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2019-2014

20021 スタジオ・グラニート 銅版画展VI


版画姉妹は過激に美しく


神戸・三宮のトアギャラリーでスタジオ・グラニート(鳥井雅子主催)の「銅版画展VI」が開催されています。会期は3月16日(木)から21日(木)。10人の作家が出展しています。
多彩で個性的な作品が並びますが、そのどれもが、ほかを押しのけて自己を主張するというふうでもなく、むしろ会場全体をみたすふくよかな豊かさに貢献している、そんな印象です。
とはいえ、個々の作家の世界に分け入るなら、その森は深い。


河合美和さんの作品には油彩画と同じく、樹影と思われるかたちがあらわれます。ですが輪郭線を鋭く際立たせる銅版画という技法で描かれると、油彩作品でこちらが見落としていたもの、あるいは隠れていたものがみえてくるような楽しさがあります。
河合さんの描く分岐する枝、それは緊張をはらんだ分岐する道でもあるのですが、油彩作品においては、そこをたどる視線と精神をしっかり捉えて離さない、そういう力強さが前面に出ています。それは周囲のエネルギーを集めて押し流す奔流です。
一方で今回の銅版作品では、すべてを集約して押し流すあの重々しくも激しい流れは、いっそう軽やかに、集中するものというよりは発散するものとして表現されています。
いわば枝と枝のあいだにただよう不可思議なエーテル、あれかこれかではなく、あわいの世界の豊かさ。
ひとりの作家の作品に心ひかれるものを感じるとき、私たちはその作家の世界の見え方に惹きつけられているともいえないでしょうか。
であるなら、異なった技法による諸作品という「視差」を手に入れることで、作品をみる者に、作家の目に映る世界がいっそうくっきりと立ち現われてくる、そういう喜びがあるものです。


笹田敬子さんは「memoraphilia」というシリーズの作品を出展しています。笹田さんが一貫して追いつづけている記憶というテーマです。
ここでもまた銅版画という技法の特性と制約のなかであらわになるものがあるようで興味深く思われるのです。
笹田さんの絵画作品のにじむような美しい青、あのあわいの色彩が後景に退き、(ある意味、河合さんとは対照的に)線のイメージが前面に引き出されます。
複雑に折れ曲がり延びていく、かと思うと絡まり合い、高密度の構造をなすかにみえる伸縮自在の線。
どうしても、細胞周期の各段階を通じて凝集し、自らを束ねてはまたほどける染色体の糸に重ねてみたい誘惑にあらがえません。染色体あるいは遺伝子とは、まさに記憶の物質です。タンパク質の配列の形で綿々と受け継がれてゆく、それぞれの種のかたちの記憶。
笹田さんの描く記憶の地平が、この銅版画の小品において一気に無限の奥へと広がるようです。


山本有子さんは、線を用いてむしろ輪郭を破壊するのです。
樹木が、人が、激しい振動にゆさぶられ、もはやそれがそれであるということを失わんばかり、いえ、事態は実際は逆で、樹木ならざる、人ならざる何かを、その目をくらませる振動のうちに、私たちは樹木や人とみなしているだけなのかもしれません。 振動の仕方、残像の作られ方がそのもののかたちをなすのだと、それを知りもしないで。
実在をまぼろし、空とみる見方は私たちになじみの思想ですが、生命といわず、ものというものはおしなべて、そういう、ふるえそのものなのかもしれません。


才村昌子さんはポーの『大鴉』をふまえた「Nevermore」と、それと対になる「Evermore」を発表しています。
といって、これはネガとポジのような、反対の関係にあるペアではありません。
花をモチーフに、濃密な黒が印象的に刷られた前者と、それを決して日の光のもとに差し出すことはせず、冷たい月の光の下にそっと置いたというような、銀のインクで刷られた後者。
同じ絵がこちらは紗幕の向こうに置かれたような、どうしても自分の眼と作品のあいだに何かが差しはさまれ介入しているとしかみえない、錯覚めいた、ある種のもどかしさを味わうことになります。その神秘をみきわめようと目を凝らします。
ここでNevermoreとEvermoreのあいだに生み出されているのは対立ではなく、階調であることは明らかですが、これはむしろ、対象のあいだのそれというより、眼と対象のあいだにあると私たちが知らずみなしている対立、それも非対称の対立の相対化、 眼の専横に対する異議申し立て、そういう特異な体験であるようです。
光と結託した、いえ、光の威を借る視覚への逆説的な反乱、あるいはネグレクト。つまり、ここにポジは存在しない。光への到達を限りなく(evermore)先延ばしにしようとする、ネガの階調だけをみつめる世界。豊饒なネガの濃淡だけが万象を成り立たしめる、 静かに過激な一元的世界です。


ほかに、高朝子さん、杉山知子さん、瀬口郁子さん、福田弥生さんの作品が展示されています。
トアギャラリーの所在地は神戸市北長狭通3-12-13。トアロード沿いです。開廊時間は11:00から19:00まで(最終日の3月21日は16:30まで)。
トアギャラリーのホームページでは作品の写真をみることもできます。


また、2階の展示室では同じ会期で、やはり版画作品を制作している中村公美さんの個展が開催されています。こちらは銅版画ではなくリトグラフです。
世紀末的な雰囲気の漂う奇怪な人物の顔や鳥らしきものの姿が、大きくとられた余白との張りつめた緊張のうちに描かれています。



20020 「木下昭夫+中村誠」展、宮崎みよしさん、モトコー

線の追跡者




鑑賞者にとっては作品、ですが作家にとっては作品という以上に行為であるということをつくづく感じます。
興味深いのは木下昭夫さんの「とめどき」のお話。
「難しいんですわ、とめどきが」
つまりどこで絵筆を置くかという問題。どこで良しとすべきなのか。
ある作品を指して、
「これぐらい(でとめるの)が調度良いんかなと思ったりするんやけど」
壁に床に、スピード感のある線の錯綜する作品が並んでいますが、確かに示された一枚よりも線が密な作品、またそれよりもずっと疎な作品と、さまざまです。
僕はこの作品がとても印象的で、と密な方の一枚を指差すと、
「マァこれは相当、具象的やからね」
必ずしも出来ばえに満足していないのかしら、という様子。
「かなり短いスパンで、ぼくはとめどきが変わるんやね」
そして今回はPocket美術函モトコーの「1+1≠2 シリーズ」ということで、中村誠さんとの二人展です。
「この人(中村さん)の作品が好きで、それで今回一緒にすることにしたんですよ」
そう言って改めて中村さんの作品に見入り、
「この人は、とめどきがいつも同じなんやね」と。

photo-kinoshita.jpg
木下昭夫さんの作品
いったい、画家の絵筆をそこでとめるものは何でしょう。
意志の力、明晰な意識、そういうものでしょうか。
そうだとしても、意志は不明瞭な感覚の声を聞いてそうするのです。
鑑賞者として、仕上がりについて自分の好みを言うことはできます。しかし率直に言って作家自身の、これで良し/止しという感覚には想像が及びません。
他人の考えていることは分からない、とはよく言われます。ただ、往々にしてそれは「どのパターンかわからない」という話ではないでしょうか。つまり選択の問題。 観念は有限であるとひとまず言っておきます。分かるときは分かりすぎるぐらい分かるものです。
「とめどき」の問題にしても、もしこれが明晰な意識、あるいは観念の領分でのことなら案外分かる話ではないかと思うのです。
それに比べ、身体-感覚の水準で起こる出来事をめぐる僕らの不案内さというのは。
意識が身体の状態から深刻に影響を受けるのはもちろんとして、他でもない、言葉によって固定される観念は感覚よりも「安定した」能力です。 それだからこそ検査台に載せられては、これまでさんざんに検証されてきました。
対して、僕らが所有している(はずの)この身体という領土の踏査は、ほとんどまだ始まったばかりです。 作家ひとりひとりの世界、といいます。しかし美術作家たちの世界とは、観念的世界ではなく、第一に身体-行為的現象であるということ。 彼ら作家は、またひとりの身体の探索者であるということ。木下さんの作品が思考をかきたてます。

さて、木下さんがいま厳しく具象性を避けるようなのは、おそらく線しか描かないため、ただ線だけを描くためなのでしょう。
線で何かが描けることがすごいのか、それとも、線を描けるそのことがすごいのか。
作家が後者に驚異を感じているのは疑いありません。そして思うような線が描けないことが、またスゴイのでしょう。
線、この続くもの―――平面という空間を持続するもの――― 絵画表現のアトム・・・原子論者デモクリトスはこう言っても「笑って」くれることでしょう、絵画にとってのアトム=原子は点ではなく線です。
しかし作家自身にとって、線とは何より、継起するもの、彼の描く行為によって、いま、次から次とそこに生まれるものです。
僕ら鑑賞者が目にするのはいつも痕跡です。太古の壁画だろうと、きのう描かれた絵だろうとそれは同じです。 それでも、それはかつて画家の筆の下で産声を上げた存在でした。 そのとき次々と生まれ、美をたたえる讃歌の産声を一瞬間上げて、はかなくも化石となり、その堆積を画布の上に残したもの。
線の本質とは、では、その「いま」のうちにあるものでしょうか。
木下さんの試みは、絵画のアトムたる線に肉薄することで、絵画の始源を「いま」に体験することでしょうか。 僕らが忘れてしまった、子供が初めて鉛筆で線を引いた驚きや喜びをこの現在に取り返す、たとえばそういう。
いえ、それでは不十分です。もっと、厳密に。

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中村誠さんの作品

作家がそのとき求めていたのは、現在ではなく、時間のもうひとつの相、未来であったはずです。
たとえそうみえたとしても、過去や、想像的な始源や幼年期といったものを現在に呼び出すことが本質的な問題ではありません。
そこで追求されていたのは、未来の表現、未来の線です。
キルケゴールは想起と反復は違う、時間の方向が逆だといいます。
想起は過去の方向へ、反復は未来の方向へ。
画家はできることなら未来の線を描きたい。
理由は明白で、過去に満足できる線がなかったからです。
これまでに描くことのできなかった、あるいはもしかしたらどんな偉大な画家によっても描かれることのなかった満足のいく線を引きたい、その声が彼に絵筆を走らせるのです。

それなのに、です。
ひとつの宿命が、いつも彼につきまといます。
復讐の女神エリュニスたちのように、それはどこまでも彼を追いかけてくる宿命です。
彼が線を引くたびに襲いかかる、残酷な出来事。
生まれるそばから線が彼を追い抜いていくのです。
未来を描いていると思ったら、すでに過去を描いている。
またしても同じ過去の線を、同じ線を―――
反復とはほど遠い、気の狂いかねない繰り返しです。
それだから、スピードが必要なのです。線よりも、もっと速い。
何かを描くことに奉仕する線など、彼は用がありません。線で描くのではなく、線そのものを描く。線でだけあるような線を。
「とめどき」というのは、線が形象を獲得せず、線以外のものを表現しない、かつ、線がまったき線自体として表現される地点の謂いでしょう。 そして「とめどきが変わる」というのは線が動くからに他なりません。
線の追跡者。
画家はいまは不本意ながら追う者の地位に甘んじている、としても、いつか線を追い抜き、反復の線の創造者となることを夢見ているのです。
線にとっては執拗な追跡者、恐るべき狩人です。いまや画家が、線の宿命になるのです。

さて、ギャラリーに併設されているカフェのカウンターの後ろに埋もれるように小さく座っているのは、 モトコー(元町高架下)のアートモンスターこと宮崎みよしさん(プラネットEartH主催)です。 今日も今日とて若者の元気のなさを嘆いておられますが、若者に言わせれば多分、宮崎さんが元気すぎるんですよ。
岡之山美術館(西脇市)に展示された宮崎さんの近作の写真(「アトリエの夢――かじ・おっと・みよし」展)を みせていただきました。
ああ、行ってみたかったなぁ!と思わず声の出る作品でした。
ダンボールを素材に、そこに無性に身を置きたくなるような、モダンともノスタルジックともつかない不思議なパノラマが展開されています。
ちょっと「和」も入った感じですね。
「そうそう、歳とったからかな」
いえいえ!

JRが進めている高架の改修の件。
高架下の店舗は立ち退きを要請されていると聞きます。いかがですか、と宮崎さんに訊いてみました。
「2年ぐらいは大丈夫なんちゃうかなと思ってる」と、交渉の状況を踏まえてお話しになりつつも、 あかんようになったらまたそこからやという穏やかな頼もしさを感じさせる口調に、何となく感動してしまいます。
震災を乗り越えてきた神戸の美術家たちの胸にはいつも、そういう静かな、しかしたやすくは消えない希望の灯がともっているようです。

最後に、木下昭夫さんが会場に資料として置いていらっしゃった、 二紀会の記念誌だったと思いますが、そこに出ていた写真です。中西勝さんの外遊からの帰国を祝う会の一コマだそうです。

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左から、西村功さん、木下昭夫さん、鴨居玲さん。
いや、おそろしい写真だなぁ、と……
「木下昭夫+中村誠」展はプラネットEartH内Pocket美術函モトコー(http://プラネットearth.jp/index.html)で2018年9月17日から9月24日までの会期で展示されました。 神戸新聞NEXTの記事(https://www.kobe-np.co.jp/news/hokuban/201801/0010885865.shtml)で岡之山美術館で展示された宮崎みよしさんの作品をご覧いただけます。 元町高架下商店街の立ち退き要請については「モトコーを守る会」ホームページ(http://kobe-motoko.com)で経緯を詳しくお読みいただけます。
2018.10.16 山本 貴士
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Cahier

 10078 遠山敦    おのおのの紋章を掲げよ
子供の頃、若い母の作っていた帆船のプラモデルを思い出した。コロンブスのサンタ・マリア号だったと思う。 帆に大きく赤い十字架が描かれていた。十字架は十字架でも、赤十字のシンボルのように4本の枝の長さが等しい。 そしてプロペラのように先へ行くにつれて広がっている(末広十字とかクロスパティーと呼ばれるらしい)。 その十字架のもつ何か呪術的な雰囲気が心をとらえ、記憶の層に赤い痣を残した。 遠山敦の作品に呼び起こされた思い出。ギャラリー ヴィー「いつでも、どこでもアート展」(2018年9月4日~24日)でのこと。
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「無題のシリーズ、鳥と船」
サンタ・マリア号の十字架ならそれは信仰心の表明であり、またそれは他の船に向けての、というより、究極的には神に向けての表現、 神の加護を得て、再び無事に港に帰り着けることを願う祈りだろう。 呪術とは、何といっても超越的なものとの交信の手段である。

ところが、遠山敦の作品はどこか事情がちがう。 シンプルな線で描かれた船体のシルエットのデッキの上の方、帆のあるあたりに広がったそれは、あとからそこに据えつけられたものではなく 船の内部から湧き上がったものが形をなしたという趣。甲板に根を張った一本の木が大きく育って枝葉を広げたような。
これは確かに紋章のようにみえるけれど、神のそれではない。自分の内側から生まれ、ただ自分のためだけに描かれた紋章。
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そのエンブレムに刻まれたものは何か。他でもない、自己の内部のヴィジョンである。 何か機械仕掛けの仕組みのようにみえるなら、それは永久機関たる魂の内的運動のメカニズムであり、回路のようにみえるなら、身体内部の無限の循環経路。

なぜこんなにも様々な紋章があるのか。至極当然ながら、船がちがうから、様々な船があるから。 土壌や水の質によって葉や花の色合い、枝ぶりが変わるように、個々それぞれの船倉の養分を吸い上げ、ひとつひとつまるで異なる帆が上がることになる。 (上昇と下降のこの一致がひとつの判じ絵として、天上への志向と自己の内部への志向が別の事態ではないことを示している、と言うことはできるのかもしれない。)

懐かしや、十字架に似た紋章が風をはらんでいる。としてもいまこそ十字架、というより、 十字というシンボルの前史への遡上と、その原初的な意味への沈潜が必要だろう。 キリスト教が十字(架)に決定的な意味と物語の厚みをもたらしたのは確かだとしても、 十字それ自体はそのはるか以前から、それこそなどと並んで 普遍的な記号であったこと、その古い記憶を僕らは思い出されなければならない。
4つの方位に向けての発散。もしくは集中。全方位性のシンボルとしての十字。

そして作品をみわたすなら、作家にとって船が宮殿や聖堂、あるいはもっと一般的に、家そのものと同一視されていることがわかる。 すなわち世界。
自己の内にあって外部と照応する、この全世界。
おのおの孤絶した世界たる船の一団が、いまこの港町の沖合をゆっくり航行している。
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「無題のシリーズ、鳥と船」
子供の頃、しばらく寄港していた巨大客船が出港するというときは、窓からいつまでもながめていたものだった。
これは、霧笛の音を聞きながらこの街で暮らしてきた多くの人々の胸の奥底に、一種の原風景として宿る光景だろう。 おのおのの家の窓から、坂の途中から、港を静かに離れていく豪華客船を、巨大コンテナ船を、あるときは地球の裏側への移民団を乗せた船を、ここに住む人々は見送ってきた。 夜の出港であれば、闇そのものの海へ滑りだしていく船体の灯りに、いかにも寄る辺ない孤独を感じつつも、人々は自由の夢を、そのはるかな航路に託してきたのだった。 船影が小さくなっていくのは、いままさに自分の魂が離岸し、遠のいていくからにほかならなかった。

湾岸線越しに波止場のタワーの頭がのぞくこのあたり、ギャラリー ヴィーの壁に並んだ遠山敦の船たち。 その帆に描かれているのは、さまよえるオランダ船の無限の孤独であり、かつ、自分という無限の世界が往くのだという途方もない矜持である。
みよ、絶対の絶望の海原を、絶対の自由に帆をふくらませた船団が往く。
  2018.9.20 山本貴士 takashi yamamoto


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20019 シンポジウム「市民の潜在力が社会を拓く アート志縁の現場から」

市民の顔をしたシステム


シンポジウム「市民の潜在力が社会を拓く アート志縁の現場から」が7月8日、デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO/キイト)で開催されました。

「神戸文化支援基金」のあり方をめぐり、また、神戸・兵庫の芸術・文化状況をいかに改善し得るか、というテーマをめぐって発表と議論がおこなわれました。

神戸文化支援基金は、若手の芸術文化活動への助成をその主要な活動としてきました。25年前、公益信託 亀井純子文化基金として始まり、以来、市民の寄付により継続しています。2011年には多くの法制上の困難を乗り越えて公益財団法人となりました。

パネリストの一人、神戸文化支援基金の理事長 島田誠さんは、自身の活動を振り返りながら、亀井純子さんをはじめ、「奇蹟」ともいえる縁で結びつくことになったいく人もの人々から、その都度、並みひととおりではない思いとお金を図らずも託されてしまったこと、その重い責任について語りました。

また発言のなかで印象的だったのは、運営サイドの役割を非常に限定的に考えていることです。「私たちが社会をリードしていく力があるわけではない」と島田氏ははっきり言います。自分たちが行うのは助成の審査であり、ただその審査という行為において現状の打開を目指すのだと。

実際、審査を通ったあとに、作品の内容について選考委員会が干渉することはありません(この自由さの保証というのは、作家たちにとって助成金そのものと同じぐらい有り難く、重要なものです)。
声高に社会変革の理想を叫んで、逆にそれが自身や作家たちを縛る事態を周到に避け、審査と経済的支援という具体的なアクションを起こしつづけること。 これは基金の活動以前から神戸・元町の街づくり運動をはじめ様々の活動において、むしろ泥にまみれて闘ってきたという実感、経験から出る言葉かもしれず、またおそらく、基金そのものの存続のため――意識的にせよ直観的にせよ――選択された戦略なのでしょう。

形式化、硬直化と同義の制度化は、基金に遠からぬ衰退をもたらすおそれがあります。基金はそれ自体、自由であらなければなりません。そうして、いつの日か社会と芸術の関わり方を変えるという目的を果たすために、自由な形態で、可能な限り長く続いていかなければなりません。

したがって議論されるべきは、お金ありき、それをどう使うか、という問題ではなく(それでは行政の助成であっても同じことになります)、志ありき、それをどう広げていくのか、という問題でしょう。

島田氏は基金のお金を、これから使われるためにそこにあるお金、来歴をもたないただの前提としてみることに全力で抵抗します。
亀井純子さん、西川千鶴子さん、島田悦子さん、そして志水克子さんという高い志をもった人々が遺贈という形で託していった多額の寄付。それを引き受けるに当たり、むしろ苦しみ悩んできたことが、その言葉から推し量られます。
お金ではなく志ありきなのだということ。
お金は志の結果、あるいは表現にほかならず、志が広がらなければ、基金はいずれ途絶えてしまうのです。
いかにしてその精神を伝え、空間的のみならず、時間的にも遠くへ伝播させていくのか、ということ。

基金の副理事長、神戸大学教授の藤野一夫さんは「現在の神戸の芸術文化はなぜ保守的なのか」という問いを立て、その大きな原因に、いまや神話化された「阪神間モダニズム」へのまどろみがあることを指摘しました。

近代という夢からの覚醒について、芸術論の文脈で論じたのはヴァルター・ベンヤミンでしたが、ベンヤミンがショック作用をその核心にみた映画や、ブレヒトの演劇に目覚めの契機をみいだしたように、藤野教授は何か「得体の知れないもの」との出会いによって、そのまどろみ=ノスタルジーは打ち破られるべきだと話します。

モダニズム。近代とは、それ自体とても大きな対象です。
近代化を啓蒙のプロセスと捉え、野蛮からの解放、進歩一辺倒の輝かしき道程とみる見方は「啓蒙の弁証法」の議論を経たこの現代にもうわたしたちを幻惑することはありません。かえって剥き出しになった国家的、企業的蛮行にさらされつつ、わたしたちは日々自分たちが退行の途次にあるのではないかと疑いさえしています。
一方で、産業化としての近代化はほぼ極まったようにみえます。「文化産業」という言葉もいまでは仰々しく感じられるほど、文化・芸術的営為はもはや産業の一部門に慎ましい場所を得るばかりのようです。

藤野教授は2つの芸術観を示しました。
「道具主義的アート観」か「美的自律性」か。
後者の「美的自律性」すなわち「美のための美」が、産業化、あるいはマネジメントと両立し得るのかどうかは、おそらく誰にも答えの出せない問題です。 ですがマネジメントが、収益性というものをその使命として文化・芸術活動に課すというのなら、「美的自律性」の実現とは、むしろ芸術にその本質的な「無為」(役に立たなさ)を返してやることかもしれません。
「芸術作品は、もはや交換によって形をそこなわれることがない物たちの代理、つまり利益と品位を汚した人類の虚偽の需要とによって台無しにされることがなかったものの代理なのだ」とはアドルノの言葉です(『美の理論』大久保健治 訳)。

藤野教授が洩らした、有形無形を問わず収益性、あるいは有用性を謳わなければ行政からの経済支援を受けにくいという実情。
もし芸術の本質的無為性を解き放つような、より純粋に美的な意味だけに支えられた作品に共感と支援の手を差しのべられる存在があるとすれば、それは市民的自由の理想の息づいた、神戸文化支援基金のような存在かもしれません。

デザイン・クリエイティヴセンター神戸のセンター長である芹沢高志さんは近年全国各地の芸術祭のディレクターを務めています。翻訳家・著述家の顔ももつ人です。
芹沢氏はソーシャル・デザインやコミュニティ・デザインといった、物の形ではないデザインをKIITOが担っていく可能性について話しました。
神戸に移り住んできた(東京での大失恋が原因だとか)当時の、外国人船員であふれた港町独特の活気を回想していましたが、そんな時代にはいまよりも街そのものが「異質なものとの出会い」の潜在力を秘めていたのかもしれません。 KIITOが文化・芸術活動を刺激する、そのような出会いの場のデザインの発信源になることが期待されます。

NPO法人DANCE BOX エグゼクティブディレクター、並びに神戸アートヴィレッジセンター館長の大谷燠さん、インディペンデント・キュレーターの林寿美さん、舞踊家で神戸大学准教授の関典子さん、各パネリストが自身の活動を紹介しながら、神戸・兵庫の文化の活性化、またKIITOの将来像について意見を述べました。
共通していたのは、地域に根差し、人々に開かれた芸術の場を構築しなければならないという問題意識です。

取り組みは多様であり、いずれも高い水準の活動であることがうかがわれます。何よりその多様さが、文化状況全体にとって活性化の指標です。 できるだけ多様であること。
極端な話、個々の作家、アーティストは、地域や人々のことなど念頭になくとも構わないはずです。

では、そうした活動を支え、多様性を維持するものは何か。
果たしてそれを市民が、それもより多くの市民が担うという形態があり得るのか。
それが、亀井純子文化基金にはじまる神戸文化支援基金が試みてきたことです。

しかし難しい問題ではあります。
上にみたように、多額の寄付を残した人たちとの出会いと別れ、これは島田氏の人格と切り離せないものです。
基金の活動に共感し、寄付を寄せている多くの人々についてもそれは同じでしょう。

一方でこれは、そういう「人格を切り離さない」システムを探る挑戦であるともいえます。
人格と背反しないシステム。
人の顔、市民の顔をしたシステム。
これはすぐそこにありそうで、現実には途方もなく遠大な理想です。

シンポジウムは「市民の潜在力が社会を拓く」と題されていました。
潜在的なものとは、前個体的なもの、いまだ個体となっていないもの、というより、むしろおのおのの個体が目指す理念(理想)に関わる何かです。

遠大な目標。しかしやはりすぐそこ、いわば次元の膜を隔てたこの同じ場所に、それはイデーとして閃いているのです。
もしかしたら未来には、その絶対の膜を通り抜けることができるのではないか、この神戸という都市でならそれを実現できるのではないか、そう予感させる、基金の25年の歩みです。

シンポジウム「市民の潜在力が社会を拓く アート志縁の現場から」は2018年7月8日、デザイン・クリエイティヴセンター神戸(KIITO)301で開催されました。パネリストは本文中に紹介した6名。資料として神戸文化支援基金25周年記念誌『志の縁をつないで そして未来へ』が参照されました。第2回シンポジウムを2018年10月に開催予定。
2018.8.5 山本 貴士
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20018 貞松正一郎 振り付け「ピアノ・ブギ・ウギ」

軽み、そして抑制の

初演とはほとんど印象のちがう作品となっていました。

ピアノ・デュオ、レ・フレールの小気味のいい連弾に乗って、男たち、女たちの風景が踊られます。
そしてこの小気味よさ、軽みこそが貞松正一郎さんの作品の大きな魅力です。
軽みといって勘ちがいしてはいけないのは、それが小手先の技とは正反対のものだということ。
貞松作品のその持ち味は、近年ますます洗練の度を深めているようです。

ある時期、古典上演に際しても、逸脱によって軽み(というよりもう少しシンプルな可笑しみ)が表現されようとしていたようなのが、今度の「ピアノ・ブギ・ウギ」再演の研ぎ澄まされた軽み、これは逸脱ではなく、むしろ抑制によって実現されたものでした。
ある種の単純化=集中化をかなめとするクラシックバレエの舞台では、逸脱はともすると散漫さを引き起こします。どうしても反動的に響きますが、抑制とは、所作にしろ構成にしろ、中心に向かって周到に要素を配置するということです。

バレエにおいて情感を表現するのは情感そのものではなく型です。と言ったところで、型はわたしたちにとって解きがたい謎でありつづけているのですが、それにしても、誰もが無自覚に型通りやるなかで奇矯な逸脱が輝く、そんな時代があったとしても、誰もが型を忘れてしまったようないまでは、型に支えられた美というものがかえって輝きを増すようです。

そしてまた型は、古典の無限の美へのレファレンスを作動させます。
酩酊する男の前に幻のように現われる女たち、あれはジゼルの墓の前で青白くゆらぐウィリたちです。
恋人の息づかいに耳をそばだてる、短くも濃密なロミオとジュリエットの夜。貞松正一郎さんと上村未香さんの息をのむパ・ド・ドゥでした。

そうした古典的な美に「ピアノ・ブギ・ウギ」のようなモダンな創作作品で出会う驚きと喜びはいっそう深く、港町の海風の香りがする貞松さんの軽みと、型に凝縮されたバレエの抑制的な美が溶け合うなら、そのとき、アメリカ的でもヨーロッパ的でも、そして東京的でもない、ぜひとも神戸的と形容したい唯一無二の作品が生まれることでしょう。また、そうしてよりくっきりとした輪郭を獲得すれば、きっとそれはどこであれ通用する、より本質的な意味でのモダンバレエ作品となることでしょう。
「ピアノ・ブギ・ウギ」は貞松・浜田バレエ団 創作リサイタル28(神戸文化ホール)で再演されました。初演は2014年。上演作品はほかに中村恩恵 振付「TWO」、森優貴 振付「Memoryhouse」、ラリオ・エクソン 振付「母の歌 A Mother's Song」。
中村恩恵さんの作品「TWO」はベケット作品をモチーフに、肉体、あるいは不自由さの自由というべき問題を考えさせる重要な作品です。おそらく振付家の意図を完璧といっていい水準で実現したダンサーの小田綾香さんと堤悠輔さんによって、たいへんに質の高い舞台が作り上げられていました。いつか感想をここに書かせていただければとも思いますが、初演時の評(Tadakatsu Yamamotoによる)がこのページの少し下に出ています。どうぞご覧ください。
2016.11.12 山本 貴士
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KOBECAT 0067
2015.3.14 神戸市立灘区民ホール
マウロ・イウラート&伊藤ルミ デュオコンサート

――ベートーヴェンの春…蝶の舞い、荘子の夢――
■山本 忠勝


一羽のアゲハがふいに羽化を遂げたのだった。
 最初のゆるやかなはばたきがさざなみのように一対の翅に広がるや、大きな蝶がふわりと日差しのなかへ舞い立った。
 マウロ・イウラートのヴァイオリンと伊藤ルミのピアノから立ち上がってきた幻視である。
 曲はベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第五番。
 初春の演奏に訪れた、まさしく「春」の奇跡であった。
 
 「春」はベートーヴェンの十曲のヴァイオリンソナタのなかでもとりわけ深いゆらぎを刻み出す作品だ。
 ここでいうゆらぎとは、無論ぶれるという意味ではない。
 宇宙のゆらぎが生命を生み出したと語るときの、あの含意に満ちた言葉の響きを、ここにも持ち込みたいのである。
 深いところから深いものがあふれてくる特別な裂け目のことを言いたいのだ。
 
 象徴的にも「春」というこの通り名そのものがすでにそのゆらぎの幾分かを暗示する。
 この曲をそのように呼んだ最初の誰か、その誰かはフロイトのはるか以前に、すでに優れた精神分析家であったにちがいない。
 むしろ作曲家本人よりこの曲の基層を深くつかみとったとそう見てとれるからである。
 三十歳のベートーヴェンがこれを書くにあたって何を深層で目指したか、それをおそらくは作曲家以上に的確にこの一語で言い当てた。
 
 ベートーヴェンがそのとき深層で求めたもの。
 それはベートーヴェンがベートーヴェンの呪縛を超えることではなかったか。
 その呪縛とは。
 重厚な主題、強固な構成、厳格な精神。
 そしてそのとき求めていたものとは。
 軽快な主題、柔軟な構成、自由な感性。
 つまり厳しい冬から柔らかな春への跳躍。
 いうまでもなくわたしたち聴衆は常に後知恵で音楽を理解するほかないのだが、マウロとルミの水際立ったパフォーマンスが、まさしくその冬から春への劇的ジャンプをわたしたちに悟らせてくれたのだ。
 
 自然と体が浮き立つようなピアノとヴァイオリンの饗宴だった。
 第一主題にいちはやく飛翔への低い身構えを刻印する下降音型の、そのさばきの鮮やかさ、そしてそこから一転明るい希望へと向かっていく上昇のパッセージの軽やかさ。
 それは羽化へのダイナミックなゆらぎであり、たぎりたつような飛翔へのふるえであった。
 そして第二楽章のゆったりとしたアダージョの伸びやかさ。
 それは上昇気流をつむぎながら中空を渡っていく平行飛行の自由と平安と至福であった。
 そして第四楽章のシンコペーションへの深い切り込み。
 それは中空の舞踏に酔いしれて、イカロスさながら灼熱の圏域にまで突進しそうな、危険な極限の歓喜であった。
 
 そしてとっておきは第三楽章のスケルツォ。
 たった一分あまりのこの楽章をあえて最後に回したのは、ほかでもない、最も大きな奇跡がここで起こったからである。
 そこでは絶壁に挑むような厳しい音階の上昇下降が立て続けに現われる。
 ふたりの奏者はその極限域で危ういバランスをとりながら、しかも特筆すべきことに、全霊をかけた一騎打ちのように対峙した。
 
 …羽化したのは、実は連星のように緊密な円で舞い合う二羽のアゲハだったのだ。
 
 ヴァイオリニストの左手の一瞬一瞬のポジションがまさに光の破片のように閃いた。
 ピアニストの右手と左手の跳躍が尖った水晶のように突き立った。
 ふたりの奏者はいまや譜面に忠実であるよりも、むしろみずからの呼吸を信じ、たがいの呼吸を計りながら、その自由な刻々の決断で未踏の地平を切り開いていたのである。
 おそらくは一秒の何十分の一か何百分の一、互いの音を快活にずらし合うことでより高次の調和に到達する、その錬金術にも似た化学変化が継続して起こっていた。
 
 時間の微分的な隙間に溢れる無限の自由、…恐ろしいばかりの、完全な。
 その極限の自由の上での、むしろ目のくらむような刻々の選択と刻々の決断。
 短いが、しかし高く屹立する創造の連峰。
 能楽に印された日本の芸能の一つの奇跡、小鼓とシテとの間の一対一の果たし合い、あの乱拍子がまさしくそうであるように。
 
 第三楽章はふつうは前後の楽章の橋渡し、間奏曲のように扱われる。
 だが明晰な意識があってのことか、それともむしろ暗い予感に導かれてのことだったか、あるいはむしろ突き上げてくる衝動に駆り立てられてのことだったか、ふたりの奏者はこの極小の楽章を逆に曲全体の頂点に押し上げた。
 峻厳なピラミッドが建てられた。
 革命が起きたのだ。
 するとたちまち深い謎も解けたのだった。
 ベートーヴェンがこの異様な楽章を、この唐突な楽章を、なぜここに置かないではいられなかったか。
 それはおそらく間欠泉の破裂のような、デモーニッシュな深層の欲求の劇的噴出だったのだ。
 完全な自由への跳躍。
 すなわち完璧な創造への発熱。
 
 荘子はある日とても幸福な夢を見た。
 夢の中で蝶となって飛んだのだ。
 自由このうえない空中の舞いだった。
 かれは夢から覚めて反芻した。
 この荘子が蝶の夢を見たのだろうか、それともここにいるこの荘子はあの蝶が見ている夢なのか。
 
 そのときベートーヴェンが蝶に羽化して舞ったのか、それとも蝶がベートーヴェンへの羽化を遂げて舞ったのか。
 

 「マウロ・イウラート&伊藤ルミ デュオコンサート」は2015年3月14日に神戸市立灘区民ホールで開かれた。
 マウロ・イウラートは1977年トリノ(イタリア)生まれのヴァイオリニスト。ウィーン大学の派遣プロジェクトで2003年に来日して徳島文理大学の準教授に就任。以後、アンサンブル神戸で首席コンサートマスターを務め、また大阪フィルハーモニー交響楽団やオーケストラ・アンサンブル金沢などに客員のコンサートマスターとして出演している。愛器コッラ・デッラ・キエーザ(1690年、ジョッフレード・カッパ作)とは運命的にも来日後に遭遇、生涯の伴侶となった。超絶的な演奏には鋭い鬼才の感がある。神戸市在住。
 伊藤ルミは神戸市生まれのピアニスト。早熟の才を発揮して18歳でソリストデビュー。ヨーロッパとりわけチェコの音楽界との交流が深く、チェリストのミハル・カニュカ、ヴァイオリニストのフランティシェック・ノボトニーとツアーを定期的に重ねている。すでに円熟の域にあるが、近年はブラームス、ショスターコヴィチ、ベートーヴェンなどの演奏を通じて新たな境域へも踏み出し、なかんずく曲への斬新な解釈がファンの間に新鮮な衝撃を広げている。おおらかで優美な鳩から鋭利で高貴な鷹への変身が進行しているようでもある。ことし秋にはソロリサイタルも開かれる。
 ヴァイオリンソナタ「春」に起こった革命は、イウラートのイタリア的なリベルタ(自由)の精神と超絶技巧への深い愛、そして伊藤の神戸的自由と創造の精神の、この二つの融合反応によって生まれたとも解釈できよう。重厚なドイツ的伝統とその呪縛から解かれることで、却ってベートーヴェンの深層が切り開かれたともいえそうだ。
 この日のコンサートは、ほかにメンデルスゾーンの「歌の翼に」(アクロン編曲)、イトウユミの「東北に寄す 三つの民謡から」、江藤誠仁右衛門の「種は眠る」、クライスラーの「プレリュードとアレグロ」、タルティーニの「ヴァイオリンソナタト短調 悪魔のトリル」、ジャゾットの「アルビノーニのアダージョ」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」が演奏された。
 
2015.3.21
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KOBECAT 0066
2014.12.13 神戸新聞松方ホール
ミハル・カニュカ&伊藤ルミ スーパーデュオ2014

――能空間と遇うような…ショスタコーヴィチ「チェロソナタ」――
■山本 忠勝


間そのものが泣くのである。
 空間そのものが微笑する。
 空間そのものが歌うのだ。
 空間そのものの変容が体を奧から揺するのだ。
 ミハル・カニュカのチェロと伊藤ルミのピアノで構成されたスーパー・デュオ2014のステージだった。
 
 演奏プログラムは五曲。
 最後に弾かれたショスタコーヴィチの「チェロソナタ ニ短調」からまず語ろう。
 ショスタコーヴィチが人生の微妙な時期にソヴィエト社会に投げ入れた作品である。
 さきに27歳で発表した野心的な大オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1934年1月初演)はたちまち内外で脚光を浴びるのだが、それが二年後には一転、スターリンの意向を体したプラウダ紙によって「荒唐無稽」な舞台だとまさしくてのひらを返すように批判されることになる(1936年1月)。
 チェロソナタはその運命的な曲がり角のまさに真ん中で書き上げられた(1934年12月初演)。
 身に迫る政治的な圧力をひしひしと感じながらの作曲だったはずである。
 
 大聖堂のような広壮な規模を感じさせる結構だが、細部まで統一感が沁み渡っているようなそんな建築的な曲ではない。
 全体を貫く構造をすぐに読み取るのは難しい。
 むしろ散乱する光のように、思いがけないフレーズが連続する。
 呆然と見上げるような高いドームを組むことより、万華鏡のような美しいステンドグラスを隙間なく配することに努力が注がれたようである。
 刹那的といえば刹那的だが、どの細部にもそれだけ生き生きとした生命感が満ちている。
 緩急を織りまぜながらリズミカルな光の舞踏が休みなく進行していくようである。
 
 だがそこでいきなりぎょっとするのは、光の舞踏と見えたその先に、だしぬけに暗く、そして深い響きが立ち現われるからである。
 第二楽章のアレグロから第三楽章のラルゴへの劇的な転換。
 絢爛たる鏡の間のちょうど真下に暗い地下広間が現われた。
 昼の舞踏会のすぐ下で夜の舞踏会が行なわれていたのである。
 
 そしてミハル・カニュカと伊藤ルミの巧みさとめざましさ、それはこのラルゴ、地下の舞踏に、演奏全体の照準を、それも大きな確信をもって当てたことだ。
 この曲の核心はここにある!
 コンサートをこのラルゴから逆算して組み立てた。
 
 第一楽章(アレグロ ノン トロッポ)の最初からもう細部に緊張を漲らせ、さざ波の輝きのひとつひとつをきらきらと織り出していったのも、おそらくは正午の輝きの頂点で夜の奈落へ跳び込みたいがためだった。
 じっさい、断固とした両演奏家の意志は、すでに第一主題の提示の時からきわだっていたのである。
 刹那の美しさを敢えて鋭く刻み出すピアノの精緻このうえない波状音型、そしてチェロの澄み切った、ほとんど透明な糸の響き。
 鍵盤の生気と弦の哀調。
 泣きたくなるような旋律が浮かび出る。
 心はむしろ翻弄されるが、その翻弄が快い。
 陽光、微風、さざ波、ワルツ…。
 
 だから第三楽章の急転は、サロメの眼前に浮かび出たヨハネの首(ギュスターヴ・モロー画)の怪のように、まさしく対極に隠れていたものの「出現」だった。
 むしろ能楽の断面を思わせた。
 能の序破急の、とりわけ破。
 能舞台にはいつも「なにごとか」ではなく「なにものか」が現われる(何事かが進行していく演劇とは対照的に)。
 なにものかが新しい空間を引き連れて出現する(何事かが時間とともに推移していく演劇とは対照的に)。
 この世界にこの世界ならぬ空間が現われて、それがこの世界と一体になるのである。
 空間が衝突し、響き合い、深め合う。
 はてしなく続く呻きのようなチェロの奏鳴。
 呻いているのはいまや空間なのである。
 間断ない弔鐘のようなピアノの弾奏。
 不穏な鐘はいま空間そのものが放つのだ。
 
 あるいはこれは大地の震えではないか。
 広大で深遠なロシアの大地の。
 ロシアでこその。
 
 そう。
 見えにくかった曲全体の構造がここで一気に見えてきた。
 光の散乱は地上の出来事なのである。
 それを深い大地が支えている。
 第一楽章の締めくくりに忽然と葬送行進曲が登場するその謎も、これで氷解するのである。
 あたかも公式主題を覆すように提示された弔いの暗い歌。
 それは大地の霊と唱和するむしろ祝祭の歌だった。
 
 大胆な音楽的実験が試みられていくその底でなお脈々と生き続ける大地の霊。
 地霊の永遠の夢に比べれば、地上の日々の出来事はむしろ白昼夢なのではなかろうか。
 作曲家の巨大なヴィジョン。
 そのヴィジョンをわたしたちのこの時代にこんなにも明快に、こんなにも画然と彫琢したこのチェリストとこのピアニストの稀有な魂。
 深い洞察と大きな勇気。
 
 知るのである、わたしたちも地球という同じ一つの球体を介して、これらの音楽家たちと同じ聖大地の上にいると。
 
 だとすれば、ドヴォルザークの「ポロネーズ イ長調」は、広大な空間へと踏み出していく伸びやかな精神の、みずみずしい喜びだった。
 シューベルトの「アルペジョーネソナタ イ短調」は、ときに厳しく迫ってくる空間との大いなる和解であった。
 ショパンの「ポロネーズ ブリランテ」は、鏡の迷宮をさまようような絢爛豪華な空間の輝きだった。
 
 わたしたちはそれらをこの日、耳と目と、そして体ぢゅうの細胞で聴いたのだ。

 「ミハル・カニュカ&伊藤ルミ スーパーデュオ2014 」は2014年12月13日に神戸新聞松方ホールで開かれた。ミハル・カニュカは1960年プラハ生まれ。チェコきってのチェリスト。音に高い品位と風格がある。伊藤ルミは神戸を拠点に日欧で活躍しているピアニスト。大きな包容力が響きにある。両演奏家のデュオは1997年に始まって、これまでに国内外で14回のツアーを重ねてきた。今回のコンサートでは、上で触れた作品のほかにイトウユミの「モルダウ幻想」も演奏された。
2014.12.27
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KOBECAT 0065
2014.11.29 神戸・東灘区民センター
菊本千永モダンダンスステージ?

――死と再生の静かな祭り――
■山本 忠勝


本千永のリサイタルを見た。
 あえて困難な課題に立ち向かっている舞踊家である。
 困難な課題とは、「切断」と「持続」という二つの局面をひとつに統合することだ。
 切れるもの、あるいは切ることができるものと、切れてもなお続いているもの、続いているはずのもの。
 たがいに対立して見えるこの二つの要素を、一つのダンスのなかに融け込ませ、一体化しようというのである。
 
 四回目となる今回の舞台にかけられたのは、ここ数年の間に振り付けられた五作品。
 「PORTRAIT」「なにごともなきこの眺め」「人形―アノコノシアワセイノッテル」「死者たちからのバトン」そして最新作の「流れの中で」。
 ポートレート(肖像写真あるいは肖像画)、それは人生のある断面(切断面)で切り取られたその人物のそのときかぎりの風景である。
 なにごともなく過ぎていく平和な日々、それはしかしいつ襲ってくるかもしれない切断 (自然災害、事故、病死、戦争など) の予感をはらんで、不安からのがれられない日々である(現にわたしたちはなんとしばしば破局に出遭っていることか)。
 人形、それはモノと人間との切断面に立ち上がってくる第三の存在にほかならない。
 そして死者たち、それは生者たちから最も鋭く切断されて、最も遠くへ立ち去った者たちだ。
 問題は、切断面がそこでいったん凝固すると、生命の循環がたちまち停滞してしまうことである。
 生の流れが堰き止められ、荒涼とした世界が現われる。
 この舞踊家は、だから、生き生きとした循環を守るために、切断に負けない持続を呼び起こそうとするのである。
 強靭な持続の力がわたしたちのなかに脈々と受け継がれていることを、その力が世界の底を強固に支えていることを、ダンスで確認しようとするのである。
 
 めざましい成功に達したのは「PORTRAIT」と最後の「流れの中で」であった。
 「PORTRAIT」は終始三人のダンサーによって踊られた。
 中が空洞の大きな枠を舞台の中央にしつらえたが、これは肖像写真あるいは肖像画がそこに現われたというこころである。
 枠の中でおおむねユニゾンを基軸に踊るダンサーたち。
 それは、ひとりの人物が幼年期、成年期、老年期へと向かっていく成長のプロセスのようでもあったし、また、親から子へ、子から孫へと移っていく世代の遷移のようでもあった。
 動作のひとつひとつを鋭角的に切り立たせて、フラッシュの連続のように見せたのも、大きな効果を発揮した。
 持続の矢が瞬間瞬間の切片(断面)をダイナミックに貫いていく、その推力と速度感を的確に視覚化した。
 
 「流れの中で」はこの舞踊家の闘いのなかで、おそらくひとつの頂点に位置づけられる作品である。
 まず特筆すべきは、舞台の大胆な構成だ。
 客席の前のほうから座席が大幅に取り払われた。
 広びろと空いたその床面に黒装束のダンサーがひとり、静かに座した形で幕が開かれたのである。
 黒装束の存在は、ただひっそりとそこに座っていることで、却って不思議な存在感を漂わせる。
 冥界の神ハデスのようでもあり、冥界へさらわれたペルセポネのようでもある。
 一方、ステージの上の群舞はこれも静かな動きである。
 円を描くようにめぐっていくのが、季節の移ろいのように美しい。
 やがてその円はゆっくりと下の床面へ下り始める。
 ステージの上と下とがそうして結ばれることになる。
 死の国と生の国が大きな円環でつながれたわけである。
 宇宙的な循環・持続が見えるかたちに現われた。
 まさに死と再生の静かな祭りのようだった。
   
 むろん観客のなかには、死の国と生の国の双極構造で世界をみるこのようなビジョンになじめないひともいるにちがいない(人間もモノと同様、しょせんは素粒子の集まりでしかないのだから!)。
 だが舞踊家の情熱がわたしたちの心の欲求に沿っている、その方向性はだれもが認めるのではなかろうか。
 芸術は心の欲求の上に独自の宇宙を構成する。
 その真摯な情熱こそ、この世界にまだ救いの道が残されている確かな証しになるのである。

 「菊本千永モダンダンスステージ?」は2014年11月29日に神戸市東灘区の区民センターうはらホールで開かれた。主催は藤田佳代舞踊研究所。
 「PORTRAIT」は出演が、かじのり子、向井華奈子、菊本千永。音楽が細野晴臣。
 「流れの中で」は出演が、寺井美津子、金沢景子、向井華奈子、石井麻子、板垣祐三子、灰谷留理子、梁河茜、平岡愛理、田中文菜、菊本千永。音楽がVASKS。
 STAFF 芸術監督=藤田佳代、構成・演出・作舞=菊本千永、照明=新田三郎、舞台監督=長島充伸、音響=藤田登、衣装=藤田啓子、工房かさご、向井直子、大道具=アトリエTETSU。
2014.12.6
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KOBECAT 0064
2014.10.5 兵庫県立芸術文化センター
貞松正一郎のカラボス…「眠れる森の美女」から

――高貴な悪、無限のダンス――
■山本 忠勝


松正一郎がチャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」で悪役のカラボスを演じた。
 さまざまな王子役をエレガントに踊ってきた貴公子の劇的な変身だった。
 ダンスールノーブルの華麗このうえない履歴をすぱっと脱いで、全身悪そのものになりとげた。
 重厚な悪だった。
 高貴に輝く悪だった。
 さらになによりも、無限の悪。
 そして三つ目の悪にかぶせたこの「無限の」という修飾語が、かれの場合は決してうわべだけの美称や修辞(レトリック)ではなかったということ、それを明らかにすることがこの小さなエッセーのテーマである。
 観客の心を無限の宇宙にまで誘う広大なパフォーマンスだったのだ。
 
 オーロラ姫の命名を祝う宮殿の広間に雷雲のように登場して、まだ赤ん坊でしかない姫にはやくも死を宣告するカラボス。
 残酷で、風格に満ち、美しかった。
 国じゅうの妖精を祝宴に招待しながら、よりによって長老のカラボスひとりを見落としてしまったということは、明らかに王宮の手落ちである。
 老妖精はどの点からも優位にある。
 悪は優位を容赦なく使うのだ。
 居並ぶ王族貴族を睥睨(へいげい)する。
 烈しく怒鳴る。
 にじり寄る。
 ねめつける。
 にやりと笑う。
 やさしいそぶりを垣間見せてまだ望みがありそうに思わせたその瞬間、傲然と絶対的な絶望を宣告する。
 「死!」
 老妖精のまさに独壇場である。
 
 重要なのは、独壇場は台本がくれる無担保の贈り物ではまったくないということだ。
 台本が用意した場へ身を進めてそこに観客の目を引きつけるのは、ひとえにダンサーじしんの力である。
 ダンサーがもつ技量と容姿、それらをひっくるめた存在感にほかならない。
 黒マントをひるがえしてわがもの顔に舞台を歩きまわる巨大な悪。
 これが繊細精緻なジークフリート王子(白鳥の湖)やお菓子の国の王子(くるみ割り人形)を踊ったあの同じダンサーなのか? ほんとうに?
 かれの一挙手一投足が(カラボスの魔女的な資質を考えればここはむしろ、かの女の、というべきか)、いまや危険な意味を放つのだ。
 
 この日のカラボスはじっさい悪魔的なメッセージのひとつひとつを稲妻のように繰り出した。
 おまえたちはこのわたしをこんなにもないがしろにしたのである。
 こんなに侮辱されたのは長い生涯でもはじめてだ。
 目に物を見せないではすまされない。
 なに? 妖精たちはそれぞれに最高の贈り物を持ってきた?
 ならわたしも最高の贈り物をしようではないか、ここで眠っているこのかわいい赤ちゃんに。
 そう、姫は娘ざかりのまっただなかでこの世を去ることになるだろう。
 十六歳の誕生日に糸巻きで指を突いて、その傷がもとで死ぬだろう。
 さあ、これがわたしの心を込めた贈り物だ。
 受け取っていただこう。
 
 そしてここでとくに注目したいのは、この無慈悲なプレゼントに二つの時間が組み込まれている、その構造のことである。
 一つは十六年を区切りとする生の有限の時間である。
 より美しく成長していくそのことがより生を削っていくことになる宿命の時間である。
 恐ろしい予言への回答が日々刻々と近づいてくるのである。
 そしてもう一つは、その十六年目に不意に始まる死の無限の時間である。
 そこからは時間がただ永遠へ向かって茫漠と開かれる。
 新たな予言も新たな回答ももはやない。
 この有限と無限の二枚重ねの構造が王家に絶えることのない不安と緊張を強いるのだ。
 カラボスの理不尽な魔法は、つまり、時の魔法でもあった。
 
 時、この静かな暴力!
 ついでにちょっと付け足しておくならば、チャイコフスキーのバレエ作品は、「眠れる森の美女」ばかりか「白鳥の湖」も「くるみ割り人形」も、じつは時間というこの底深い構造を堅固に組み入れているのである。
 オデットが白鳥からもとの王女の姿に戻れるのは、夜の時間だけに限られる。
 クララがおとぎの国へ旅立つのはクリスマス・イヴの正零時、その境い目の一瞬が無限の時空へ開かれてかの女を冒険へと導くのだ。
 しかもそれらの時間を時の司祭のように操るのが、カラボスと同じようにみな暗い存在だということも、チャイコフスキーの作品に共通する要素である。
 姿そのものがもう怪異な悪魔にほかならないロットバルト。
 ものやわらかな紳士だが、どこか魔法使いのようでもあり、卓抜な科学技術者のようでもあり、いつも微妙な影を漂わせて登場するドロッセルマイヤー。
 大作曲家の三つのバレエは、見かたによっては時間と時間を操る魔物たちの物語だともいえるのだ。
 
 しかしカラボスのこれみよがしの独壇場は、美しい敵の突然の出現で中断される。
 同じ妖精仲間でも、カラボスの対極にあるリラの精。
 かの女には、老妖精の呪いを無に返すほどの力はないが、弱めることはできるのだ。
 一瞬の機転で、無限の死を百年の眠りに変えてやる。
 ありていにいえば、永遠を百年にまで値切ってやる。
 二妖精の対決は、象徴的にもここで無限の時間(死)と有限の時間(眠り)の相克となってあらわれる。
 姫君が糸巻きの傷で倒れるのは、これはもうわたしにはどうしようもありません。
 けれどご安心なさい。
 それは永遠の死ではないのです。
 姫君はそこで百年の眠りに入るのです。
 
 姫を守る美しい妖精の知恵で無限の時間が押しのけられる。
 有限の時間が戻ってくる。
 カラボスがせっかく作った宇宙の摂理(十六年目の死)がリラの精によってなかば骨抜きにされてしまうのだ。
 ふたりの妖精の地上での対決はそのまま宇宙的な闘いだったということだ。
 …もっとも、タナトス(死)はもともとヒュプノス(眠り)と兄弟だから、神々の目から眺めれば地上で見るほど大きな距離はないのだが。
 
 むろんわたしたちの心がこうして宇宙にまで駆られるのは、貞松正一郎の重厚高貴な悪の表現があってこそのことである。
 平凡なダンサーの演技であれば、ただカラボスの意地悪を見たというだけで終わるだろう。
 独壇場を作れる創造者のすばらしさはいくら強調しても決してしすぎることはない。
 優れたダンサーは観客たちをひととき哲学者にするのである。
 
 さて、かくしてこのエッセーも最も言いたいところへ進めるというわけだが、「眠れる森の美女」が作られた1889年(初演1890年)という年は、科学技術の勝利といわれたエッフェル塔がパリに完成したちょうどその年なのだった。
 世界は猛烈な勢いで科学の時代へ入っていた。
 初演からまだ十年(1900年)で、もう現代の最先端科学「量子論」の扉がマックス・プランクによって開かれる。
 その五年後にはアインシュタインの「特殊相対性理論」も出るのである。
 そしてこの科学にとって最大の悪夢というのが、実はカラボスが操ろうと企てたこの無限という怪物にほかならない。
 
 科学の方程式はいったん無限の解を出してしまうと実際のところもうその方程式は死んだも同然なのである。
 一つの問いに無数の回答が出るようでは、どの回答も意味のある回答ではないのである。
 早い話、光とエネルギーの研究でプランクが量子論を打ち出したのも、それまでの方程式(古典物理学)ではどうしても無限の答えが出てしまう、それを正そうとして未知の扉を開くことになったのだった。
 時代が下って1965年にノーベル物理学賞を受けた朝永振一郎博士の「くりこみ理論」(量子電磁力学)も、電子の質量やエネルギーが無限大になってしまう方程式の、その矛盾を乗り越えるための天才的な新機軸にほかならなかった。
 
 強調したかったのは、20世紀の前夜、時代はいよいよ無限というこの現代の悪魔と正面切った闘いに入っていたということである。
 ちょうどそんなおりに登場したのがこの「眠れる森の美女」だったし、カラボスでもあったということだ。
 かたちは中世の物語だが、その奧ではすでに現代の精神がうごめいていたのである。
 カラボスの挫折は、だから無限という旧時代の精神の象徴的な滅びであった。
 するとリラの精は現代を席捲する科学的理性のまさにアイコンなわけである。
 
 さらば、カラボス。
 もうあなたの時代は過ぎ去った。
 
 だが貞松正一郎じしんはどうだろう。
 やはりかれはかれが演じたカラボス同様、いぜん無限を愛しているのではなかろうか。
 だからこそあれだけの迫真の悪を見せたのだろうし、おそらくそれが芸術家という種族におしなべて刻印されている性なのだ。
 宇宙はまだまだ無限への扉を奧から開いてくるだろうし、芸術家はそこに現われる新たな悪魔にまた魅了されるのだ。
 繰り返し、永遠に。

 貞松正一郎が老妖精カラボスをつとめた「眠れる森の美女」は2014年10月5日に西宮市の兵庫県立芸術文化センターで貞松・浜田バレエ団によって上演された。キャストはほかに、お城ともども100年の眠りに落ちるオーロラ姫に瀬島五月、眠りの姫を目覚めに導くデジレ王子にアンドリュー・エルフィンストン、姫を守るリラの精に竹中優花、姫の命にさまざまな贈り物を授ける妖精たちに小松原千佳、山口益加、村田絵里子、正木志保、上村未香、姫の婚礼に童話世界からお祝いに駆けつけるキャラクターたちに角洋子、大門智、川崎麻衣、塚本士朗、小田綾香、尾花歩、佐々木優希、武藤天華ら。
 STAFF 演出=貞松融・浜田蓉子、振付=貞松正一郎、振付助手=小西康子、構成=長尾良子・小西直美、音楽プランと指揮=江原功、管弦楽=びわ湖の風オーケストラ、バレエマスター=ヤン・ヌイッツ・堤悠輔、照明プラン=柳原常夫・加藤美奈子・ライティングセブン、舞台美術デザイン=湊謙一・日野早苗・日本ステージ、舞台監督=坪崎和司・ステージハンド、衣装スタッフ=堀部富子・松良朋子、プログラム=殿井博。
2014.10.30
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20017 中村恩恵振り付け「TWO」

ベケットへの愛
 

 都市の夜のひとときをコクのあるコーヒのような上質な時間に変えてくれる、そのような舞台があります。
 中村恩恵(めぐみ)さんが振り付けたダンス作品「TWO」は、そのような舞台でした。
 夕暮れにひとりの老婆が現われます。
 孤独をまとって現われます。
 衰えた関節をきしきしと軋ませて、欠乏そのもののように現われます。
 ところで老婆は花をさがしているのです。
 花への希望が少しずつ膨らみます。
 夕闇をさまようにしたがって希望が深くなっていくのです。
 老婆が豊かになっていくのです。
 2014年9月13日に神戸文化ホールで開かれた貞松・浜田バレエ団の「創作リサイタル26」にかけられました。
 初演でした。
 
 中村さんの創作メモは、サミュエル・ベケットの奇異な小説「また終わるために」からの引用です。
 ベケットがこの小説に残したイメージは強烈、というより苛烈です。
 老婆が花を求めて野を歩きまわっているうちに何かにけつまずくのです。
 足もとに男が転がっていたのです。
 そこでうつぶせになっていたのです。
 老婆の靴が男の横腹にめりこんだ、そのぶよんとした弾力がもろに伝わってくるような一章(「ある夜」)です。
 そこの弾力を起点にして、夕暮れがぴしっと裂けていくような、そのようなデモーニッシュな風景です。
 
 ベケットの小説のこの濃密な一章をダンスで超えるのは、むろん容易なことではありません。
 しかしベケットから受けた衝撃をダンスに置き換えることで、ありありと見えてきたことがひとつあります。
 夕闇の野で起こったこの異様な女と男の遭遇を、振付家が深いところで受け止めたこと。
 振付家がそのように受け止めたそのことにわたしたち観客も共感して、舞台で起こるすべてのことをこよなく深く受け止めたこと。
 そしてそのように深く受け止めることがとてもうれしかった、そのことです。
 
 いうまでもなく振付家は小説を超えようなどとはしていません。
 かの女はただひたすらにベケットから受けた感動(というより動揺、動転)をまわりに伝えたかったのです。
 世界に伝えたかったのです。
 ベケットに伝え返したかったのです。
 それを正確に伝えるために、ダンスの純度にはとても心を砕きました。
 端正に仕上がりました。
 
 最初にすばらしいことが起こります。
 老婆が男を蹴ってつまずくような、そんな演劇的な振り付けは微塵もしなかった、そのことです。
 振付家は第一の誘惑をみごとに扼殺したのです。
 この殺戮にはおそらく最大のエネルギーが必要だったとおもわれます。
 そして舞台に実際に現われたのは、前屈みになって、ひっそりと歩き続ける小さな老婆(ダンサー=小田綾香)の姿です。
 
 もちろん男(堤悠輔)もそこで寝そべってたりはしませんでした。
 ごく静かに登場して、これも老婆と同じようにゆっくりと歩みます。
 老婆との間に絶妙の距離を保って、なめらかに舞台を回り続けます。
 
 わたしたちに深い感動が生まれたのは、揺るぎない偶力(ぐうりょく)がそこに生まれ、それがはっきりとみえたからです。
 偶力とは引きつけ合いながら、しかし決して一体化することはない、物理的な力のことです。
 ふたりは一つの世界で遭遇しながら、まだ別の世界にいるのです。
 別の世界に分かれていながら、すでに一つの世界にいるのです。
 たがいの時間と空間がそこで入れ子構造になったのです。
 野原にいちだんと深い時空ができたのです。
 
 愛も憎悪も誘惑も裏切りも、そんなものはなにもないところです。
 そこでひとが二人になるたったそれだけのことで、全体がこんなに豊かになるというのは驚きです。
 ふたりとも欠乏そのもののように登場しながら、しばしふたりとしてともにそこにあることで、ふたりとも徐々に豊かになっていった、それは奇跡のようでした。
 世界が二倍になっていくのがみえました。
 宇宙が二倍になっていくのがみえました。
 花が二倍に輝くのがみえました。
 そして二倍とは、もう無限のことだったのではないでしょうか。
 
 ベケットの作品にはいつも痛々しさがつきまといます。
 喜劇にあってさえ、ひりひりするものが裏に垣間見えるのです。
 けれど中村さんの舞台には、穏やかで、温かで、愛おしいものがひたひたと満ちました。
 都市の一夜が上質な時間になったというのも、このうつくしい雰囲気があってこその転位です。
 それは、たぶん、ベケットには遂になかったある重要なものが中村さんにあるからです。
 中村さんのなかにベケットにはなかったベケットへの愛があるからです。
 
 ベケットへの愛。
 そして、おそらくは敬意。
 それが、つまりは、このダンス舞台を中村さんの完全にオリジナルな作品にしたのです。
 その夜の観客に大きな幸福をもたらすことになったのです。
  2014.10.2 Tadakatsu Yamamoto
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KOBECAT 0063
2014.9.13 神戸文化ホール
藤井泉のダンス作品「Fashion Nightmare」…貞松・浜田バレエ団公演

――モード、または、食人鬼――
■山本 忠勝


ードを装うこと、それはたぶん夢への翼を着ることだ。
 翼を駆って今の自分から離陸すること。
 高く、さらに高く、…思いっきり晴れがましく。
 ただ、夢は悪夢になることもある。
 藤井泉のダンス作品「Fashion Nightmare」(ファッション・悪夢)は、微温的な常識を揺すぶって、モードの暗い魔性を鋭く突いた。
 おそろしくにぎやかに、おそろしくめまぐるしく、そして、さざなみのような笑いを誘って…。
 貞松・浜田バレエ団の「創作リサイタル26」のプログラムとして初演された(2014年9月13日 神戸文化ホール)。
 
 舞台はどうやら二つの流れからなっている。
 まず、男の部屋。
 かれはタイトでソフトな黒シャツと黒パンツをまとっている。
 あちらこちらをめくっては、また戻す。
 しっくりこないところがまだあるのか。
 それとも掘り出し物がうれしくて、着ている幸福をまた確かめなおすのか。
 いずれにせよ肉体と着衣の間にいぜん微妙な隙間がある。
 新鮮なずれ、たぶん95%の快感と5%の不快感、つまり、ちょっとした疎外感。
 つぎに、街。
 大通りに満艦飾の群衆が現われる。
 あるいは金魚の突然変異種?
 尾ひれ、背びれ、胸びれ、腹びれ、尻びれに、さらに腰びれや腋びれや頭びれ、下腹びれまでもひらひらさせて、超ファッショナブルな金魚たち。
 むしろ燃え上がる魚のよう。
 炎上たけなわ。
 火の氾濫のまっただなかで隙間も疎外もあるわけない。
 終始ユニゾン、強力に、派手派手しく。
 
 黒シャツの男はナイロンの質感にとくに思い入れがあるらしい。
 舞台の真ん中でやおら講釈をぶちはじめる。
 …ぼくは、やっぱり、ナイロンがいいですね。
 音楽とダンスの中にいきなり言葉がまぎれこむ。
 喋り続ける、悪びれることなく、淡々と、長々と。
 だがファッションに理屈は要らない。
 かれは無視され、取り残され、追い遣られる。
 
 振付家が才能をはっきりと出してくるのはそこからだ。
 意表を突く。
 裏で不穏なものが膨らんでいたのである、巨大なまでに。
 身の丈三メートルをゆうに超える、見るからに魔性のものが二体、ゆうらり、やおら上手から現われる。
 ひらひらをさらに大々的に飾り付けた大金魚。
 大炎上、見上げるばかりの。
 アフリカの精霊を思わせる。
 
 精霊とはすでに悪夢の領域である。
 どう見てもこの悪魔的なシルエットは、人がその手で身にまとってそこに生まれたものではない。
 反対だ。
 モードが人を案山子(かかし)の心棒みたいに呑み込んで、みずからの異形のシルエットをそこに堂々と立てたのだ。
 モードが人を食ったのだ。
 まるごと食って、美しくも不気味な精霊になったのだ。
 ファッション、または、食人鬼。
 
 人はモードで炎上する。
 まるごとそっくり食われてしまう。
 浸蝕されてしまうのだ、外から内へ、内部深くへ。
 
 ついに奇妙な逆転が起こってしまった。
 裸体でさえ今はひとつのモードである。
 大通りの群衆はほとんど裸で繰り出しているのだが、小さな飾りだけはつけている。
 いや、こう言っては、この場合、語順がまったく正しくない。
 正確にはこうである。
 小さな布切れが裸体を飾りにまとっている。
 布に隷属する身体。
 
 むろんみなさんはご存じだ。
 モードはすでに法までも乗っ取った。
 人は大通りで全裸になったら、つまりなんのことはない、生まれたときの形に戻ると、交番へ引っ張られる。
 悪夢はもう街の隅々に浸みている。
 
 モードの呪縛。
 

 藤井泉振り付けの「Fashion Nightmare」は2014年9月13日に神戸文化ホールでおこなわれた貞松・浜田バレエ団の秋の公演「創作リサイタル26」の第?部で上演された。今回が初演。音楽はマット&キム、ダヴィ・ベルジェ。
 出演は佐々木優希、瀬島五月、廣岡奈美、角洋子、小松原千佳、川崎麻衣、村田絵里子、村上倫子、川村康二、堤悠輔、大門智、尾花歩。
 STAFF 衣装=中島佑一、撮影協力=堤悠輔。
2014.9.25
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KOBECAT 0062
2014.9.13 神戸文化ホール
イリ・キリアンのダンス作品「小さな死」…貞松・浜田バレエ団公演

――生け贄のように、神々のように――
■山本 忠勝


り抜かれた六組の男女が踊った。
 たがいに近づき、たがいに重なり、たがいに遠のき、そしてまた近づいて、いっそう強く重なった。
 たがいがたがいの血濡れた生け贄(いけにえ)のように重なった。
 たがいがたがいの崇高な神のように重なった。
 イリ・キリアンのダンス作品「小さな死」の舞台である。
 貞松・浜田バレエ団の秋の公演「創作リサイタル26」の締めくくりのプログラムとして上演された。(20014年9月13日 神戸文化ホール)
 
 キリアンは創作メモの中に次のように書いている。
 “小さな死 Petite Mort”というのは、性交時のエクスタシーをいう、詩的な、かつ奇妙に意味深い言い回しである。
 まぎれもない、肉体の営みを正面から見据えて作られた舞台である。
 だとすれば、もともと肉体の動きを主体とするダンス、それがいっそう肉体に染まることになったのか?
 いっそう肉体へ下りていくことになったのか?
 ダンスがさらなる肉化を遂げたのか?
 Non!
 実際に起こったことはその逆だ。
 実際に起こったことは、肉体が肉体を超克して無限に上昇していく奇跡である。
 
 精神化といっては、陳腐に過ぎる。
 生け贄のように踊るということは、つねに血の匂いがそこに漂うということだ。
 血の匂いは肉体へ絶望を運んでくる雲である。
 生が絶望の驟雨(しゅうう)から逃れ出ることは決してない。
 だがそれでいて神のように、まさしく神そのもののようにこうごうしく踊るのだ。
 驟雨に濡れながら、しかしまっすぐに神の場所へのぼっていく。
 絶望をたずさえたまま、輝かしい不死の世界へのぼっていく。
 
 生け贄と神との合一。
 …または、エクスタシー。
 一瞬にせよ、奇跡に満ちた。
 
 しかし、たぶん、このダンスを語るのに、生け贄とか神とか、そのような過剰な言葉はむしろ避けるべきだった。
 観客がその目でそこに見たえもいえないエレガンスを損なうおそれがあるからだ。
 ダンサーたちは終始ギリシャの壷に描かれた壮健なアスリートのように、そして端正な巫女のように、ゆるぎなく高貴なフォルムをつづっていった。
 象徴的にも男たちはそろって剣を噛むのだが、その真っ赤な鍔(つば)を備えた剣は、かれらの口でまるでバラのようだった。
 
 むしろ十二本の木がそこに立ったというべきだろうか。
 舞台の奧を大黒で無限に変えた黒一色の空間にきりっと立った白い樹木。
 黒い無限空間に裂け目のように鋭く出現した樹木。
 裂け目のように屹立した肉体。
 
 裂け目。
 それはいっそう深遠な空間への門である。
 ここから向こうへの通路である。
 この地の裏への。
 宇宙への…。
 
 小さな死は、そうだったのだ、宇宙的な広大な生への裂け目であった。
 高い生へいっきにのぼりつめる裂け目であった。
 なんという高貴な反転。

 イリ・キリアン Jiri Kylian 振り付けの「小さな死」(Petite Mort)は2014年9月13日に神戸文化ホールで開かれた貞松・浜田バレエ団の「創作リサイタル26」で上演された。音楽はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番第二楽章アダージョと同21番第二楽章アンダンテ。出演は女性ダンサーが上村未香、正木志保、竹中優花、瀬島五月、廣岡奈美、川崎麻衣、男性ダンサーがアンドリュー・エルフィンストン、武藤天華、堤悠輔、塚本士朗、水城卓哉、幸村恢麟。
 STAFF:振付指導=中村恩恵、コーラ・ボス・クルーセ 装置=イリ・キリアン、衣装=ヨーク・フィッセル 照明=イリ・キリアン(コンセプト)、ヨーブ・カボルト 空間演出=ヨースト・ビゲラー。
 なおこの作品の初演は1991年。モーツァルト没後200年のザルツブルグ・フェスティバルのために創作され、ネザーランド・ダンスシアター?によりオーストリア旧ザルツブルグ祝祭小劇場で上演された。日本のダンサーによる公演は貞松・浜田バレエ団の今回のプログラムが初めて。
2014.9.16

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