環経路。 なぜこんなにも様々な紋章があるのか。至極当然ながら、船がちがうから、様々な船があるから。 土壌や水の質によって葉や花の色合い、枝ぶりが変わるように、個々それぞれの船倉の養分を吸い上げ、ひとつひとつまるで異なる帆が上がることになる。 (上昇と下降のこの一致がひとつの判じ絵として、天上への志向と自己の内部への志向が別の事態ではないことを示している、と言うことはできるのかもしれない。) 懐かしや、十字架に似た紋章が風をはらんでいる。としてもいまこそ十字架、というより、 十字というシンボルの前史への遡上と、その原初的な意味への沈潜が必要だろう。 キリスト教が十字(架)に決定的な意味と物語の厚みをもたらしたのは確かだとしても、 十字それ自体はそのはるか以前から、それこそ○や□などと並んで 普遍的な記号であったこと、その古い記憶を僕らは思い出されなければならない。 4つの方位に向けての発散。もしくは集中。全方位性のシンボルとしての十字。 そして作品をみわたすなら、作家にとって船が宮殿や聖堂、あるいはもっと一般的に、家そのものと同一視されていることがわかる。 すなわち世界。 自己の内にあって外部と照応する、この全世界。 おのおの孤絶した世界たる船の一団が、いまこの港町の沖合をゆっくり航行している。 |
「無題のシリーズ、鳥と船」 |
子供の頃、しばらく寄港していた巨大客船が出港するというときは、窓からいつまでもながめていたものだった。 これは、霧笛の音を聞きながらこの街で暮らしてきた多くの人々の胸の奥底に、一種の原風景として宿る光景だろう。 おのおのの家の窓から、坂の途中から、港を静かに離れていく豪華客船を、巨大コンテナ船を、あるときは地球の裏側への移民団を乗せた船を、ここに住む人々は見送ってきた。 夜の出港であれば、闇そのものの海へ滑りだしていく船体の灯りに、いかにも寄る辺ない孤独を感じつつも、人々は自由の夢を、そのはるかな航路に託してきたのだった。 船影が小さくなっていくのは、いままさに自分の魂が離岸し、遠のいていくからにほかならなかった。 湾岸線越しに波止場のタワーの頭がのぞくこのあたり、ギャラリー ヴィーの壁に並んだ遠山敦の船たち。 その帆に描かれているのは、さまよえるオランダ船の無限の孤独であり、かつ、自分という無限の世界が往くのだという途方もない矜持である。 みよ、絶対の絶望の海原を、絶対の自由に帆をふくらませた船団が往く。 |
2018.9.20 山本貴士 takashi yamamoto |
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KOBECAT 0067 |
2015.3.14 神戸市立灘区民ホール |
マウロ・イウラート&伊藤ルミ デュオコンサート |
――ベートーヴェンの春…蝶の舞い、荘子の夢―― |
■山本 忠勝 |
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「マウロ・イウラート&伊藤ルミ デュオコンサート」は2015年3月14日に神戸市立灘区民ホールで開かれた。 マウロ・イウラートは1977年トリノ(イタリア)生まれのヴァイオリニスト。ウィーン大学の派遣プロジェクトで2003年に来日して徳島文理大学の準教授に就任。以後、アンサンブル神戸で首席コンサートマスターを務め、また大阪フィルハーモニー交響楽団やオーケストラ・アンサンブル金沢などに客員のコンサートマスターとして出演している。愛器コッラ・デッラ・キエーザ(1690年、ジョッフレード・カッパ作)とは運命的にも来日後に遭遇、生涯の伴侶となった。超絶的な演奏には鋭い鬼才の感がある。神戸市在住。 伊藤ルミは神戸市生まれのピアニスト。早熟の才を発揮して18歳でソリストデビュー。ヨーロッパとりわけチェコの音楽界との交流が深く、チェリストのミハル・カニュカ、ヴァイオリニストのフランティシェック・ノボトニーとツアーを定期的に重ねている。すでに円熟の域にあるが、近年はブラームス、ショスターコヴィチ、ベートーヴェンなどの演奏を通じて新たな境域へも踏み出し、なかんずく曲への斬新な解釈がファンの間に新鮮な衝撃を広げている。おおらかで優美な鳩から鋭利で高貴な鷹への変身が進行しているようでもある。ことし秋にはソロリサイタルも開かれる。 ヴァイオリンソナタ「春」に起こった革命は、イウラートのイタリア的なリベルタ(自由)の精神と超絶技巧への深い愛、そして伊藤の神戸的自由と創造の精神の、この二つの融合反応によって生まれたとも解釈できよう。重厚なドイツ的伝統とその呪縛から解かれることで、却ってベートーヴェンの深層が切り開かれたともいえそうだ。 この日のコンサートは、ほかにメンデルスゾーンの「歌の翼に」(アクロン編曲)、イトウユミの「東北に寄す 三つの民謡から」、江藤誠仁右衛門の「種は眠る」、クライスラーの「プレリュードとアレグロ」、タルティーニの「ヴァイオリンソナタト短調 悪魔のトリル」、ジャゾットの「アルビノーニのアダージョ」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」が演奏された。 |
2015.3.21 |
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KOBECAT 0066 |
2014.12.13 神戸新聞松方ホール |
ミハル・カニュカ&伊藤ルミ スーパーデュオ2014 |
――能空間と遇うような…ショスタコーヴィチ「チェロソナタ」―― |
■山本 忠勝 |
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「ミハル・カニュカ&伊藤ルミ スーパーデュオ2014 」は2014年12月13日に神戸新聞松方ホールで開かれた。ミハル・カニュカは1960年プラハ生まれ。チェコきってのチェリスト。音に高い品位と風格がある。伊藤ルミは神戸を拠点に日欧で活躍しているピアニスト。大きな包容力が響きにある。両演奏家のデュオは1997年に始まって、これまでに国内外で14回のツアーを重ねてきた。今回のコンサートでは、上で触れた作品のほかにイトウユミの「モルダウ幻想」も演奏された。 |
2014.12.27 |
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KOBECAT 0065 |
2014.11.29 神戸・東灘区民センター |
菊本千永モダンダンスステージ? |
――死と再生の静かな祭り―― |
■山本 忠勝 |
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「菊本千永モダンダンスステージ?」は2014年11月29日に神戸市東灘区の区民センターうはらホールで開かれた。主催は藤田佳代舞踊研究所。 「PORTRAIT」は出演が、かじのり子、向井華奈子、菊本千永。音楽が細野晴臣。 「流れの中で」は出演が、寺井美津子、金沢景子、向井華奈子、石井麻子、板垣祐三子、灰谷留理子、梁河茜、平岡愛理、田中文菜、菊本千永。音楽がVASKS。 STAFF 芸術監督=藤田佳代、構成・演出・作舞=菊本千永、照明=新田三郎、舞台監督=長島充伸、音響=藤田登、衣装=藤田啓子、工房かさご、向井直子、大道具=アトリエTETSU。 |
2014.12.6 |
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KOBECAT 0064 |
2014.10.5 兵庫県立芸術文化センター |
貞松正一郎のカラボス…「眠れる森の美女」から |
――高貴な悪、無限のダンス―― |
■山本 忠勝 |
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貞松正一郎が老妖精カラボスをつとめた「眠れる森の美女」は2014年10月5日に西宮市の兵庫県立芸術文化センターで貞松・浜田バレエ団によって上演された。キャストはほかに、お城ともども100年の眠りに落ちるオーロラ姫に瀬島五月、眠りの姫を目覚めに導くデジレ王子にアンドリュー・エルフィンストン、姫を守るリラの精に竹中優花、姫の命にさまざまな贈り物を授ける妖精たちに小松原千佳、山口益加、村田絵里子、正木志保、上村未香、姫の婚礼に童話世界からお祝いに駆けつけるキャラクターたちに角洋子、大門智、川崎麻衣、塚本士朗、小田綾香、尾花歩、佐々木優希、武藤天華ら。 STAFF 演出=貞松融・浜田蓉子、振付=貞松正一郎、振付助手=小西康子、構成=長尾良子・小西直美、音楽プランと指揮=江原功、管弦楽=びわ湖の風オーケストラ、バレエマスター=ヤン・ヌイッツ・堤悠輔、照明プラン=柳原常夫・加藤美奈子・ライティングセブン、舞台美術デザイン=湊謙一・日野早苗・日本ステージ、舞台監督=坪崎和司・ステージハンド、衣装スタッフ=堀部富子・松良朋子、プログラム=殿井博。 |
2014.10.30 |
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KOBECAT 0063 |
2014.9.13 神戸文化ホール |
藤井泉のダンス作品「Fashion Nightmare」…貞松・浜田バレエ団公演 |
――モード、または、食人鬼―― |
■山本 忠勝 |
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藤井泉振り付けの「Fashion Nightmare」は2014年9月13日に神戸文化ホールでおこなわれた貞松・浜田バレエ団の秋の公演「創作リサイタル26」の第?部で上演された。今回が初演。音楽はマット&キム、ダヴィ・ベルジェ。 出演は佐々木優希、瀬島五月、廣岡奈美、角洋子、小松原千佳、川崎麻衣、村田絵里子、村上倫子、川村康二、堤悠輔、大門智、尾花歩。 STAFF 衣装=中島佑一、撮影協力=堤悠輔。 |
2014.9.25 |
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