CONTENTS
0001 若柳吉由二「百花園」 (日本舞踊)
                  ◇cahier  第68回新制作展
0002 貞松・浜田バレエ団「創作リサイタル16」 (モダン・バレエ)
                  ◇cahier  第14回ロドニー賞
0003 神澤創作舞踊研究所「こころ」 (モダン・ダンス)
0004 藤田佳代舞踊研究所公演「ハスミのダンス」(モダン・ダンス)
                  ◇cahier  鶴岡大歩
0005 嘉納千紗子展 「beyond a wire fence」(美術)
                  ◇cahier  伊藤ルミ
0006 長畑嘉子 芝居絵シリーズ (美術)
                  ◇cahier  徳永卓磨
0007 貞松・浜田バレエ団「コッペリア」(クラシック・バレエ)
                  ◇cahier  ひょうごゆかりの洋画家100人展
0008 かじのり子モダンダンスリサイタルU(モダン・ダンス)
                  ◇cahier  名倉誠人
0009 安水稔和詩集「蟹場まで」(文学)
                  ◇cahier  中島淳
0010 藤田佳代創作舞踊「流れる―流れ・乱拍子・昇華」(モダン・ダンス)
                  ◇cahier  森優貴
0011 能勢伸子展「ヘソカラヘソヘ」(美術)
                  ◇cahier  中井博子
0012 本多令子編曲/ラ・ミューズトリオ演奏 ピアノ三重奏曲「ます」(音楽)
                  ◇cahier  WAKKUN
0013 東仲一矩「Con toda el alma 精神のすべて」(舞踊)
                  ◇cahier  音堂多恵子
0014 再建された神戸栄光教会(建築)
                  ◇cahier  河本和子
0015 ギュスターヴ・モロー展(美術)
                  ◇cahier  2005県展
0016 ジョン・ノイマイヤー/ハンブルク・バレエ「ニジンスキー」(舞踊)
                  ◇cahier  草別ひろみ
0017 鶴岡大歩構成・演出「ナム」(演劇)
                  ◇cahier  菅原洸人
0018 新シルクロード展(考古・美術)
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KOBECAT 0001
04.10.23 神戸国際会館こくさいホール
若柳吉由二 「百花園」


――神の真下で踊る――
■山本 忠勝


者をしていたころは美術を中心に回っていたから、上村松園の美人画も何度か見る機会があった。見るたびにそのつど美の深さと精神の高さにうたれていた。うたれながら、だが同時にひそかな絶望にも出遭っていた。これほどの完璧な美をこの現実の空間に見いだすことは結局のところできないだろうと。ところが奇跡に恵まれたのだ。若柳吉由二が師籍50周年を記念する舞踊公演会で踊った「百花園」。まさしくそれは松園美学の現在への蘇生であった。

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 「百花園」(長唄)は杵屋佐弥吉の曲に吉由二がみずから振り付けた創作舞踊である。江戸時代からの名園にモチーフを求め、そこに絢爛たる季節の推移、重厚な歴史の変遷、そして微妙繊細な人情の移ろいを重ねながら、奥行きの深い風物詩に仕立てたものだ。奇跡は吉由二が凛と舞台に現れたもうその瞬間に起こっていた。
 花の陰に清冽にたたずむ女。けだるい暑気に沈む艶冶な女。月光の中の凄絶な女…。どの断面を切り取ってもすべてが完璧な絵となる女たちの姿である。これは松園の女だとすぐに思った。だがむろん、単にいわゆる"絵画的"な美しさからそう思ったわけではない。松園は生来の技量のうえにさらに研鑽に研鑽を重ねて絵を磨いていくのだが、絵を磨くとはどういうことかというと、とりわけこの女性画家の場合には絵画空間を徹底的に削っていくことであったように見えるのだ。夾雑な要素をどこまでもそいでいく。吉由二の舞踊もまったく同じなのである。この舞踊家も入念な稽古で高い技術を修めながら、その技術で身を豪華に飾るのとは反対に、精神と身体から非本質的なものを除き続けてきたのである。彼女にとって技術とはむしろ自己を切り刻む刃であって、体の底から結晶を取り出すための凶器であった。いかにも宝石の輝きは原石の奥の奥から放たれるものである。
 なかでも秋の舞いのあの鳥肌立つような美しさ。「花野」を春ではなく秋の季語にしたのは日本人の感性の最高傑作の一つだが、吉由二の秋はまさしくその豪奢と憂愁の二重の美に燃え上がる季節であった。そしていうまでもなく松園の不滅の名作、あの荘重典雅な「序の舞」を思わせる一瞬。しかも松園の絵の中の年若い踊り手はまだ舞踊世界の周縁に踏み込んだばかりの緊張に半ばこわばっているのだが、吉由二は悠然として艶麗に舞踊芸術の中心で舞うのである。神の真下で舞うのである。
若柳吉由二師籍50周年記念舞踊公演会は10月23と24の両日、神戸国際会館こくさいホールで開かれ、延べ90人の舞踊家が出演。吉由二はほかに4世家元・若柳壽延との共演による「正札附」などを披露。神戸を代表する花柳流の舞踊家・花柳芳五三郎も吉叟とともに「吉原雀」を踊って、記念公演を祝った。なお「百花園」は原作・富田順三、編曲・杵屋禄宣、作調・藤舎呂浩。

CATnote

Kichiyosiji Wakayagi, a performer of NIHONBUYO(classical Japanese dance), showed us her original program "HYAKKAEN", composed by herself, at KOBE KOKUSAI HALL on October 23. HYAKKAEN is a famous old garden in EDO style in Tokyo. Through her silent and noble dance, Kichiyosiji expressed the beauty of that typical Japanese garden: flowers, trees, breeze, moon and human beings. Her stage was so perfect that it reminded us of the excellent works by Showen Uemura, the most dignified female painter in Japan.

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Cahier
   04.10.21〜31
       Rose! Rose!
第68回新制作展が京都市美術館で開かれ、「女のいる風景」の石阪春生氏らが力作を発表した。また初入選ではひたすらにバラを描いてきた平出昌子さん(神戸市)の「花音2」の力感が目を引いた。














KOBECAT 0002
04.10.23 神戸文化ホール
貞松・浜田バレエ団 「創作リサイタル16」
 

――肉体に迷宮を建てる――
■山本 忠勝

踊が体操に近づいたのか、体操が舞踊に近づいたのか、おそらく双方からの接近があったのだろうが、現代舞踊の中には機械的な動きを極端に推し進めてほとんど体操と変わりがないような舞台もある。だが舞踊が体操と競い合うような事態になると、ダンサーたちはいずれ体操選手のまるで死をかけたような突進や跳躍や回転とも互角の闘いを強要されることになる。むろんそうなればステージはもうほとんど体操だけでいいわけで、舞踊は歴史的役割を終えて消滅する。しかし貞松・浜田バレエ団が「創作リサイタル16」で発表した2つの新しい作品は、舞踊家たちが機械的な動きを採り入れながらその裏で本当は何を開拓していたのか、そこを明快にあかしてくれる舞台になった。実のところ、運動選手たちが合理的な方法で肉体の可能性を究極まで開発し尽くそうと試みてきたのとは反対に、舞踊家たちはむしろ肉体に重厚な非合理世界を、すなわち密度の高い迷宮を再建しようと力を注いでいたのである。
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 その2つの新しい作品とは、現在イスラエルの舞踊団で芸術監督として活躍している稲尾芳文がこのリサイタルのために神戸を訪れて振り付けた新作「スキン・グラフト」、そしてフランスの舞踊家ティエリー・マランダインが1994年に創作して今回が日本初演となる「キエロ」である。プログラムからそれぞれの作品メモを読むと、「スキン・グラフト」は肉体感覚から遠ざかり続ける現代にあらためて自己の肉体との対話を考えてみたいというのが狙いのようで、一方「キエロ」はもともとマランダインが彼の属するバレエ団のダンサーたちへの讃歌と感謝の舞踊として振り付けたものという。創造者の気質も創造の動機も表現の方法も大いに異なる作品というわけで、したがって両者の差異についてもずいぶんたくさんのことが語れるのだが、他方、シンプルな衣装でシンプルな動きを連ねながらモチーフを際立たせていくという表現の骨格のところでは両者は厚い共通の地層を持っていて、無論ここで採り上げたいのはその共通の基盤の方だ。
 まさにダンスにおいて彼らのようにシンプルであることは、美しくも先鋭な反逆の形だといわねばならない。「白鳥の湖」の歴代の名花たちは舞台上で白鳥になりきるために全力を投入した。悪魔ロットバルトの呪いに、より積極的に、より完璧に掛かってしまうこと、言い換えればかぎりなく人間から遠ざかることが美であった。人間から離陸して白鳥という別の意味に乗り移ること…。だがわたしたちの時代の創作家たちは、逆にダンサーたちを悪魔たちの呪いから100%取り返そうとするのである。じっさい今日において卓抜な振付家の仕事とは、舞台の上の空間と時間の隅々にまで一つの強力な芸術的ワクチンを注入することにほかならない。そのワクチンが白鳥の群れや眠りの城やお菓子の国の蜃気楼をステージに幻視するような、そのような華麗で奇怪な熱病からダンサーたちを目覚ませる。
 もちろん優雅な白鳥へのあこがれをいまだ忘れられないわたしたちは「スキン・グラフト」にも「キエロ」にも、幾度そこにおとぎばなしの蜃気楼を見ようと身構えたことだろう。愛があればそこから恋愛の悲喜劇が展開されるはずであり、出会いがあればいずれ別離の大団円が来るはずであり、つまりここからまた新たな千夜一夜物語が絢爛豪華に始まるに違いないと。だが21世紀の振付家たちは巧妙かつ慎重である。夢見の道へ迷いだす夢遊癖を押しとどめるための制動装置をダンスの中に仕込む術を心得ているのである。どのような際立った動きであっても、それはそこに長くとどまることはなく、生まれるとほとんど同時にそこで終わる。千のきらめきが続いて起こるが、しかし千の物語は始まらない。千の短詩がひたすらに連なっていくわけだ。ではそれらを貫いて本当に流れているものは何なのか?
 白鳥ではない。眠りの姫ではない。お菓子の国の王子ではない。では何が…? 残るのはただひとつ。人間である生身のダンサーそのひとにほかならない。それにしても、もはや白鳥でもなく姫君でもなく王子でもなく、それでいてなおそこにいる人間とは、これは一体どのような人間なのか。答えは実はごく簡潔なひと言で尽くされる。ほかでもない、それはあなた(もしくはわたし)である、と。舞台の上で今そのように踊っているのは、あなたでありわたしである。現代舞踊を見る今日の観客は、鏡の中に自分を覗き込むのと同じ姿勢でステージを見つめるように仕組まれる。すると観客たちはそこでおのおのに出会うのだ、「わたし」というとほうもない迷宮の風景に。130年目にマリウス・プティパが幻想のお城を築いたその同じ場所に現代のコレオグラファーは「わたし」という迷宮を立ち上げる。
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 体操選手はより速く走るために、より高く跳ぶために、より鋭く回転するために合理的な訓練を積み重ねる。肉体が持つ個々の具体的な能力をそれぞれの方向へ放射状に伸ばしていく。全体的な能力を平均的に持つよりも一つの種目に秀でること、一つの機能において万人を格段に秀でること、それが金メダルの意味である。その美意識は現代の文明が驀進している機能的な方向と何と相似的であることか。
 だが舞踊はいま、あえて再び全体にとどまろうとするのである。ダンサーたちはむろん合理的なレッスンによって肉体を鍛えるが、それは金メダルのためではない。むしろメダルが共通の価値の尺度となるこの文明のくびきを超えて、人間としての全体を取り戻すこと。そして真に全体であることとは迷宮であることにほかならない。「スキン・グラフト」の幾何学的な動きの中からやがて愛の情感がにじみだすのは、そこがまさしく迷宮の奥座敷だからである。
貞松、浜田バレエ団の特別公演「創作リサイタル16」は04年10月23日に神戸文化ホールで開かれ、上記2作品のほかに貞松正一郎の総演出で「トリプル・オン・ワン」が上演された。かつてそこでレッスンに励んだダンサーが懐かしいスタジオを訪れて思い出に耽るという設定。川口竜也、森優貴、吉野早織の振り付けで、タップやヒップホップなど他ジャンルへの挑戦も試みた。 STAFF  芸術監督 貞松融、浜田蓉子/照明 柳原常夫、ライティング・セブン/音響 赤澤源治/舞台監督 坪崎和司、今田満和/プログラム 殿井博/舞台写真 岡村昌夫(テス大阪)

CATnote

Sadamatsu-Hamada Ballet Company gave the 16th CREATIVE DANCE RECITAL at KOBE BUNKA HALL on October 23. They presented three original works: "Quiero", composed by Thierry Malandain, "Skin Graft" by Yosifumi Inao and "Triple on One" by Syoichiro Sadamatsu. They endeavored to clear their new vision of the dance art by means of contemporary style.

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Cahier
   04.11.16
    Rodoney Prize
神戸の市民の中から生まれたロドニー賞の第14回受賞者に「1000人のチェロコンサート」を実現した松本巧さんが決まり、授賞式が神戸元町のKOBE FUGETSUDO HALLで行われた。正賞は六甲山の御影石で制作された小林陸一郎さんの彫刻作品。松本さんは内外のチェリスト1000人(プロ、アマ)による大コンサートをすでに2回神戸で成功させ、2005年も巨匠ロストロポーヴィチの指揮で5月22日、神戸ワールド記念ホールで開催。「震災後の神戸を元気づけてくれてありがとう」というのが授賞理由。コンサート詳報はhttp://www.ICC-inKobe.com



















KOBECAT 0003
04.10.04 大阪 MIDシアター
神澤創作舞踊研究所公演「こころ」
 


――現代のシャーマン・神澤茂子――
■山本 忠勝

しろ無造作にステージに置き忘れられたように見える白い大きな布の塊。ひっそりとそこに鎮まっていたそのモノが、ひとりの舞踊家の登場でにわかに強いイメージを持ち始める。舞踊家はごくわずかな動きしかしないのに、そのわずかな動きに呼応して布が今や岩になる。山になる。森になる。神のようなものになる。それどころか神の遺体のようなものになる。舞踊家は神澤茂子。いたるところから魂を立ち上がらせる、まさしく現代のシャーマンだ。
 創作舞踊「こころ」は夫の神澤和夫氏が急逝して後に彼女が創った初めての舞台である。和夫氏は愛する夫であるとともに、彼女が最も強い信頼を寄せてきた現代舞踊の同志であった。「未だことがらが理解出来ず困っております」というほどに彼女の喪失感は大きくて深い。周囲もまた彼女の深刻な打撃を案じてきた。だがその痛苦の中でこの稀有な舞踊家はこのうえなく偉大な舞台を生み出した。
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   「こころ」は4つの章でつくられた作品である。まず「いどむ」、次いで「いきる」「山にかえす」「そだつ」である。茂子自身が「山にかえす」の章をソロで表現、そして前後の3つの章を中堅・若手のダンサーが群舞で踊った。ソロの情念的・呪術的な表現と群舞の論理的・幾何学的な表現のコントラストが際立ったが、特筆すべきは彼女の強力な呪術性が群舞の幾何学に熱い息吹を吹き込んで、作品全体に深い生命感をみなぎらせたことである。生命感がみなぎるとは、人間と自然と宇宙の3つの相を貫いて滔々と流れているあるデモーニッシュなエネルギーが舞台に見えてくるということだ。いったんは死んでいった神々がそこに甦るということだ。もちろん神々のなかに神澤和夫も甦る。
 夫・和夫氏はおそらく本質的にはあふれるばかりの叙情的な感性の持ち主だったが、たぶんそれゆえに却って情感へ流れることを自己に禁じて、舞踊の構成的ないし幾何学的な側面を厳密に掘り下げていった舞踊家だった。この禁欲的な冒険は空間的な「場」そして時間的な「流動」の意味を現代舞踊の中で深めるうえでひときわ豊かな啓示をもたらしたが、その厳格な創造姿勢は己が心身を削るようにも見えたものだ。彼は自ら重い荷を選んで、未踏の地平へ踏み出した。まさしく芸術のデーモンに取り憑かれるとは、このような生き方のことである。
 あるいは神澤茂子は夫への鎮魂のダンスを踊ったのか。いや、十中八九そうではあるまい。彼女が和夫氏を「山にかえした」としたら、それは夫の魂にみずみずしい山の精気を再び吹き込むためであり、彼の舞踊精神をいっそう生き生きとこの世界で活動させるためである。彼女が頭上を仰ぎ見たとき、そしてゆっくりと中空を指差したとき、わたしたちは「彼」が嬉々として山へ飛んでいくのを見た。いかにも喜びに満ちたあの飛翔、あれが離別の哀歌などであるはずがないのである。むしろ私たちは彼の死によって彼と本当に出会うのだ。
 そしてさらに重要なのは、軽やかな彼の飛行が茂子の厳粛なダンスによって私たちに示されながら、その飛行が同時に彼自身がそこに現れてそこで踊る"KAZUO's DANCE"でもあったということだ。夫はいまや妻の踊りのなかで妻と一体になって踊っている。しかもシーシュポスの岩のような大きな荷物を妻の愛によってほどかれて、心の底から舞踊の喜びを踊っている。彼が切り開いた強靭な構成美を十分に楽しみながら、そのうえで伸び伸びと彼の生来の資質である豊麗な叙情の歌をうたうのだ。舞踊の鬼は妻の踊りのなかで自在な自己へ解放された。
 神々のおびただしい遺体もまたこの夫妻の創造的なダンスとともに美しい蘇生へと向かうだろう。

STAFF 音楽監修 木本敏夫/舞台監督 長島充伸/音響 加藤陽一郎/照明 新田三郎/美術 千葉綾子/制作 森田千秋・藤井和章/写真 Nancy Enslin

CATnote

Sigeko Kamizawa and her dance company presented the original modern dance program "KOKORO", which means spirit of a human being and perhaps spirit of universe as well, at MID theater in Osaka on October 2. This stage was her first work after her husband Kazuo's death. Kazuo was a progressive dance composer and of course the best partner of his wife's art. Sigeko expressed her husband's artistic spirit with her strong respect and deep affection for him on her mystic stage.

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KOBECAT 0004
04.08.22 新神戸オリエンタル劇場
藤田佳代舞踊研究所モダンダンス公演「ハスミのダンス」
 

――澄明な天使――
■山本 忠勝


の半世紀余りは個性の時代といわれてきた。正確にはむしろ個性に執着してきた時代である。だがモダンダンサーの安田蓮美は決して自分の個性にこだわらない。彼女はダウン症を担っている。まさしく踊るために生まれてきたに違いないダンサーだが、自分が踊っている踊りのテーマやモチーフをどのような形で意識の上にとらえているか、「そこは私にも奥まではわからない」と安田の師でもあり振付家でもある藤田佳代氏も言うのである。中心で動いているものは何なのか、彼女は他の多くの雄弁な舞踊家のようには自己分析をしないのだが、しかしそれにもかかわらずハスミのダンスは人びとの心を打つのである。おそらく個性を武器にしているだけでは到達するのが難しい明るくおおらかな美の世界を彼女が表現するからだ。

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 雪と戯れる天使を踊った。風の中で帽子を追いかける人形を踊った。お姫様を恋する少年を踊った…。しかし踊ったというだけでは十分ではない。彼女は一瞬にして王女になったシンデレラの奇跡さながら、気品に満ちた天使になった、愛くるしい人形になった、夢見る少年の目になった。この私たちの目の前で。
 天使がそこにありありと現れたときの驚きと感動を思ってほしい。
 とても不思議な構造だ。天使が人びとの心の上にどんなにすがすがしい光を投げかけ、どんなに生きる力を与えるか、そういうことをこのダンサーが自ら掘り下げることはおそらくない。私たちもまた彼女がほかのダンサーのように舞踊の理念や技術のことで苦悩したり葛藤を起こしたりすることがないのを前もって知っている。論理的な分析のレベルで言えば、ここには舞踊芸術を支えるべき哲学的な柱がない。ところが私たちはそこにまざまざと天使の降臨を見るのである。一点の曇りもなく踊ることに打ち込んでいる天使。観念の仮象としてではなく、現実の存在として私たちは目の前に天使を見る。
 澄明な天使! ふたたび言おう。天使のダンスを眼前にして心を動かさずにいることなどできないと。
 むろん彼女の資質を開花へと導いた師・藤田佳代氏の力は大きい。とりわけ藤田氏の舞踊理念がこの天使のステージの強固な背骨になっていることは注目しておくべきことである。藤田氏にとって舞踊とはおそらく宇宙の中心で働いているなにものか、超越的な大きなもの(神か?)への地上からの捧げものであり、祈りであり、問いかけである。ここからそこへ送り届ける魂の形である。安田蓮美はその魂の形になるのである。
 それにしてもあんなに大きな偏愛を個性に捧げてきたこの半世紀とは何だったのか。むろん権力を握っている者たちの圧倒的な力から個人の個性を守り抜くこと、これは政治と経済と社会の現実の力学の中ではきわめて重要なことである。それは人間を単に記号としてしか見ないものたちの前で人間の無限の内側を守ることだ。だが芸術の世界では…? もともと個性の自由な羽ばたきが前提にあるのが当然のこの世界で、なおかつそこで個性が偏愛されるとは、それはむしろ芸術を個性の殻に縛ることではないのだろうか。無限へと自由に広がるはずの人間の精神を個人の殻に封じ込めることではないのか。
 ハスミのダンスが心を打つのは、個性的な舞台だからでは決してない。ハスミが純粋に、無限のなかで踊るからだ。

 MUSIC 佐藤泉(バロックバイオリン)大塚直哉(チェンバロ)  STAFF 振り付け 藤田佳代/照明 新田三郎/舞台監督 長島充伸/音響 藤田登/衣装 藤田啓子/美術 アトリエTETSU/宣伝美術 鎌田早恵/アナウンス 有村茉佐子/生け花 鍛冶都美甫

CATnote

Hasumi Yasuda, 24, a modern dancer with Down's syndrome, had her first recital "Hasumi's Dance" at Shin-Kobe Oriental Theater on August 22. She began dance training at Fujita Kayo Modern Dance Institute in 1996 and got the first place at the barrier-free section of the 6th Kita-Kyusyu & Asia National Dance Contest in 2001. Her stage moved people deeply with her pureness, brightness and clarity.

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Cahier
   pre-preview
     Drama? Art?
演出家で劇作家の鶴岡大歩氏が05年5月27日から3日間、神戸港の篠崎倉庫で発表する計画で、新作「ナム numb」の制作を進めている。港湾施設として造られたコンクリートの空間に、構造体や音、映像、言語などさまざまな表現手段を組み込んで、そこに登場する人物も演劇の主人公というよりむしろ構造の一部として意味づけられるようである。「いま私が伝えたいことを煮詰めていくと、そのような表現の形式を選ぶほかないということなんですが、しかしこれをなお演劇と呼んでいいものかどうか、自分でも迷っているんです」。 誤爆の犠牲になりながらただ数字として累計されていくだけのイラクの市民、大津波の中でひとりひとりの苦しみや恐怖、不安が沸騰していたはずなのに、それを10何万という数字の中にむしろ非在化されてしまう犠牲者…。人間の身体が見えないこの現代という時代への大きな違和感が制作の根底にあるようだ。
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KOBECAT 0005
04.12.9〜12.14 神戸 元町画廊
嘉納千紗子展 「beyond a wire fence」

――有限と無限 その奇妙な構造――
■山本 忠勝


の軸と横の軸とを繰り返し交差させて作っていく格子。だがこの格子というのは考えればなかなか不思議な構造を持っている。おびただしい十字型を編み出していく鉄や木や竹の素材は、まずは無限な空間を有限に仕切るものとしてそこに差し渡されていくのだが、しかしそうして区切られた小区画が本当に有限の空間に封じ込められているかというと、どうもそうではないのである。ひとつひとつは一見小さくて窮屈な区画だが、ところがそれを2分の1に、4分の1に、さらに16分の1に、256分の1にと、どんどん分割していくと、すぐに予測がつくようにこの分割はいくら進めていっても果てしがない。無限に続くわけである。有限と見えたものから入ったはずが、私たちはいつしか無限へと出てしまっていることになる。嘉納千紗子の鉄を素材にした格子シリーズ「beyond a wire fence」は、この有限と無限の魔法のような構造をエレガントに表現する。

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 繊細といっていいほど軽やかな鉄の格子を中核にして、その格子のバックに寒色や暖色の彩色平面を配置した“二重構成”の作品である。「今はひとがお互いに心を閉ざしあっている時代ではないでしょうか。この寂しい状況に向かって私にできることで私なりの訴えをしたかった」と作家は制作の動機を語っているが、なるほどもう一つの作品群「color wave」でもアクリルの微妙なグラデーションを生かしながら胸うちの波動のようなものを丹念に出しているから、彼女が現代人の心の形に深い関心を払ってきた作家であることは間違いない。ただ時代や社会への芸術的訴えが作家たちの強い意欲にもかかわらず何かしら想像力の鈍重な“既視的”作品になってしまうのもしばしば目撃することで、ここでもその罠の危険がにおわないではないのだが、しかし彼女がまさしく「私にできることで私なりに」そこを超えているのは見事である。彼女の格子たちは形からいえば確かにひとを閉ざしてしまうものなのだが、魂まで禁固するものでは決してない。むしろ見方によっては、つい忘れてしまっていた魂の豊かさに気づかせる契機ともなるものだ。私たちはこの精巧な格子を介して、逆にどのような格子によってもついに封じられることのない人間の無限の心の広がりをともに発見し合うのだ。
 美しい成功。そこにはまず着想が生まれるうえで、次に着想を広げていくうえで、そして技法を選択するうえで、必然と偶然のさまざまな働きがあっただろうが、成功の最も大きな秘密はたぶん彼女の心のこまやかさだ。鉄が人間にもたらした幸福と不幸のいずれが深いかを判定するのはそう簡単ではないのだが(ヘロドトスは災厄をもたらしたと語っている)、彼女はデリケートな感受性で獄舎の厳しい鉄格子を却って魂の透け見える優雅なスペクトルに変えたのだ。未曾有の拷問でしばしば心を疲弊させてきたこの素材で、心の甦りを演出する。すぐそこから無限が始まっていることを現代の疲れた意識に端正に指し示す。…それにしても、いかにも鉄の使い道というものは、愛に問うてこそ真に豊かなものとなる。

CATnote

Chisako Kano held an exhibition of her art works at MOTOMACHI GAROU in Kobe from December 9 to 14. Her most impressive series “beyond a wire fence”, in which there were her works made of iron grids, suggested a marvel structure of the finite and the infinite. The artist has concerned herself about the isolated feeling of our age. She is making a wish for spiritual co‐understanding through her abstract works.



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Cahier
   04晩秋〜冬
Successful Tour
photo-rumi.jpg サイズ:19.57KB ピアニストの伊藤ルミ氏がチェコを代表する国際的チェリストのミハル・カニュカ氏とヨーロッパをツァー。大成功をおさめた。コンサートはドイツ、スイス、オランダ、チェコの4カ国の5ホールで開かれ、いずれも大きな喝采を受けたが、とりわけ由緒深いアムステルダムのコンセルトヘボーでは聴衆を総立ちの興奮にまで高揚させる演奏となった。伊藤氏はこのツァーのために彼女が深く愛するラフマニノフの「チェロソナタ」を自ら希望してプログラムに加えたが、このピアノにとっての難曲も人びとの心を深く動かすことになった。国境を越えてひたすら心に呼びかけることをわが道と考えているように見えるこの演奏家にとって、今回の成功はその真摯な道にまた新しい扉を開いたことになる。




KOBECAT 0006
04.12.16〜12.24 神戸・三宮 ギャラリーほりかわ
長畑嘉子 芝居絵シリーズ
――反神戸的? 土俗の魂のにおい――
■山本 忠勝


戸で生まれ育った者にとって「都市」というのは土の香りとか土俗の空気からは遠く離れた、むしろ無国籍的といってさえいいような透明で明るい領域だとつい考える慣わしがついているから、都市の中の都市のはずの首都・東京に通うことになったりすると、新宿や銀座に濃厚に浸透している土の気配、とりわけ東北の重厚で不透明な大地のにおいに遭遇して鋭く驚くことになる。つまりは獰猛にさえ見える東京の都市力はその底に実は強大な田舎力を潜めていることを思い知らされ、これには勝てないナ、と舌を巻くことになるのだが、と同時に最も純粋な意味での都市性のエートスはこの国の歴史の表層を浮島のように漂流してきたわが神戸にこそあるのではないかと省みたりもするのである。だがその漂泊都市にもまれにだが土俗のにおいが甦るときがある。神戸生まれで神戸育ちの画家・長畑嘉子。彼女のユーモラスな芝居絵が醸しだす奇妙な反神戸的空気! 完璧な人工のコンクリート空間に一声ひびく遠方からのこだまである。

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 エー、ご新造さんへ、おかみさんへ…、とだんだんに凄みながらお富さんへ詰め寄っていくゲンヤダナのあの見せ場の、といってもドスをきかしているというよりはむしろお富さんゴッコに興じている若ボンみたいないささか軽い切られ与三の姿がある。いましも山鹿流の陣太鼓を打ち鳴らさんと身構える大石内蔵助の色めくというよりはむしろ愛嬌たっぷりな寸詰まりの姿がある。お蔦が二階から垂らした蝦蟇口をありがたく貰い受けようと身を伸ばす腹ペコ茂兵衛の悲痛というよりはむしろノーテンキな姿がある。しばしば一匹のトラ猫が画面の端のカブリツキから観客顔で見上げている長畑嘉子のどこかとぼけた芝居絵シリーズ。「私はまだ画家と呼ばれるような立派な仕事はしていない。二紀展で自分の絵を掛けてもらっているのを見るたびに、また今度も奇跡が起こってくれたと思わず跳び上がっているんです」とはにかみながら語る画家の、そのとらわれのなさこそがこの自由な画風の一番の背景だろうが、それにしてもこの画家が神戸の、それも二紀会の流れの中から生まれてきたことには驚かされる。
 都市神戸の空気を感じさせる表現者には作家なら稲垣足穂、詩人なら竹中郁、画家なら小磯良平や東山魁夷ら、とりわけ光に鋭い感受性を示した人びとが数えられるが、もう少し突っ込んで神戸の精神構造ないしは無意識の暗部にまで触れるとなると、20年前に不可解な死を遂げた二紀会の画家・鴨居玲が象徴的なひとりとして挙げられるのではなかろうか。鴨居が自分の作風を完成、成熟させていった1950年代そして60年代の20年間を思想史の面で振り返れば、そのころの若い知識人や芸術家はおしなべて片やマルクス主義、片や実存主義の波にもまれながら自己形成を進めるといういささか複雑な二重構造の状況にあったのだが、鴨居はその中で明らかに実存思想を体現する画家として制作を貫徹し、そして彼が生きた当時の神戸はまさしく実存的な空気に満ち満ちた街としてこの国をユラユラ漂っていたのである。神戸まつりが歴史上先例のない“神なき祭り”としてスタートするのが、ちょうど実存哲学がピークを越えて退落へと転じる1971年だったというのもいかにもシンボリックなことであって、ただ今から考えればこの途方もない人間中心の全市民的楽天主義には、それによって実はひとの心が救済されるのに必要な精神的心柱(シンバシラ)を心の中心部から外へ放り出してしまうという無謀で危険な裏の顔もあったのだ。おりからの高度成長の波にも乗って市民は浮かれ、人間は独りでも十分に生きていけるしそれどころか神を超える超人は孤独者なのだというあまり根拠の定かでない自信を持ち、だがそれに伴って、おしゃれな人びとが行き交う陽気な街と孤独な自分の部屋との間を往還する彼の足元にはいつもポッカリと死が口を開くこととなり、みんながその暗い穴を忘れようとふるまいながら、逆にその奈落を片時も忘れられなくなるという怪異な宙吊り状態に見舞われることにもなったのだった。かくして暗部にこのうえなく過敏だった画家・鴨居玲は執拗に寄せてくる死の不安から逃れるために、あえて自分の正面に死を見据え、自ら死への接近を企てていくという攻撃的敗北の道を選択する。自殺願望を暗に示す何通もの手紙…。そしてついに1985年秋、自死とも事故死ともつかない不可解な最期を遂げることになる。
 
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 だが孤独な群集の住まう漂泊都市がまるごと死神の巨大な翼に覆われたとき、街中のひとがこぞって大きな相互愛に目覚めたというのは、恩寵だろうか、奇跡だろうか、皮肉だろうか。鴨居の死から10年後に神戸は大震災に遭遇するが、そこで市民が見せた実際の行動はおそらく画家の暗鬱な想像をはるかに超えるものだった。祈るべき神を保ち続けてきたひとたちがいっそう広く深い愛で被災民の救済に乗り出したのはごく自然なこととして、他方すでに神は死んだと思い込んできた圧倒的多数の人びとも隣人を助けるために即座にそして懸命に自らの手と足を動かした。漂流都市は漂流のサガから逃れることはできないが、それでも目には見えない根茎がどこか地底(水底?)の奥深くにつながっていることをこのとき否応なしに自覚する。途方もなく大きな愛がだしぬけに自分の体の底から立ち上がってきたのを見て、だれもが驚き、そういう自分に感動した。そして長畑嘉子の土俗の香りがぷんぷんする反神戸的芝居絵がスタートするのもこの前後のことなのだ。嘉永水滸伝の国定忠治、源氏店の場のお富と与三郎、忠臣蔵の内蔵助、一本刀土俵入りの駒方茂兵衛…。それら歌舞伎、浪曲、村芝居のヒーローやヒロインたちが、二頭身や三頭身のいわばマンガ的寸法でペーソスも豊かに登場して、都市の再建と歩調を合わせて増殖していくことになる。
 「絵というものは対象をその通りにとらえなければいけないものだと考えて、最初のうちは一生懸命写実的に描いていました。けれど不意に、絵はもともとどのように描いても自由なはずのものなのだから、自分がワクワクする形に描くのが一番誠実な行き方ではないのかと、そう思えてきたんです。本当に心の底から描きたいと思うものを描かなければ…。その絵が、今の私にはこれなんです」
 しかも話を聞いているうちにますます確信されてきたことだが、忠治も茂兵衛も切られ与三も実はたまたまの思いつきでひょいと頭に浮かび出たそんな気軽なモチーフでは全然なかったのであった。なかったどころか、ひょっとしたらこれは表向き過剰な光に輝いてきたモダン神戸のもうひとつの原風景だったかもしれないのだ。
 長畑の父はどうやらイナセな気風のひとだったらしく、いろんな職を転々とした後に三宮ですし屋を開くことになるのだが、そのころの父親は幼い嘉子を連れて新開地の芝居小屋へ通うのが大の楽しみだったようである。今の新開地は、幕末開港後の居留都市・神戸が新しい時代へ進むたびに繰り返してきた都市的脱皮の、その最後の抜けガラのような位置にいささか物悲しく甘んじているのだが、戦前、戦中、そして敗戦後もしばらくは神戸ばかりか関西一円の大衆文化の核であり坩堝であった。映画全盛時代のまぶしいばかりの封切館が神殿さながらに威容を誇っていた一方で、今ならたちどころに上演差し止めになりそうな怪しげな見世物小屋が堂々と呼び込みの声を上げていた。猥雑な繁華街ではあったのだが、しかし豊饒な文化を生み出した名だたる都市でそのふところに猥雑な界隈を持たなかった街なんかあっただろうか。そしてその新開地に往年の残照がまだいくらか残っていた幸運な最後の時期、将来画家となってその空気を描かなくてはおれなくなるチャーミングでおマセな少女が、父と一緒に目を輝かせながら舞台を見上げ、役者と観客の応酬に目をみはり、何よりも多種多様な人びとが命の鼓動を分厚い和音のように響かせ合うのを膚で感じていたのである。となると、もちろん時代はうんと遡るが、20世紀初めのほぼ同時期にこの新開地文化圏で2つの対照的な精神が誕生していることに私たちは思い至らないではいられない。ひとつは、めくるめく光に満ちた近代アメリカ社会の蜃気楼ハリウッドを貧しい日本に先陣切って紹介し続けた映画評論家の淀川長治。もうひとつは、反対に闇に満ちた日本の土の「気」に分け入ってオドロオドロしいミステリーを書き続けた作家の横溝正史。光の系譜と並行して闇の系譜が紡ぎだされてくるのである。光と闇の混淆がその猥雑な街の奥行きをつくっていて、それが少女の鋭い感受性の滋養に変わり、やがて創造のエネルギーへと醗酵する。
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 さて、憶測と独断で綴り合せた粗書きながら、それでも長畑嘉子の不思議なビジョンの輪郭をこれで少しは描けたのではないかと思うのだが、結論へ向かう前にどうしても強調しておかないとすまないのが、残照の新開地に追い討ちのパンチを打ち込むことになったあの大地震、あの都市直下型の大変動が全神戸にとっての大きなパンドラの箱だったということだ。その瞬間、神戸の街には東西を縦断するようにザックリと裂け目が開いて、地下で解き放たれた大きな闇が一気に裂け目から溢れ出し、6000人をゆうに超える人びとを悲痛な死へとさらっていった。ほとんどが数センチあるいは数ミリの危うい奇跡で大カオスから抜け出した人びとも、そのときから無限大の重圧を半永久的に担っていくことになったのだった。この街ではいまやだれもが死者の重い記憶とともに生きている。しかしあの瞬間、希望もまた忘却の底から甦っていたのではなかったろうか。全市が恐怖で震撼した厳冬の未明の、それにしても、あの直後の天空の荘厳さと地上の静けさ、そして大氣の清冽さと地底の深さ…。20世紀の100年間をまるで死体のように沈黙の中に籠もってきた神々がその刹那、大挙して大いなる蘇生に臨んだようには見えなかったか。六甲・摩耶の連山の神々、瀬戸内・大阪湾の海の神々、生田・住吉・湊川の川の神々、峡谷ごとの竜の神々、さらに空の神、樹の神、風の神…。犠牲者への愛惜はこの先も決して尽きることはない。だが、ときあたかも払暁、天と地の間でひとがあれほどに厳粛な死を迎えたことが、はたして近代のどこかの都市であっただろうか。そしてひときわ暑かったあの年の夏、ビルが倒壊して地層がえぐりだされた大地から忽然と現れた真っ青な雑草たち。コンクリートとアスファルトで封じられた暗黒にあんなにおびただしい生命が、それも何10年にわたって眠り続けてきていたとは! 都市の下に塞がれていた無数の種子たち、私たちにはそれが地底できらめく星の子供たちのように思えたものだ。そうなのだ。長畑嘉子の芝居絵はまさしく都市の底から力強く溢れてきたこの雑草たちの輝きと同じ輝きを放つのだ。同じようにみずみずしく。むしろもっと思い切って言うべきか、これは神々の甦りだ、とストレートに。
 鴨居玲が生きていればことし喜寿(77歳)を迎えたはずだ。喜寿を迎えても彼が独自の孤独な実存的スタイルを変えることはなかったろう。だが後輩の女性画家の自分とは対極ともいえる仕事に対して暖かい微笑みをおくるほどには十分に変化していたに違いない。都市神戸はむろん特異な漂泊の歴史を踏まえたうえでのことではあるが孤独な群集の時代を乗り越えにかかっている、少しずつ。
 長畑嘉子の芝居絵シリーズは、彼女の娘みどと一緒にギャラリーほりかわで開いた「オクマー展」で発表された。母娘の2人展はこれが初めて。娘みどはシンガーソングライター、商業デザイナー、イラストレーターなどとして活躍するマルチアーティストで、母親とは対照的に鮮やかな色彩とくっきりとした線を用いて自らのファンタジーを半ば“抽象童話”のように描き出す。

CATnote

The art scene of modern KOBE has been often characterized by its particularly bright and clear style, which we can see in Iku Takenaka’s poems, Taruho Inagaki’s novels and Ryouhei Koiso’s pictures. But recent works by Yoshiko Nagahata, a female painter in this city, are quite different. For her creations, she has inspired by the Japanese popular dramas. Those dramas arise from local customs in this country and are rather opaque. She seems to be seeking the old various souls in ancient Japan.



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Cahier
   05.01.14〜19
 New KOBE, Old KOBE
近代神戸はもともと大輪田の泊いらいの古い港町・兵庫そして幕末の開港によって誕生した新しい港都・神戸との二重都市としてスタートした。都市機能が新都の方へ傾くに従って旧都は徐々に影を薄め、1995年の大地震はそれに追い討ちをかけることになったのだが、興味深いのは震災の大破壊と再建で神戸がいっそうモダナイズされるにつれ、旧都・兵庫への市民の思いが却って深まっているらしいことである。スペインの風土を描き続けてきた徳永卓磨さんは生まれ育ちでいえば新都(灘区)の人だが、この10年間スペインへの情熱を抑えてまで制作に日参したのは、兵庫の西出町や東出町など旧都の臨海域だった。妻幸子さんと一緒に三宮のサンパル市民ギャラリーで開いた2人展で二重都市・神戸のその“旧都シリーズ”を発表した。
震災で自らも家が全壊した徳永さんが自らの都市に向けて最初に起こした行動は、全市を隈なく歩き尽くすことだった。そして辛うじて破壊を生き延びた兵庫地域の古い町並み、とりわけ路地の光景に心を惹かれることになる。向こうに錆びたドックが見える狭い道。そこには港湾で働く男たちを常連に小さな食堂や飲み屋、喫茶店が一時代前からのおっとりとした屋号で並び、いまだ戦後の面影を残しているしもた屋も何気ない顔で間に挟まって建っている。まるで時間がなかったかのような下町空気。風が濃厚に海の匂いを運んできて、驚くほど近くからタグボートの重々しいエンジン音が響いてくる。

時宗の開祖・一遍上人(鎌倉時代)の終焉の地でもあり、俳人・蕪村(江戸時代)もたびたび訪れた旧都・兵庫は、新都の方が明治維新前夜の開港までほとんど農耕地だったのに比べると歴史のヒダは格段に深い。近代に入ってからはいちはやく川崎重工や三菱重工といった国家的な基幹産業のベースになって、それがために世界大戦の大空襲では最重点の標的とされ、往年の面影は火焔地獄の中でほぼ完全に潰えるのだが、しかし都市というのはまさしく人のつくる時空の妙味、歴史の厚みはそこに住む人の情に深く残るようである。徳永さんはこう話す。「私は現場制作なものですから、絵によっては何カ月も路地の一角を占有し続けることになる。ほかの町では昨今しばしば冷たい視線を浴びせられて肩身の狭い思いをしますが、ここだと土地の人の方が気を遣われて、そっと後ろに回っていかれる。こまやかな心遣いに、ありがたいな、と胸で頭を下げてます」。
展覧会場も特別な空気になった。「へえぇ、あそこが絵になるとこうなりますか。つまらん所だとずっと思ってきましたが、なかなか捨てたものじゃないですね」。絵を眺めるというよりも、絵の中に入っていって路地を歩き、町の味わいをあらためて発見している目なのである。徳永さんは自分の作品に人物はほとんど置かないが、その静かな画面に漂っているのは結局のところ画家の背後を物音立てずに抜けていった町の人びとの心であり、かくしてここでは絵を介して人の心と人の心が出会うのだ。
それにしても、神戸港の新しい人工島にモンスターみたいなコンテナ船が横付けになっているのもなかなかシュールな景色だが、古い民家の昔ながらの瓦屋根にいきなり1万トンクラスの貨物船の大デリックがそびえているのはそれ以上にシュールな景色ではなかろうか。




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KOBECAT 0007
04.11.21 神戸文化ホール
貞松・浜田バレエ団「コッペリア」
     
――科学と呪術のはざまをユーモラスに――
■山本 忠勝


力というこの途方もない魔物! バレエのダンサーたちが日々その重いクビキをふりほどこうと果敢な挑戦を試みている、それは宇宙的な魔物である。だがこの大魔王はあるいは倒錯的な気性の持ち主かもしれない。偉大な彼の魔力に最も強く反発し、最も遠くへ逃走を企てる反抗者を、かえって最も美しく輝かせる。ロットバルトが彼をいちばん憎んでいるはずのオデットを最高に高貴な白鳥に仕立てたように。すると上村未香は魔王に深く愛されているプリマだというわけだ。彼女はいまや空気の精のように軽やかに、実際わずかな足音をたてることもなく、むしろ舞台から終始5、6センチも浮いたところで町娘のスワニルダを踊るのだ。陽光が降り注ぐ明るい広場で、そして一転、機械人形たちが不気味に並んだ薄暗い実験室で…。貞松・浜田バレエ団の「コッペリア」公演は、まるで無重力世界を自らの周りに織り出すようなプリマ未香を軸にして、澄明で、豊麗で、神秘的な舞台をつくった。  

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 さてバレエの話のはずなのにいきなり妙な方向へ走り出したように読まれそうで心配だが、アインシュタインの一般相対性理論によると、無重力の空間というのは重力(引力)の場のまっただ中にもまずは思ったより簡単に現れる。早い話エレベーターのワイヤがプツンと切れて鉄の篭がどんどん落下を始めると、篭の中と篭の周囲にたちまち重さを感じさせないその特異な領域が生み出されてくるのである。そこでとりわけ面白いのは、無重力の場というものがある程度の広がりを持って周りの空間にも“浸透”するらしいということだ。いうなれば無重力の波紋の拡がり! まさしく「コッペリア」の上村未香がそうだった。今のバレエ団のメンバーでは上村はどちらかというと小柄で華奢で控えめに見える方のバレリーナだから、カリスマ的に全体をぐいぐい引っ張っていくタイプでは決してない。だが彼女が舞台に出てくると、まるでそこだけ空気の密度が変わるようにたちまち軽やかな空間ができあがり、精霊のような跳躍が彼女のみならず彼女の周りで踊るダンサーにも広がっていくのである。むしろ極めて日本的な在り方のプリマだというべきか。カリスマとは反対に自らを殺して空になっていくことで、全体を自由で明るい美の世界に変えるのだ。  
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 「コッペリア」は重層的な構造を持った作品である。太陽に輝く美しい町の広場がステージの中央にあるのだが、広場の傍らには対照的に窓の暗い二階建ての家がある。その家がなにやら気難しそうな怪博士コッペリウス(井勝)のすみかである。広場では若者たちの陽気な恋が進行する。一方、暗い家では博士と博士が作った機械仕掛けの人形コッペリア(川崎麻衣)との不可解な愛が進んでいる。明晰な現実世界と夢想的な幻想世界。そしてこれら明暗二筋の縦糸にもう一本、暗喩に満ちた横糸を読み取ることができるだろう。まるでコンピュータの先取りみたいに精緻な装置で機械人間を作り上げてきた博士だが、最後の仕上げにはやはり人間の生きた魂を入れねばならない。博士はこともあろうにスワニルダの恋人フランツ(貞松正一郎)に狙いをつけ、古写本から捜し出した呪術を使って若者から魂を抜き取ろうとするのである。眠り薬で正体をなくしている若者の体に覆いかぶさるようにして恐ろしい目になったドクトルが怪しげな呪文を唱え始める。合理的な科学技術に接木されるおどろおどろしい呪術世界。だが理性とオカルトとのこの滑稽でしかも危険な結合は「コッペリア」のパリ初演(1870年、オペラ座)から130年以上経った今日にも依然ごく日常的にそこここで見られることで、ときには陰惨な社会的事件にまで発展する。あるいは私たちのこの迷う心はむしろ19世紀の人びとより深刻に理性と呪術のはざまで揺れ動いているのではなかろうか。
 ということは裏を返していうならば、こんにち「コッペリア」で共感を勝ち取ろうとするバレリーナは、伝説的なボアッキ(初代スワニルダ)の時代にも増して、人間の精神の暗がりに十分な感受性を持たねばならないということだ。まさしくクラシックバレエが永遠の命を持つのは、時代によってさらに深く読み込まれ、それがまた新たに集積されていくからにほかならない。上村未香の成功もしたがって人間の深部への彼女独特のデリケートな感受性によるところが大きいのだが、なかでも重力から解き放たれた軽やかな踊りによって、どこまでも明るく、どこまでもエレガントにこの文明の明暗二重の構造を彫り上げていったのは、彼女のなかんずく最高の美質だというべきだろう。彼女のダンスは暗闇(呪術)に墜落してしまうこともなく、かといって明るさ(科学)にうわついてしまうこともなく、その微妙な尾根筋で絶妙のバランスをとるのである。彼女は科学にも呪術にも等距離の場所で踊る作法を知っている。それが極めて重要なのは、そここそ人間の自由の場所だからである。
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 それにしても貞松正一郎の振り付けの完璧さは舞台の奥行きを格段に深くする。クラッシックバレエに関する限り、現在の日本で彼ほど鋭く作品に切り込める振付師はたぶんいない。彼は何よりもまず自分がこの舞台で何をしたいかを100%知っているし、21世紀という場に置かれた古典的作品が潜在的にどう演出されたいと願っているか、その作品の深層心理も見事な直観でとらえている。だから切り口が鋭利になり、強調点がまっすぐに立ち上がってくるのである。彼みずからはダンスール・ノーブルとしてスワニルダの恋人で、一緒にコッペリウスをやっつける役回りのフランツを踊ったのだが、振付家・演出家としての正一郎が最も深い心を寄せたのは自分がやるフランツではたぶんなくて、破滅的な情熱に囚われたまさしくその怪博士、井勝ふんするところのコッペリウスだったに違いない。彼は博士の哀しみと困惑、一途さと滑稽さを入念に自分に重ね、自分に重ねることで私たちの内奥に重ねるのだ。いかにも私たちは日々まるでもう飛びつくようにして科学にすがり、呪術にすがり、シリアスに、滑稽に、この不安な現代を生きている。人間の深い悲哀…。
 なんと今とともにあるコッペリア!
貞松・浜田バレエ団の「コッペリア」公演は2004年11月21日に神戸・大倉山の神戸文化ホール(大ホール)で堤俊作指揮の大阪シンフォニカー交響楽団をオケピットに迎えて上演された。フルオーケストラによる「コッペリア」全幕公演は今回が初めてだが、長年同バレエ団を見守ってきた神戸の市民たちにとって近年の団員の層の厚さには感慨深いものがある。とりわけ「コッペリア」の哲学的な側面があらわれる第3幕の「時の踊り」から「あけぼの」「祈り」「仕事の踊り」へと続く群舞、ソロの展開はダンサーの質といい量といいまさに美の波状攻撃といっていいほどに華やかで、強力で、じつに見応えのあるものになった。
STAFF 総監督 貞松融/芸術監督 浜田蓉子/指導 植木千枝子、松良緑、堀部富子、長尾良子、小西康子、松良朋子/衣装 林なつ子、原田すみ子、他/衣装デザイン画 小島ゆり/照明 柳原常夫、他/舞台監督 坪崎和司/写真 岡村昌夫、古都栄二/プログラム 殿井博

CATnote

Sadamatsu-Hamada Ballet Company gave a performance of “Coppelia” with Osaka Symphonic orchestra conducted by Syunsaku Tsutsumi at Kobe Bunka Hall on November 21 last year. “Coppelia” is the name of machinery doll made by the doctor Coppelius. This mysterious doctor, who loves his doll dearly, looks like a deep magician as well as a great scientist. It is such a mysterious double meaning that a prominent choreographer Syoichiro Sadamatsu emphasized on the stage with humor. It suggested our instable mental condition that oscillates ceaselessly between scientism and occultism.

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Cahier
   05.1.18〜30     Hundred Artists
大震災10周年を記念して「ひょうごゆかりの洋画家100人展」が神戸・王子公園の原田の森ギャラリー(旧兵庫県立近代美術館)で開かれた。震災で犠牲になった津高和一、大島幸子、上田清一の追悼展示をはじめ、洋画の創成期から現在までの画家100人の展観を通して、復興を進めるうえで重要なエネルギーの一つとなった美術力のここまでの厚みないしは蓄積を振り返ろうという試み。清冽な精神性を風景画(自然)の中に開示し続けた金山平三、女性の肖像画に清新で精神的な美を掘り下げていった小磯良平、豊麗な感覚をリズミカルな構成と鮮やかな色彩で縦横に開花させた田村孝之介、芸術的自由の極限へ大胆な跳躍を敢行した吉原治良ら、このほぼ100年間に兵庫県なかんずく神戸・阪神間が美術界に送り出した人材は、高さの点でも深さの点でも、そして多彩さという点でも驚くほどの質と量だが、とりわけ見る者を動かさないでいないのが作家たちそれぞれの独自さと自在さ。これには神戸・阪神間のリベラルな空気と鋭利な批判精神が大きな役割を果たしてきたと考えられるが、面白いのはこの芸術風土が震災そのものを描く場合にも画家たちを多様な視点へ押し出しているように見えることだ。今回は地震直後の神戸を描いた画家として具象の長尾和、抽象の吉見敏治、現代美術の堀尾貞治の3氏の作品が掛けられたが、豊かな情感で風景を描いてきた長尾氏の震災画は、やはり被災者への共感がせつなく、しかし端正に漂う詩のような描写になっているし、人間の根源的な在りようを「壁」のシリーズで問い続けてきたいわば哲学的な吉見氏は、内的な精神の崩壊と再起とを暗示するような黒と白の画面へと導かれ、一方、動的なパフォーマンスで時空との格闘に取り組んできた堀尾氏は、この人ならではの特異な眼力でむしろ破壊によって都市の上に開いた大きな空をほとんど無限の高さに表して私たちを再生の方向へ差し向ける。それにしても82年前に東京を襲った関東大震災を竹久夢二の希望のないスケッチや池田遙邨の幽鬼のような絵で印象づけられている私たちには、今度のこの神戸の画家たちの闊達なアプローチは悲劇の中にあってもなお自らの自由な目を失わない強靭な精神力が推し量られて感慨深い。

KOBECAT 0008
04.12.12 神戸新聞松方ホール
かじのり子モダンダンスリサイタルU
   
――わたしとワタシ…この無限の合わせ鏡――
■山本 忠勝


田佳代舞踊研究所でソリストを務めているかじのり子の4年ぶり2回目のリサイタルである。
 若いダンサーの技量と思索は4年の間にこんなにも深まるものかと驚いた。偶然の着想で現れたように見えていた危うげなものが、いまや必然から生まれたもののように十分な説得力を持って舞台に堅固に登場する。一つの動きからもう一つの動きへの展開部におりふし不用意に開いていた空洞がいまやしっかりと埋められて、行間にも心が充填されている。つまり人間をいささか大雑把に見ていた目が、一転して丁寧なまなざしに変わってきたということだ。
 まず、かじが振り付けた3つのプログラムの中でいちばん印象の強かった「どこかにむかう足後」のことを語りたい。これは初めから終わりまでかじ自身と菊本千永の2人だけで踊られる簡潔な作品で、短編小説の佳品のような美しさとコクのある味わいが気持ちのよい舞台となった。Tシャツに短めのパンツというどこでも見かけそうな軽装ながら、ブルーの配色が鮮やかなかじのり子とこれも鮮烈な赤が目に映える菊本千永。青と赤が対照的なこの2人がまるで双生児のように相似的なダンスを繰り広げていくのだが、そのシュールな光景を楽しみながら私たちがハッと気づかされるのは、ああ、そうか、人間はいつも2人なんだ、ということだ。なにも恋人同士や友人同士や隣人同士、あるいは夫婦のカプルのことを言うのではない。自分の中に棲んでいる2人の自分のことである。
 

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 合わせ鏡さながらの同一の動き。そこへ時としてブルーと赤の色の違いが際立ってくるような、そんなズレが組み込まれているのである。二人三脚で歩きながらふと傍らの横顔を覗くような…。ひとりが後ろでもたついたようなのを、どうかしたの? と振り返ってみるような…。スタスタと先へ踏み出していく分身に、どこへ行くつもり? と問いを発するときのような…。人はどこから来てどこへ行くのか、過去も未来も霧の向こうへ掻き消えるようではっきりとは読み取れない。それでもここまで歩いてきた100歩くらいの道のりは、さいわい今ある自分の確かさと同じくらいの確かさで見返ることができるのだ。ふつう「足跡」と書くところをかじが敢えて「足後」と表記しないではいられなかったその真意は正直いってどうもわからないのだが(小手先の造語でなければよいが、とここは祈るばかりである)、とりあえず細部のひっかかりは措くとして、それらの足跡を刻々と残していく私(わたし)、そしてその足跡を見守っていく私(ワタシ)、この2つの自分によってつくられる「わたし―ワタシ」の構造は示唆に富む。
 わたしが今をこのように生きている、とそう傍らから眺めるワタシはいうまでもなく、このわたしがある日忽然とこの世界に生まれたもので、同じようにまた忽然と消えていくものだということを知っている。そしてその間、ワタシはわたしを意味あるものと思って喜びに満たされることがある一方、どうしようもなく無意味に思えて虚しさに沈み込んでしまうこともある、そのことにも気づいている。つまり世界に生きながらその生を幸福だと感じるのも不幸だと感じるのも、突き詰めていけばじつはこの「わたし―ワタシ」の構造の上でのことなのだ。そこにはもちろん他者との込み入った関係も映り込む。他者どころか壮麗な銀河系に彩られた全宇宙が映り込む。あの果てしない星空さえこのわたしとワタシの間に開かれる無限の光景なのである。言い換えれば、天空の星に感嘆するのも、大地の花に陶酔するのも、海洋の広大さに打たれるのも、そして天と地の間で愛し愛されてふるえるのも、つまりは人が心の震動として感じるものはほとんどがこの合わせ鏡の反射のなかから生まれてくるということだ。とほうもない豊かさの源。そしてとほうもない虚しさの源。
 “どこかにむかう足跡”をいつもそばで見守っているまなざしは、だからときにわたしを絶望の淵へと追い詰めるが、その同じまなざしが早晩わたしを星空の美しさへ誘い出す、これも間違いのないことだ。私たち人間は、希望と失意から希望だけを選り分けて拾うような、そんな都合のいい生き方はもともとできない構造になっている。2つとも結局は同じ流れの上に立ち上がってくるよく似た形の波なのだ。乗るほかないし、乗り切る工夫をするほかない。そのときわたしを乗り切りの決断へと促すのが、ほかでもない、傍らでわたしを見守ってきたこのワタシなのである。
 おそらく私たちもいずれ近い将来、かじのり子の足跡がいちだんと深く砂をえぐっている場所を発見して、そこでひとつの決断がなされたことを知ることになるだろう。
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 さてここでもうひとつ採り上げておきたい作品は、構成の大胆さが面白かった「冬眠」だ。文字通りステージの中央でひとりのダンサー(かじ)が仰向けの姿のまま眠っていて、その仮死のものをめぐりながら、あるいは葬送の儀式のように、あるいは再生の儀式のように、群舞が繰り広げられていくのである。表情を極力抑えた簡潔な構成は、世界の創世神話を追体験する宗教儀礼のようにも見えて、ついには宇宙の究極の問いへ導かれるようで楽しかった。究極の問いとは、この宇宙の大時空は宇宙の底で深い眠りに陥っているなにものかが延々と見続けている夢(あるいは刹那の夢)ではないのかという、あの問いだ。
藤田佳代舞踊研究所では本格的に創作を志すダンサーそれぞれによる独自のリサイタルを年1回開いている。現在は教師格の4人がローテーションを組む形で進めているが、今回はかじのり子の2回目の公演。かじは本文で触れた2作品のほかに、ピアノ(大西有紀)サクソフォン(西本淳)パーカッション(安永早絵子)のナマ演奏をバックにした「本日は雨天なり」を発表した。また研究所代表の藤田佳代はかじのために「枯葉はソプラノの響きのように」を創作。秋の枯葉が散り落ちる一瞬の出来事をいわば微分的に凝視して、そこに無限へ向かって動いている命の流れを把握する奥行きの深い舞台となったが、振り付けの妙といい、精神の深さといい、さすがに今日のモダンダンス世界で独自の境地を窮めつつある芸術家の仕事であった。また新田三郎の照明もこの日は随所にこの人ならではの繊細さを見せ、とりわけかじの「どこかにむかう足後」のフィナーレの光と闇の処理(音楽=サウンド・オブ・サイレンス)にいたっては、松方ホールの小さなステージをいつしか大宇宙を昇る時空の無限階段の荘厳な踊り場に変えたのだった。
STAFF 舞台監督 長島充伸/音響 藤田登/衣装 藤田啓子/アナウンス 有村茉佐子/撮影 中野良彦

CATnote

Modern dancer Noriko Kaji, a soloist of Fujita Kayo Modern Dance Company, had her second recital at Kobe Shinbun Matsukata Hall on December 12 last year. She presented her three original works:“Hibernation”“Footmarks, Where?”and“Rainy Today ”. The most impressive work of these three was “Footmarks, Where?”, performed by two dancers, Noriko herself and Chie Kikumoto. It suggested “Two I ” in one person. The co-reflection between the“Two I ”often causes our inner movement , like a feeling of happiness or unhappiness.

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Cahier
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     Music Harmony Freedom








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 ニューヨークを拠点に演奏活動を繰り広げているマリンバ奏者の名倉誠人さんが3月19日に神戸新聞松方ホールでアンサンブル・神戸(室内オーケストラ)と協演し、そこで現代アメリカの作曲家ピエール・ジャルバートさんの新曲「マリンバとオーケストラのための協奏曲」を初演するが、その新曲がおおよそどのような内容のものなのか、作曲の意図をしたためた書簡がジャルバートさん本人からこのほど神戸の名倉誠人後援会事務局へ寄せられた。名倉さんはこの量感豊かな曲によってまた大きな飛躍を遂げることになりそうだが、演奏会に向けてまずは神戸の音楽ファンにまだ出会わぬ新曲を想像の中でたっぷり楽しんでもらうため、ジャルバート書簡のあらましをここに紹介しておこう。
 ジャルバートさんが名倉さんのマリンバのために最初に書いた作品「ソナタ」(2001年)は、まさしくその名の通りがっしりとした構成で神戸のクラシック・シーンに強い印象を残したが、書簡から推測すると、今度の「マリンバとオーケストラのための協奏曲」も大本のところではソナタの壮麗な形式美が採り入れられているらしく、それぞれに個性をくっきりと与えられた4つの楽章でつくられているということだ。各楽章の性格を文面に沿って見ていくと、第1楽章には「自由に、すばやく、エネルギーを持って」、第2楽章には「遊び心で、アクセントをきかせて」、第3楽章には「ゆっくりと、神秘的に」、そして第4楽章には「すばやく、正確に、響きに満ちて」と注釈がついていて、確かにバランスを十分に練った音楽的統合体が浮かび上がってくるのである。だがそこから一歩踏み込んでとりわけ興味深いのは、それら構成的な建築美を堅実に維持しながら、しかしその上でどれほど自由に、どれほど深く人間の精神を解き放てるか、その二律背反の大冒険に作曲家の関心が集注されているらしいことである。なかでも終楽章のイメージがこのように書かれているのに心を惹かれる。そこではマリンバがオーケストラのサウンドを縫うように、ときには表にあらわれ、ときには中に溶け込みながら(自在に)進行していくと予告されているのだから。あたかも全体(オーケストラ)との調和を見いだすことで精神(マリンバ)はやがて自由の最高の境地に至るのだと歌っているようなこの示唆深いヴィジョン! それはむしろ私たち東洋の魂の根幹にありながら久しく忘れられているものではなかろうか。
 高い芸術は例外なく理論的な分析を超える。だが一つの仮説をもって作品に臨むのは、多少の知的努力が必要になるにせよ、仮説を超える作品の大きさがよりクリアに見えてきて、それでいっそうの感動に誘われることも確かである。「マリンバとオーケストラのための協奏曲」は、その種のあなたの骨折りにたっぷりと報いる曲になるはずだ。
 名倉誠人後援会事務局は078.841.1357。www.makotonakura.com



KOBECAT 0009
編集工房ノア刊
安水稔和詩集「蟹場まで」

――他者との出遭い――
■山本 忠勝


水稔和氏の18冊目の詩集「蟹場まで」は、不意に現れるもので満ちている。たとえば、こうだ。



 霧のむこうから
 影あらわれ
 人となり。


 霧のなかを
 影たち近づき
 人々声あげる。
            (「町に入る」の3連中の最初の2連)


 不意に現れたものと出遭うこと、つまり予期しない場所で予期しないものと出遭うこと、それはまさしく裸形の世界と出遭うことにほかならない。霧から現れてくるものは私にとって未知のものであり、私もまた霧から現れてくる彼らにとっては未知のものであり、未知のものと未知のものがそこでどんな出会い方をするか、その出会いの形にその世界の構造の、それも中心の骨組みが一気に表れてくるのである(影が霧の中から銃口をいきなりこちらに向けたとすれば、それは世界が戦場という構造のもとにあるからだ)。
 言い換えれば世界の骨組みは他者の姿なかんずく他者の身ぶり、声、言葉とともにそこにありありと表れる。安水氏の詩集の中で私たちが不意に、しかも次々と出遭うもの、それは70編の作品のその1編ごとにおのおののページで待ち受けている他者なのだ。

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 20世紀の思想は、他者について両極的な二つのビジョンを提示した。あえて図式化を恐れずにいうならば、一つはヘーゲルやフォイエルバッハ、エンゲルスやマルクスらを通過して際立ってきた「類としての」人間像。もう一つはキェルケゴールやニーチェ、ハイデッガーやサルトルを通過して浮き彫りになってきた「実存的な」人間像だ。類としての人間像は、私について考えること、私が決断へと向かうこと、私が行為へと踏み切ること、そのことが同時に他者についてあれこれ慮ること、他者に決断を促すこと、他者の行為を勇気づけることと等しくなるような、そのような親密な共同体を理想として想定した。お互いを置き換え合いさえできるような溶融的な温かい共同体で、私と他者は互いの幸福を助長し合いながら個性も尊重し合えるような、そんな関係を結べるはずだという楽観的な考えがそこにはある。一方、実存的な人間像では、共同体は場合によっては人を堕落させる微温的な場所として鋭い警戒の的となった。人はともすればテレビが送り出す粗雑な笑いや粗雑な涙、粗雑な共感や粗雑な批判をそのまま疑いもなく受け入れて、世間(共同体)の漫然とした空気の中で半ば眠ったような日々を送ってしまいがちである。だが決定的な最後の日に死は個別に訪れる。他者との溶融は幻想に過ぎない。私は一個の主体として孤独の中で目覚めてこそ本来の自己に戻るのだ。厳しい人間観である。
 とはいえ問題は実は先送りされたまま今日にまで至っている。理想の共同体が現実に生んだのは国家的規模の大収容所の群れだった。そして実存の哲学が生んだのはひとときとして安らぐことのない個人という独房だ。類は暴力で外側から人々を破壊した。実存は不安の病で内側から人々を解体する。21世紀の扉はこうして疲弊の極みに陥った精神の前で開かれた。
 しかし爽快なことは、詩人がたった4行の詩句でこの100年の苦悩を超える方向を指し示すことである。「岬の宿で」という作品ではこのようにうたわれる。


 体のなかをのぼりおりする体液が
 世界とひとつづきであることの不思議。
 わたしであって わたしは
 わたしでなくなって わたしは。


 類のビジョンを読み取ろうとすれば、そう読み取れる詩句である。実存のビジョンと解こうとすれば、そうとも解読できる詩句である。だが見逃してならないことは、両者の折衷では決してないということだ。この作品が卓抜なのは、言葉の緊密な連繋と動的な配置によって、一個の統合された世界がまさしく分割しがたい堅固な構造に築かれて、堅固でありながらしかも柔軟な持続的運動のまっただなかにあることだ。この4行の詩句の上に現れる私というこのものは、明確に他者とひとつづきに生きながら、同時に個としての主体を明快に生きている、そのような二重の(しかし決して分離されることのない堅固で柔軟な)私なのである。この私は実に想像できる限りの深さで類を生き、且つ想像できる限りの深さで実存を生きている。あれか、これか、ではなく、あれも、これも。
 このおおよそ30年の間、安水氏は江戸時代の特異な紀行家・菅江真澄(1754〜1829)が東北・北海道を漂白したその広範な足跡を追いながら、そしてとりわけ近年はこの底知れない漂白者の魂とほとんど寄り添い合って旅しながら、詩の制作を続けてきた。「蟹場まで」もそうして生まれた5冊の詩集の1冊である。いわば200年前の旅人と現代の旅人との時空を超えた共著のような性格を備えもっている本なのだが、1冊の本の中に畳み込まれたこのたぐいまれな複数性はおのずから詩集の文学的地平を見渡すための鍵になる。「われわれは2人で書いた。2人それぞれが数人であったから、それだけでもう多数になっていたわけだ」。これはジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著「千のプラトー」(宇野邦一氏ら6氏訳)の書き出しの言葉だが、いかにも人は1人の他者と結ばれ合うことでほとんど無限の他者と結ばれ合うことになる。言い換えればこの世界に私と他者の新しい結ばれ方を持ち込めれば逆に世界の構造を内部から構築しなおすことになるのである。人、石、土、あるいは土ぼこり、砂ぼこり、ハマナスの花、かもめ、塩づけのすずき、馬、地蔵堂…70編の詩にふうっと現れてくる他者たちは、ほかでもない、まずなによりも菅江真澄その人であり、次に真澄の眺めた万物であり、ときには真澄が自ら手にとって食べた食物だ。詩人は4本の脚と4本の腕と4つの目で旅をする。そしてむろん2つの口。詩人が土地の素朴な献立を詩集の上に列記すると、あたかも神と食をともにした古代人の厳粛な儀礼のように、すぐさま詩人と真澄とのささやかにして豪奢な饗宴が始まるのだ。いまやついに詩人の見るものを真澄が見る。詩人が食べるものを真澄が食べる。だがこの複数性は一方において2本の脚、2本の腕、2つの目、1つの口、すなわち1人の詩人と絶え間なく等価であり、かくしてまた他方においては無数の脚、腕、目、口、つまり無限の人々と絶え間なく等価である。1茎の野草をともに分かち合い味わうことで、万人(類)の命の在りよう、そして個(実存)の命の在りようがなんと豊かに切り立ってくることか。「人がもはや私と言わない地点に到達するのではなく、私と言うか言わないかがもはやまったく重要でないような地点に到達すること」(前掲「千のプラトー」)。偉大な書物は常に逆説の分水嶺にまで突き詰められて完成する。


 見たといってもいい
 見なかったといってもいい。


 あったといってもいい
 なかったといってもいい。
             (「椿島*」から抜粋)


 見なかったといってもいい、と悠然と語られることによって、却ってゆるぎなく見えてくるものがそこにある。なかったといってもいい、と鷹揚に許容されることによって、却ってありありと存在する大きなものがここにある。
 幻想? だとすれば幻想の生産性は全世界の工業製品の生産性より比較にならないくらい大きいということだ。
 安水稔和(としかず)詩集「蟹場(がにば)まで」は、関西の文芸文化の発展と拡大に一貫して誠実な貢献を続けている出版社、編集工房ノア(涸沢純平社長)から刊行された。「津軽半島」「気仙沼」「広田崎」など6章にわたって70編の作品がおさめられている。\2400。ノアは〒531-0071大阪市北区中津3-17-5。TEL06.6373.3642
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Cahier
   05.2.10
The Third Man!
 神戸で活動する芸術家たちが面白い作品を作れば作るほどこの街は面白くなるし、深い作品を作れば作るほどこの街も深くなる、これは都市と芸術の間のごくあたりまえな比例式だが、ここ1世紀余りとかく目に見えるものの条件整備を優先させてきたこの街ではなかなか市民権を得られない覆面の数式だった。だが神戸の芸術家たちが震災復興のとりわけ市民の精神的な再生にかつてなく重要な役割を演じたことから、さすがのゼネコン都市も街づくりに及ぼすアートの効用にいくらか目覚めることになったのだった。経済的困難と社会的困難のまっただなかでかえって精神への希望が浮上してきたというわけだ。しかしそうはいっても単に偶然が重なってこうなったわけではない。この新しい都市の進化は文化のいわば“第3紀層”とでも呼びたいような人たちの陰の活動も土台にあってのことなのだ。地質学上の第3紀はまさに文明の時代(人類の時代)の曙になった地層だが、この新型の都市人も文化へのこまやかな感受性と知見によって作家の制作を側面から応援し、都市芸術を培養する陰の役割を果たしてきた。むろんこの新種族は自らが脚光を浴びるなどとは夢にも思っていないから、その代表格の一人、中島淳さんも自分が2004年度の「神戸市文化功労賞」に選ばれたと聞いて、このボクが、ホンマカイナ! と仰天したのであった。そのお祝いの会が彼を愛する人びとによって2月10日夜、神戸・異人館街の北野ガーデンで開かれた。
 怪盗ルパンのような、遠山の金さんのような、怪傑ゾロのような、水戸の黄門さんのような、どうも中島さんには一筋縄ではつかめない“二重面相”の雰囲気があって、初対面のかたがたは大概が、この人は本当はどんな人だろう、と首をひねることになるのだが、それもそのはず授賞を機に作成された経歴を眺めると、サラリーマンを定年まできっちりと勤め上げた20世紀人に典型のごくフツーのオモテの顔と、もう一つのいわば21世紀人を先取りしたすこぶるフツーでないウラの顔とが60年余りの人生を二重に彩っているのである。そのウラの顔こそほかでもない、第3紀層の男の顔だ。時が経つにつれてますます美術上の前衛的実験だったと再評価の声が高まっている架空通信テント美術展(1980~85、夙川公園)の事務局長、独り芝居というユニークなジャンルを軸に舞台芸術の活性化を図ってきた神戸芝居カーニバル実行委員会(1992~)の事務局長、さらには地域評論の確立を狙って刊行された先見的季刊誌「兵庫のペン」(1976~99)の編集委員会事務局長、はたまた若い芸術家たちの創造活動をズバリお金の面で援助する亀井純子文化基金の事務局長、エトセトラ、エトセトラ…。型通りに縁の下の力持ちといってはこの人のシャープな企画力や統率力や押しの強さが言葉のニュアンスに入ってこないから、恐らく都市文化の演出家ないしはプロデューサーといったあたりが今様のイメージに最も近いのではなかろうか。要するに都市の新しい文化時代を身をもって切り開いている人なのだ。
 春の訪れを前に夕闇せまる異人館の街で開かれた「中島淳さんの神戸市文化功労賞お祝いの会」にはいろんなジャンルから150人の中島ファンが集って、中島さん本人と女優の小倉啓子さんの即興寸劇まで飛び出すという小粋なにぎわいとなったが、特筆すべきはこの席で中島さんの今日ある人柄をなるほどと思わせる“前史”が明かされたことである。中島さんは実は幼時に大阪空襲で焼け出されて、少年時代を父の生家である赤穂の禅寺・随鴎寺で送っている。お寺は厳しい修行の場所であるとともにさまざまな芸術、技芸が交流する文化の広場でもあったのだ。戦争の悲惨から一転して文化の豊饒。人生の始めに刻まれた闇と光のコントラスト。第3の男はまさしく筋金入りなのだ。




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   中島淳さんと小倉啓子さん






KOBECAT 0010
05.3.19 兵庫県民小劇場
藤田佳代創作舞踊「流れる―流れ・乱拍子・昇華」

     
――濃度 密度 堅固さ――
■山本 忠勝


舞台「道成寺」の鐘入りのヤマ場で乱拍子と呼ばれるあの比類ない舞いに私たちがそのつど圧倒されるのは、たとえあれら独特の足の運びが道成寺の62段の石段を1段1段登っていくその暗喩だと事前に説明されていたとしても、その象徴化の巧みさに驚かされてのことだけでは決してない。たとえシテと小鼓の間に交わされる一対一のあの緊迫した空気のなかに女の怨念のこのうえなく深い彫りを読んだとしても、その迫真の表現に感嘆してのことだけでは決してない。今まで何もなかった静寂の空間にいきなり鳴り渡る小鼓の簡潔な一打ち、そこには空間を一瞬にして無限のかなたまで震わせてしまう何か強力な響きがある。今まで何も動くもののなかった無の時間にいきなり踏み出される白足袋の鋭い足、そこには時間をその瞬間に無限の高さにまでくっきりと屹立させる強力な何か瞬発力がある。乱拍子は私たちをあっという間に日常の時空から連れ出して、無限の空間と無限の時間のめくるめく位相のなかにさらすのだ。そこで私たちはさながら宇宙の深淵を覗くようなめまいを覚える。おそらく、そうなのだ。私たちがこの異様な舞いに打たれるのは、そこに秘められた宇宙的な構造に心が感応するからだ。
 だとすれば、宇宙の壮大な動きそしてそのなかで鼓動を続ける命の不思議に絶え間ない関心を寄せてきた現代舞踊家の藤田佳代が、ここにきてこの乱拍子の神秘と正対しないではいられなくなったというのも、考えればきわめて自然なことである。舞踊の既存ジャンルで分類するかぎり藤田はいぜん欧米に出自を発するモダンダンサーと言うほかないが、いまや彼女はもちろん日本舞踊家と呼ぶことなどできはしないしさりとて単純に洋舞家とも規定できない、まさしく藤田佳代の舞踊としか表現しようのない独特のパフォーマーに達していて、それは泉鏡花の小説「高野聖」のビジョンを通して大地(地球)の神秘に分け入った小鼓と朗読と独舞による「山の月」(1995年)、あるいは蕪村の俳句(なかんずく、菜の花や月は東に日は西に)を介して壮大な宇宙観にも切り込んだシンセサイザーと歌唱と群舞による「神戸・蕪村」(2000年)などの振り付けにとりわけくっきりと見られるのだが、彼女が私たちの眼前で衒うことなく繰り広げてきた彼女独自の方法論は、掛け値なしにこの私たちの体の中で親しく血肉になっている文脈(古典にせよ近代の文芸にせよ現代の事象にせよ)から舞踊を起こして、そうして地球規模ないし宇宙規模の普遍に至ろうとする方向で一貫している。彼女が現代舞踊の追求ばかりか、長年にわたって観世流能楽師・笠田昭雄氏に師事してきたのも、表現をその普遍の方向へ向けてさらに掘り下げたいという内的な欲求に駆られてのことなのだ。乱拍子は彼女のそうした舞踊家としての進化の前にいわば必然の門として現れた。古典の比類ない舞いが現代舞踊にめざましい豊かさをもたらすことになったのだ。
 

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 藤田自身は今回の新作「流れる―流れ・乱拍子・昇華」の背景を「私の母へ命を引き継いだ私の祖母、その祖母へ命を引き継いだ祖母の母、祖母の母のそのまた母、その母のそのまた母…、こうしてさかのぼって考えると、命というのはおびただしい死を通ってこの私のもとへ流れてきていることがわかる。死によって途切れるのではなく、かえって死によって流れ継がれるもの。その力強い持続をこの作品では踊りたかった」と説明する。だが生と死を広大なつづれ模様と見たそのビジョンがどうして乱拍子という特異な表現に結びつくのか? おそらくそこで働いたのは数学者のような論理的洞察というより芸術家ならではの直観の飛翔、インスピレーションの跳躍だったようなのだが、しかしこの直観のジャンピングは実は驚くほど正確に精神の内的な論理に従っているのである。道成寺の鐘に向かって乱拍子を舞ったあの遊女は、ほかならぬ死の領域からやってきた怨霊だった。むしろ死がそこで舞ったのだ。しかも思い出してもらいたいのは、能舞台の筋書きには珍しくひとり道成寺の怨霊だけは最後になっても決して僧たちの読経に調伏されることはなく、ひとまず退散はするものの、決してこの世界から消え去りはしないということだ。彼女は今日は去ったが、明日になればまた強力に現れる。ここではなんと聖性(僧)と邪性(怨霊)、解脱と欲望、そして生と死が対等に、しかも延々と対峙を繰り返すいわば永遠の構造をとるのである。そして藤田が自らの現代舞踊で今に描き出そうと試みたのも、まさしく死が生と等しい重量を持つことで死が本来の重い意味を回復し、かくして生もまた本来の輝きを放射する、そういう世界だったのだ。
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 さて藤田の創作歴のなかでもエポックメイキングなこの舞台のために彼女が招聘した演奏家は、若手アーティストの国安雅法。地球上の各地の民族楽器あるいは楽器に転用できそうなさまざまな日常の道具を発掘して自分の音を探求している、これも少々変わりダネのミュージシャンだといえるだろう。2人の出会いはまったくの偶然のようなのだが、未来に向かって開かれる仕事には何か超越的なものの意志が裏で働くかのようにしばしば必然的な偶然という不思議が起こるものである。ごく抑制された響きながら鐘とおぼしき金属音で彼がまず舞台の前奏に入ったのも、作曲上の計算に沿ってというより、あれはたぶん魂の直感的かつ必然的なはばたきであったろう。乱拍子の霊がくだってくれば、いかにもあそこからああいうふうに始めるよりほかにない。
 そして切れのいいドラム。東南アジアのものなのか、アフリカのものなのか、インディオのものなのか、パーカッションを軸にして進行する音楽が、終始強靭な骨格で作られていくのが非常に印象的である。贅肉を排除して、むしろほとんど骨格だけで構築されていくパッセージ。メロディックな要素を禁欲的にぐいと抑えて、なによりも深いリズム。荘厳で深いリズム。つまり横波よりも縦波、印象よりも構造、表情よりも濃度。音楽が波動の波形によってというより、振動の密度によって現れる。
 もちろんそれは藤田が振り付けた群舞にもそのまま相似的に、いっそう強くいえることだ。この舞台に関するかぎりダンサーたちは、踊る、のではない。まして常套的に言われるように、華やかに踊る、ことなどはついにない。彼女たちは、動く、のだ。それも、このうえなく厳しく動く。優雅なアラベスクのポーズの代わりに、その場所で屹立する。屹立して身構える。床を蹴る。面を狙う剣士のように獰猛な態勢で突進する。横波の波形より縦波の密度。印象の多様さより構造の堅固さ。表情の強さより濃度の深さ。地上に初めて現れた重厚な群舞による乱拍子。じっさい、宇宙という時空には金輪際踊るという形はない。宇宙は動く。轟然と動く。無限から無限へ、無限の中で。
 
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 では、何が見えた? その舞台に。
 なによりも、1歩の足踏みの深さ、その1歩の足踏みの不可解さと神秘! ほんとうのところ人間は1歩の歩幅で一体どのくらいの距離を進むのだろう。70センチ? 80センチ? 90センチ? だがこんな巻尺の測定にどれほどの意味があろうか、舞台に無限が現れているときに。ダンサーたちがいま100センチの距離を跳んだように見えたとしたら、彼女たちがじっさいに跳んだのは、実は1光年、いや1億光年の距離なのだ。無限の空間では、人は長短のあらゆる計測から解放される。重要なのは、密度、濃度、堅固さである。舞踊の理念の転換。
 現代の科学はビッグバン以来の宇宙の歴史を上下2億年の誤差で137億年にまで詰めている。すなわち私たちのダンサーは137歩の跳躍でこの宇宙の歴史を舞い遂げることになる。比喩ではない。私たちの肉体は宇宙の成分と同じ素材でできている。私たちも星なのだ。137億年をかけて生成したこれが星の最も新しい姿である。星の生と死のなかで私たちの生と死もつづられてきたのである。藤田の舞踊はこの宇宙の系統発生を私たちそれぞれの身体にはっきりと呼び起こす。
藤田佳代の創作舞踊「流れる―流れ・乱拍子・昇華」は2005年3月19日に神戸市の兵庫県民小劇場で開かれた藤田佳代舞踊研究所モダンダンス公演「創作実験劇場」で初演された。ほかにも花々の開花のその真っ盛りの美しさに豪奢な葬送のビジョンを重ね見た寺井美津子振り付けの群舞「花は根に」のエレガントでスピリチュアルな表現、シバ神の4本の手の創生と持続と破壊の働きを舞踊化したような菊本千永振り付けのデュエット「エキノックス」の幻想的な表現など、見どころの多い公演となったが、若手のダンサーたちが個性的な作品を競って発表したことも将来への期待を誘って充実感の大きな企画になった。
STAFF 照明 新田三郎/舞台監督 長島充伸/音響 藤田登/衣装 藤田啓子/アナウンス 有村茉佐子/撮影 中野良彦
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Cahier

    森優貴
   Strong Message
 貞松・浜田バレエ団からドイツに渡って活躍しているバレエ・ダンサーの森優貴さんが3月26日から2日間にわたってハノーヴァーで開かれた第16回振付家コンクールで「観客賞」と「批評家賞」の2つの賞を受賞した。審査はまず170組の作品がビデオで行われ、この予選を通過した17組が決選に進出。森さんが振り付けた作品は観客投票で最も高い人気を得るとともに、批評家審査員からも最高の評価を受けた。特に自己満足的な、内にこもった表現が多くなっている中で、森さんは「外にしっかりと届くメッセージを持っている」とたたえられた。
















KOBECAT 0011
05.3.22〜27 GALLERY北野坂
能勢伸子展「ヘソカラヘソヘ」

   
――宇宙の揺らぎ、いのちの揺らぎ――
■山本 忠勝


思議な光景を覗いたものだから、しばらく外に立って眺めていた。だって大きな板ガラスですっかり密封されている部屋なのに、どういう仕掛けなのかその中へ春の風が流れ込んでいくのである。港の方から風がゆっくりと吹き上げてくるたびに、室内いっぱいに吊るされた紙のインスタレーションがふわあっふわあっと揺れるのだ。風が透け抜けていくガラスの壁? 陽光がいっぱい降り注ぐ坂の上のギャラリーで、さながら白昼夢に出遭ったようだった能勢伸子の立体展。
 

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 見上げれば5メートルはあるかと思うほどの高さである。幅の広い和紙の帯だ。いったい何本さがっているのだろう。それが絶え間なく揺らいでいる。白い森に迷うようだ。
 むろん揺らぎの光景そのものはなにも取り立てて言うほどのことではない。街の中の木も揺らぐ。通りを闊歩する女の髪もしきりに揺らぐし、軒下の洗濯物だって揺らぐのだ。それらは見慣れたものとして目のなかをそっと横切っていくのである。だが、おやっと首をかしげたとたんに、見慣れていたはずの光景がにわかに新しい相貌を帯びてくる。
 よく見るとここには二種類の揺らぎがある。一つは部屋のこちらの端から向こうの端へ風がいわば大股で横切っていく大きな流れ。そしてもう一つは紙の帯に絡みつくようにして生まれ出るおびただしい数の小さな渦。この大きな流れと小さな渦の組み合わせで、白い森が生きものみたいにもんどりひらひら揺らいでいる。絶え間なく。果てしなく。
 カオス! 比喩としてではなく、厳密な数学の概念としてのカオス。
 じっさい、二度と同じ構造に立ち戻ることのない、そのような連続的な変化のまっただなかに立ちながら、こうして絶え間なく新たな構造の中へ誘われ続けていくということ、それはそれだけで大きな感動なのである。同じような動きを急いで繰り返しているように表向きは見えながら、実はどの動きも一回として同じものはないというこの二重の相、これこそ無限へ向かう顔貌にほかならない。そして無限の光景を目にすると、人はどういうわけか心をふるわせないではいられない。
 むろん風とともに陽光の変化もある。空を雲が渡っていく。すると白い森が翳るのだ。帯ごとにランダムに撒き散らされた薄墨の微細なしずくが、これは雲のせいで室内の光度が落ちてそれで墨の形がいくらかぼやけたと表現するのが正しいのか、それともいくばくかの闇を吸ってむしろ形が強く浮き出てきたと表現するのが正しいのか? ごくデリケートに明度を変えていくのである。何万という墨のしずく、いやおそらく何十万という墨のしずくの、刻々のグレーなきらめき…。この無限の変転。変転の迷宮。
 そして、いささか蛇足めいてくるけれどもう一つ加えるなら、算数的に眺めてもここは迷宮なのである。ひい、ふう、みい、と天井から垂れている帯の数をじっさいに何回か数えてみた。だがぐるぐると数え歩いているうちに、すでに数え終えたものとまだ数えていないものの判別がどうも怪しくなってくる。18本あたりにまで来たところで決まって迷いが始まるのだ。数が溶けていくようで、これではいつまでも数え続けないといけなくなる。白い森は体感的にもほとんど無限だということだ。
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 さて、室内全体を作品にしたこのインスタレーションのタイトルは「ヘソカラヘソヘ」。臍から臍へ…。こんな大胆なタイトル、喋るのさえ小声のいつも控えめなこの作家がよくも考えついたものである。
 「私は息子ひとりと娘ひとりを産みました。そしてこの私はもちろん母のお腹から生まれ、その母もまた祖母から生まれ、その祖母もまた当然のこと、祖母の母のお腹から。考えれば、みんなお臍でつながっているんだ、と…」
 宇宙がいわれているようにほんとうに無のなかから揺らぎによって生まれ出たものだとすれば、宇宙の進化のなかから誕生してきた生命もまたその大波動の一部として今に至っているのだろう。はるか無限へと連なっていく波動のなかで間断なく揺れながら、いのちは臍から臍へ伝わっていくのである。
 「風? ここのこの風は、ほら、あそこ、空調の風なんです。でも、最初にこのギャラリーへ来させていただいたときにこの風が吹くのに気づいて、それで、この作品をこのように作りたいと考えたんです」
 ちなみに太陽から流れ出て地球に吹き付けている荷電粒子の巨大な流れも「太陽の風」と呼ばれている。
能勢伸子展は2005年3月22日から27日まで神戸市中央区山本通1のGALLERY北野坂で開かれた。能勢は長く長野県松本市で作家活動を行った後、現在は出身地の神戸市に戻って主にインスタレーションと絵画の分野で地道な制作を続けている。
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Cahier

    05.3.23〜30    Talkin' With A Cat
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「おしゃべり」
ネコに出会って、あら、元気? 毛並のきれいな美人さんね。私のワンピースもすてきでしょう。おばの手作り。この花柄の生地もそう。おばは絵描きで、若い頃はテキスタイルのデザイナーもやってたの。いつもは水彩で花を描いてる。いまはちょっと鉛筆画に凝ってるみたい。ねえ、こっちを見てなにを考えてる? きれいな目ね。わたしと同じように見えてる? きっとちがう。ねえ、見るって何かしら。「あなたは、ネコ」こういうこと? でも、この「ネコ」って、あなたのこと? それとも、私の頭の中のネコ? 頭のネコだとすれば 「あなたは、ネコ」 こっちの「あなた」の方があなたかしら。だけど「あなた」のことは、たぶん見ようと思って見たわけじゃなかった。あなたがそこにいて、私はあなたに見せられたのよ。そのときは私きっと、なにを見てるかなんて知らなかった。visionも、それからknowledgeも、つまりその結果なのね。 でもね、「あなた」を見ていたことは確かなのよ…visionとknowledgeの手前で…うまく言えないけど、"見る"も"見せる"もないような時間で。そうね。そう。おばの絵が好きなのは、そんな時が描かれてるからかもしれない。花も人も、花になり人になってしまえば、あとは時間のなかで老いて枯れていくだけよね。だけど、私が花に出会って、花が花になる瞬間は、過去でも現在でも未来でもない。だってその瞬間が、過去と現在と未来をつくる。おばの花はそんなふうに咲いている。花が花になる光。その一瞬あとには闇 それでもいいのよ、時間の手前で、その光は永遠だから。  (山本 貴士)
中井博子作品展 ―花の贈りもの― 大阪 高宮画廊





KOBECAT 0012
05.1.22 神戸新聞松方ホール
本多令子編曲/ラ・ミューズトリオ演奏 ピアノ三重奏曲「ます」
   
――光、光、光!――
■山本 忠勝


ューベルトのピアノ五重奏曲「ます」は、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスの4つの弦楽器とピアノの編成で演奏されるおよそ40分のもとは大きな作品である。それを伊藤ルミのラ・ミューズトリオが本多令子の編曲でピアノとバイオリンとチェロの三重奏曲に仕立て直し、曲のエッセンスを15分にまで凝縮して、大震災10周年の記念コンサートで披露した。演奏メンバーがピアノの伊藤、そしてバイオリンのエヴァルト・ダネル、チェロのルドヴィート・カンタの3人に制約されているということ、さらに当日の記念プログラムに合唱団紗羅の震災曲目が加えられるなど他の演奏曲との兼ね合いもあってこのような“凝縮形”になったようだが、心を打たれたのはそれがよく見受けられるような小奇麗な名曲のダイジェスト版とはまったく違って、むしろすばらしい感度の蒸留器にかけたように原曲からきわめて純度の高い響きを引き出し、鎮魂と希望の演奏会にふさわしい輝かしさと気高さに至ったことだ。
 1819年に作曲されたこのピアノ五重奏曲(全5楽章)は、第4楽章の主題に同じシューベルトの有名な歌曲「ます」(1817〜21)の端正なメロディーを引用して、これをもとに美しい変奏を霊感豊かに繰り広げていくことからこの題名で呼ばれている。だからもちろん本多氏もまさしくこの明媚な容姿にもたとえられる第4楽章を軸に置いて慎重かつ周到な編曲に取り組んだ。まずここで語りたいのは、なによりもその編曲の隅々にまで満ち満ちた輝かしさと透明さだ。

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 川波の一つ一つに陽光の破片がきらきら跳ねて、川全体がまるで光の流れになったように、そのように終始澄明にピアノの弾奏が進んでいった。その光に満ちた川の底を魚の影がすばやく走る、そのようにチェロの深い音が遊泳した。そして水中でさっと閃く魚の体に生き物の生の喜びが輝き映える、そのようにバイオリンの鋭い音が刻まれた。水が光り、魚が光り、魚の影も光り、瀬を渡る風も光って、わたしたちは自分もまたまぶしい光のまっただなかに立っているのを感じていた。
 この器楽曲のもとになった歌曲の「ます」には、実は平和な光ばかりではなく、はっとするような暗いビジョンも含まれている。クリスチャン・F・D・シューバルトの原詩「ます」(1782)に沿って歌の筋をたどっていくと、小川を生き生きと泳いでいた魚が最後には不運にも釣り人の罠にはめられて針にかかってしまうのだ。釣り人は小川をかき回して水を濁らせ、そうして魚の判断を誤らせて、次の瞬間にはもう光の化身のようだったこの生き物を絶命にいたらせているのである。その運命の暗転を詩人は胸の詰まる思いで川岸からじっと見つめていたのであった。
 だがコンサート全体のタイトルを「光もどりて」とつけたこの震災10周年記念のステージで、本多氏はあたかもこの不運な生き物の魂の救済へ全力を傾けたかのようであった。繊細な気配りで原曲から暗がりの部分を捨象して、まさしくダイヤモンドの光のような純粋な輝きだけで曲の再構成を試みているのである。もちろん底に漂う陰翳が五重奏曲に精神的な深淵を与えているその音楽的な意味については百も承知のうえでのことだ。むしろその深さがあるからこそ(シューベルトの底知れない偉大さ!) その頂上の純粋なきらめきを掬い取る彼女のこの特別な企ても大きな意味を持つのである。死の世界へ奪われてしまったものの救済が行われるとすれば、それはきっとめくるめくような純粋な光の中でのことなのだ。いま彼女はこの光の純化に全力を傾けたことが、あの大震災で犠牲になったおびただしい魂たちへ音楽家としての一つの呼びかけになり得たはずだと信じているに違いない(そう信じていいのである)。シューベルトの深いふところに飛び込みながらの懸命の呼びかけ。

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本多令子さん

 そしてラ・ミューズトリオのすばらしい演奏。音が無上のアンサンブルに至ったとき、それはもはや人間がこの世俗的な手で生み出した響きではないように思われる。ルミとエヴァルトとルドヴィートは確かにそこのそのステージで鍵盤と弦とをはじいているのだが、その休みなく動く姿はいまはもうなにかしら影絵のようで、音はたぶんどこかもっと深いところからここへ訪れてくるのである。体の奥から…、心の奥から…、もっと奥? 宇宙の奥から…。
 おそらく重要なことは、誠実な思想のもとで誠実な意志が力強く働いたということだ。本多氏は自分の探したいものをはっきりと心にとどめて、シューベルトの偉大な森へ入っていった。光の樹を…。そしてそれをしっかりと見いだした。ここでは編曲が発見になったのだ。そして3人の奏者はそれを去り行く者への鎮魂と来る者の希望のために、深い思いとともに演奏した。この思いの深さこそ真の創造の力である。人の魂の輝きだ。

ラ・ミューズトリオの阪神・淡路大震災10周年記念コンサート「光もどりて」は2005年1月22日、神戸ハーバーランドの神戸新聞松方ホールで開かれた。プログラムは「ます」のほかにチャイコフスキーのピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出」と江藤誠仁右衛門がこのコンサートのために書いた「自ずから湧き出る楽の音」。ほかに客演の合唱団紗羅(指揮・本多令子)が「命の讃歌〜ありがとう 夢よ 詩よ!」(長谷川幸夫詩、本多令子詩構成、和泉耕二作曲)と震災カンタータ「光 もどりて」(本多令子作詩、和泉耕二作曲)を演奏した。主催はリッツ・ミュージック(078.801.7880)
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    WAKKUN
    Slip out of a school
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WAKKUN

 現代美術家のWAKKUNが神戸・海岸通のGallery Vieで5月16日から28日まで個展「学校じゃない時間」を開いて、たくさんのファンを集めた。耐え難いほどの重圧を日々個人の上に課す現代社会の渦中にあって、永遠の少年を生き通そうとしているかのように見えるWAKKUNは、ごくまれに身辺を吹き渡っていく自由の風をまさしく少年の感性で嗅ぎ取って、それを作品にするのである。今回も小学時代の思い出をベースにそこで味わった一瞬の解放感を自在な絵と素朴な語り口の文章、そして童話的なインスタレーションで表現した。
 「忘れモンしてもてネ、家まで取りに帰らされたことがあるんです。ひとり校門出て、ふとあたりを見渡すと、空は、こんなん見るン初めてや思うくらいに真っ青やし、雲はもうまばゆいくらいに真っ白やし、チョウチョは夢のように鮮やかに飛んでるし。目に映る全部のもンが明るうて、穏やかで。…学校の時間やけど学校じゃない時間、あの時間の裂け目のような特別な一瞬を思い出して作品にしてみました」
 その遠い記憶を甦らせるきっかけになったのは、ロバート・キャパの遺作になった彼の最後の戦場写真(1954年)だったという。ベトナムの広大な原野をフランス軍の兵士が点々と散開行軍していくところの光景だが、そこは戦争のまっただなかにもかかわらず穏やかで澄明で静かな空気がどこまでも広がっているのである。もちろん数刻後にその草むらで地雷が爆発、刹那にしてこの稀代のカメラマンが40年の生涯を閉じようなどとは、夢にも思えない美しさで。







































KOBECAT 0013
05.5.14 ルナ・ホール
東仲一矩「Con toda el alma 精神のすべて」

   
――宇宙の中心で踊る――
■山本 忠勝


い風が吹きわたっていくのがほんとうにありありとこの目に見えた初夏の夕刻のことだった。午後6時。いましもあちらこちらの町々で人びとの心をかきたてるたくさんの舞台が開演を迎えているに違いない、とことさらにそんな想像をしてみたくなるすばらしい夕だった。だって、土曜日でもあることだし。むろんその中では舞踊の公演もかなりの数にのぼるだろう。あるいは百人の舞踊家たちの百の世界。絢爛たる百の世界…。だが、である。彼が黒のスーツをぴったりと体につけて細身のシルエットでステージの中央に現れるや、私たちは一瞬にしてこんな確信をするのであった。今夜の百の舞踊の真の震源地はほかのどの町でもない、この町のこのここだと。フラメンキストの東仲一矩が今まさに最初のステップに向かって身構えたこのここ、新緑の夕風が吹き抜ける芦屋川の、その河岸に独特の構造で面しているルナ・ホールの、まさしくこのステージにほかならない、と。不思議なダンサーなのである。彼が世界の中心を自分から捜してここへ踏み出したのでは決してない。彼がどこに立とうと中心の方が彼を追って急いでやって来るのである。

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 彼がいまだに維持している肉体の若々しさと強靭さはこうして目の前に見ながらもなお嘘ではないかと疑えてくるほどの驚異だが、しかし一片の疑いさえ差し挟ませない不変にみずみずしいものがその身体に一つある。それはほとんどまだ動いていないうちから彼の体にみなぎり始める或る微妙なスタイルだ。私たちのこの目に見えるようでもあり、見えないようでもある或る形。だが確かに心が鋭敏に嗅ぎ取っている或る形。ほかでもない、なにものかに敢然と挑みかかっていく、まさしく闘いの構えである。黒豹のようにしなやかで、獰猛で、無上の気品に満ちたこの身構え。私たちは20年前にもこれとまったく同じものをこのダンサーのなかに見た。そして今夜、あのときとまったく同じ鮮明さでまたそれに出会うのだ、幸福にも。
 では、彼が挑みかかるなにものかとは何なのか。そう、彼が挑みかかるのは間違いなく一つのパラドックスに向かってだ。大地から運命の神を呼び起こすような強靭な脚の律動。優美な空気の精を抱き取るようなエレガントな腕の旋律。そしてそこにもう一つ加えるなら、このダンサーのすべての動きにこのうえない気品を与える頚椎から脊椎にかけての背中の線のまぶしいばかりに鋭い輝き。踊るたびに新たな霊感で充溢する敏捷な肉体を駆使しながら、この黒豹はそのつど「そのもの」に向かって鋭い爪を立てるのだが(そら、たしかな手ごたえ)、しかし「そのもの」はとらえたと確信したその刹那、早くもさらに遠方へ逃れ去っているのである(くそ、またしてもあんなところに)。華麗にして執拗な逃走。すなわち、華麗にして執拗な追跡。かくしてこの卓抜なダンサーは今回もまた達成の歓喜と喪失の悲嘆を同時に味わうことになるのである。追い詰めれば追い詰めるほどいっそう遠方へ退くもの。「そのもの」はいまや地の果てで彼に対峙しているようでもあって、「そのもの」のすぐ後ろにはついに無限の宇宙が広がっているようにも見えるのだ。
 ソレア。悲しみと孤独の歌。それをいま彼はあんなに烈しく踊っている。それをいま彼はあんなに静謐に踊っている。彼の中では激動と静止が一つである。なんという矛盾。なんという統合。強い生命力で間断なく震えながら、しかし微動もしないで屹立している樹のようだ。
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 樹!
 ところで、樹とは? 樹とは宇宙への裂け目ではないのだろうか。都市の街路に忽然と立っているイチョウの木。あの一角は、宇宙の命がまさしくそこにイチョウの形で現れている、そういう場所ではないのだろうか。市の公園課がまるで自分の所有のように自由に枝を払うからといって、あれを私たちが支配しているわけでは決してない。確かに植えたのは私たちだ。だが成長とともに、大いなる闇が奥の方から育ってきた。闇はすでに数万の葉の数万の先端にまで達している。いまやどんなに見つめても、最も見いださねばならないものは見いだせない。いまやどんなにまさぐっても、最もつかみたいものはつかめない。依然これはこんなに近くに立っているにもかかわらず、いつしかこれは遠方の星と同じものに転身を遂げてしまっているのである。むしろこう言った方がいいのだろう。宇宙のかなたで星々の形をとっているそのものが、宇宙の手前で樹の形になったのだ、と。いかにも樹々と星々とは完璧に同じ成分でつくられているのである。…すなわち、宇宙の命の顕現。
 宇宙の手前で踊るフラメンキスト東仲一矩!
 そこはすでにこの地上の最後の場所だ。だが最後の場所で踊る舞踊家がこの国にいったい幾人いるだろう。そら、これが宇宙だ、とその危うい場所ですぐ後ろを指し示すダンサーが。そう、あそこから命がくる、と。
 幾歳月にもわたって恐れられてきたブロッケン山のゴーストは、空に映った自分の影が正体だったと明かされた。だが、依然として私たちの心を最も深いところでこじ開けるのは、その恐怖を明快に解き明かした光学の論理などではないのである。論理が確立された後にもなお私たちをその前でお構いなしに打ち据えるその暗いもの、巨大なもの、またしても未曾有のものなのだ。東仲があんなにも美しく挑むもの、それは恐らく宇宙に映る彼自身の影である。そして宇宙とは、そこにあらわれてくるすべての場所がどこも中心でありつづける、無限にみずみずしく、無限に濃厚で、無限に豊麗な空間にほかならない。
舞踊公演「Con toda el alma」は東仲一矩フラメンコ舞踊研究所の主催で05年5月14日に芦屋市のルナ・ホールで、6月5日に大分市のコンパルホールで開かれた。全10章からなるステージで、振り付け・構成は東仲一矩。出演は東仲と彼のフラメンコ舞踊団。演奏はカンテ=瀧本正信・高岸弘樹、ギター=國光秀郎・松井高嗣、カホン=中村岳。
STAFF 芦屋公演=舞台監督 佐名手実/照明 新田三郎/音響 ARK 坂本稔/大分公演=照明 新田三郎/舞台・照明・音響 TAKE5
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    音堂多恵子    Beauty is magic
  ガラス工芸作家・音堂多恵子さんの個展が4月15日から30日まで神戸市須磨区菅の台7の画廊Art Uniで開かれた。音堂さんは1980年からガラス作品の制作を始め、伊丹工芸館の「選ばれた作家招待展」ほか「国際ガラス展」、「現代ガラスの工芸展」、「朝日クラフト展」などにオリジナリティーに富んだ作品を発表。去年、三重から姫路に工房を移してさらにガラスの美の探究を進めている。 個展には各種のグラス、花瓶、時計など「用」を備えた作品のほか、純粋に抽象的なオブジェも出品。「バラ園」と題したカップと皿のシリーズがとりわけインパクトを放っていた。具象作家の目でリアルにバラの生態を見つめながら、そのバラの本質を今度は抽象作家の霊感で大胆に造形化したと、そう受け止めていいだろう。美の炸裂のような花弁の放射を鋭い幾何学的な線で出して、そこからカップの豊麗な形状へ連続的に移る魔法は、まさしく創造の神秘である。



KOBECAT 0014
神戸市中央区下山手通
再建された神戸栄光教会

――文化の時代をしるす建築――
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□□□寄稿□□武田 則明


2次世界大戦直前、ヨーロッパ諸国は古い建物の実測調査を行い、図面を作り、大戦に備えた。特にポーランドではナチスドイツに徹底的に都市の古い建築が破壊された。戦後、彼らは復興に先駆けて古い建築を元通りに復元、改修工事から始めた。私の手元に『グダニスクとウラスクロウ1945-1965』という本がある。それを見ると戦災で廃墟となった建物や街を同じアングルから撮った写真が収集されている。戦争で疲弊した経済や生活の中で、日本ではバラックを建て生活と経済の復興に備えた。全く同じ時期に彼らは必死になって古い町の姿の復活のために働いた。この違いはどうして起こってきたのだろうか。
 ヨーロッパでは国境は山や大きな森を隔てているだけなので、汽車で旅をすれば分かるが、大きな森を越えると違う国に入る。このような陸続きでは自分達の国を表現するために、建物や街が自分達の存在証明になったと考える。それに比べて日本は海に取り囲まれているために、無理をしないでも自分の国の証明が出来るためであろう。日本の都市は戦前の姿を探すことは不可能なほど変わってしまった。20世紀、特に日本ではスクラップアンドビルドで、新しく機能的ではあるが平均寿命26年しかない建物を作っては壊してきた。阪神大震災以後も全く同じで、特に震災の大きかった地域では全く過去の町並みが失われてしまった。
 神戸市長田区の御蔵地域では集会所として兵庫県北部の香住町にあった古い民家を解体移築して地域に建てた。かつて瓦葺の屋根が建っていた町並みの中で、瓦葺の民家がせめてもの古い町並みのイメージを湧かせてくれるのだろう。まちの個性とはまちの文化であり、文化は長い時間を経過して育まれるものであろう。

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 神戸栄光教会の外観は震災以前の姿に再建された。バリアフリーのために一部エレベーターシャフトおよび礼拝堂が2階にあったために正面アーチ部分に直接2階への階段が設けられていたが、その部分が変更されている。礼拝堂が1階に設けられ、天井高さが1階分だけ高くなり、本格的なパイプオルガンが据えつけられている。栄光教会は日本を代表する6社の指名コンペにより日建設計の外観を復元する案に決められた。山口半六設計の兵庫県公館と合わせて歴史を感じさせる町並み空間を形成している。
 現在では瞬時に情報が世界を駆け巡り、短時間で世界中に行ける時代になると、ますます日本とは何か、神戸という地域性とは何かが問われる時代となった。神戸旧居留地になぜ兵庫県以外の人々が大勢集まるのだろうか。居留地も100年以上の歴史に育まれた文化があるからであろう。まさに20世紀のスクラップアンドビルドの時代から、21世紀のもはや大きな経済成長が望めない時代に入って、まさに文化が求められているのだろう。21世紀のさきがけとして、文化の時代のこれからの建築と都市のあり方の見本を示したのが神戸栄光教会だと思う。(建築家)
神戸栄光教会は神戸におけるキリスト教信仰のシンボル的存在の一つとして1922年(大正11年)に誕生。とりわけ赤レンガの重厚な外壁と荘重な鐘楼が信仰の場の風格を趣豊かに醸していた。その立地も、北の方に“港が見える丘”の諏訪山公園そして街なかの“緑のオアシス”相楽園を望み、一方南の方には内海航路の“メッカ”ともいうべき中突堤を見下ろすという、いわばミナト神戸を南北に貫く都市軸の中点に位置していて、今日のような超高層のビル群が登場するまではこの街の際立ったランドマークの一つであった。しかし1995年1月の阪神大震災で倒壊。再建にあたっては教会関係者を中心にさまざまな議論が行われたが、基本的に赤レンガの元の姿で建設を進めることに決定。バリアフリーなど今日の知恵も生かして2004年10月に竣工した。
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   河本和子
     Life and death






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 ミステリアスな女の肖像を描くことから“魔女”と呼ばれたりもする河本和子さんが2年ぶりの個展を6月4日から14日まで神戸・ハンター坂のギャラリー島田で開いた。イベリア半島への旅に取材した古い都市の風景やバラをはじめ花瓶に咲く鮮やかな花々の絵が大半を占めたが、目を惹いたのはやはり女を中心に置いた大作「冥がりの花の中へ」。
 瓜二つのふたりの女が真っ赤な花が火のように咲くそのまっただなかにたたずんでいる。この烈しい花々はポルトガルで見たアロエの群生だそうである。ふたりの女はまるで合わせ鏡のビジョンのようだが、同じ対をなすシンボルでも、そのものズバリの双子宮よりおそらく二匹の魚が絡み合う双魚宮のイメージの方に近いだろう。ともに二重性の暗喩とはいえ、双子宮は調和を表し、双魚宮は不安定な流動を表すからだ。この女たちは一方が生の国に、もう一方が死の国にあって、たがいに相手を自分の国に引き寄せようと機会を狙っているようだ。






KOBECAT 0015
2005.6.7〜7.31 兵庫県立美術館
ギュスターヴ・モロー展

   
――都市の深層と共振する――
■山本 忠勝


陽が輝く日の神戸の街は日本の他の都市と比べておそらく格段に明るい反射のなかにある。街の土台そのものが地質の上からいって白っぽい花崗岩で出来ていること、街を構成する都市領域が太陽光をしっかりと受けとめる南向きの斜面にあること、そのうえ大阪湾の海面で跳ねる膨大な反射光が街全体に広がること、六甲の山に木々が豊かでその緑に街の主調音の白い建造物が際立つこと、気候の点でも瀬戸内特有の比較的乾燥した日が多いため街中がおおむね澄明な大気に包まれること、そういった数々の理由が重なった結果のようだが、その光の都市にあたかもそっと闇の一角が挿入されたかのように兵庫県立美術館で「ギュスターヴ・モロー展」が開幕した。
 19世紀の後半世紀にパリで独自の作風を展開したG・モロー(1826〜1898)は夜の画家といっていいだろう。漂泊の旅先で物思いに耽る詩人の頭上には、すでに宵の明星が煌々と光っている(油彩 旅する詩人)。オデュッセウスの一行を死へと誘う海の魔女セイレーンの美しい歌声が響くのは、落日が水平線に沈もうとするときだ(油彩 オデュッセウスとセイレーンたち)。サロメが妖艶なダンスを繰り広げる宮殿の大広間は、正確な時刻は定かでないがその微妙な光芒はまぎれもなく深い夜の諧調と等質のものである(油彩 ヘロデの前で踊るサロメ)。同じパリでモローの4年後に生まれたほぼ同世代のクロード・モネ(1830〜1926)が、ジヴェルニーに造った日本趣味の庭園で水面に浮かぶ睡蓮の花々のまるで陽光に溶けているような連作を描き続けたのとはいかにも対照的である。モネばかりではない。ピサロ(1830〜1903)シスレー(1839〜1899)ルノワール(1841〜1919)ら印象派の名で呼ばれるこの時代の多くの画家がこぞって光の中に対象を求めていたことを見渡せば、モローの特異性はさらに際立ってくるだろう。けだし人間の歴史というのは、時代の表面で炸裂する光線が明るければ明るいだけ、実はその裏側にそれだけいっそう深い闇を潜行させるようである。

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 さて闇は闇でも人間精神の闇の領域、あの暗い無意識の世界へ降りるにあたって、スフィンクスは一つの里程標である。ギリシャ神話によると、女の頭部と鷲の翼そしてライオンの体と蛇の尻尾からなるこのテーバイの怪物は、旅人たちに謎をかけては解答に詰まるのを見て無慈悲に食い殺していたという。その謎を瞬時に解いてテーバイの国を救うのが流浪の英雄オイディプス(エディプス)だが、ところがこの英雄は人知の及ぶそのぎりぎりの謎を解いて、それで却って人知を超えたさらに大きな運命の謎にかかってしまうことになる。スフィンクス退治の功でテーバイの王に迎えられたオイディプスは先王の妃と結婚を果たすのだが、その妃こそ実は彼の生みの母で、母子は知らず近親相姦という王道にもとる罪へと導かれ、破滅への道を転がり落ちていくのである。運命に課された謎は結局のところ完遂されずにはいないらしい。そしてこの古代の悲劇の物語にやがて人間の性的な宿命(エディプス・コンプレックス)を読むことになるジークムント・フロイト(1856〜1939)が「夢判断」を書いて精神分析学の重い扉を開くのが20世紀の前夜、ちょうど1900年のことだったが、ここで重要なのはG・モローもおそらくはこの心理学の大フロンティアと非常に近い精神を生きた芸術家だったろうということだ。「夢判断」のすでに40年前に画家は暗喩に満ちた「オイディプスとスフィンクス」(1861、水彩)をいわば幻視者のビジョンで緻密に描き出しているのである。モローが制作した独特の構図のスフィンクス。そこでの怪物はむしろオイディプスの最も親しい者のように彼の胸元から彼を見つめ、オイディプスはオイディプスでこちらもまるで鏡面の自分を見つめるようにこの美しい怪物を凝視している目なのである。まさしく無意識の謎を覗くとは、人間が人間自身に見入ることにほかならない。
 転倒した世界像! 謎とはしばしば最も遠くにあるように見えながらそれでいて最も近くにあるもののことである。スフィンクスが旅人たちにこれは何かと差し出した謎めいた生き物はまるで空想のかなたに棲むキマイラのような超自然の化け物と思われたが、その正体は実はここにいるこの人間自身のことだった。他方、性の謎めいた衝動もまた本来の人間からは最も遠いところにある動物的な卑しい欲望と考えられてきたのだが、それが実は人間自身の内奥、それどころか高貴な精神の基盤にさえあることをフロイトは敢然と解き明かす(その意味でこの精神医学者は近代のオイディプスにほかならない)。逆さまのなかから忽然と真実が現れてきたのである。モローがたぶん生涯最大のインスピレーションで描いた反現実的な「出現」(1876頃、油彩)がこんにち象徴派絵画のまさしくシンボルのように見られるようになったのも、してみるとごく自然ななりゆきだったわけである。サロメの理不尽な要求でなぶりもののように打ち首にされたバプテスマのヨハネのその頼りなげな悲劇の首が目を見開き、血をしたたらせて、広間の中空に浮いている。起こるはずのないことが起こったのだが、さらに驚くべきことは、モローがその幻想の首をこの豪奢な広間の最も現実的な存在として異様なほど精緻に描き出していることだ。サロメは豊麗な肉体をほとんど全裸のように薄い衣裳に透かせながら、この突然の異変(出現)に対して拒絶とも受容ともつかぬ、むしろ愛憎に引き裂かれたような微妙な表情を浮かべながら腕を上げているのだが、この艶麗な美女ですらこの血の首と比べればいくらか脇役的な存在となっている。なぜなら彼女の心はいまや自己の肉体を脱ぎ去って(忘却して)、ヨハネの信仰と照らし合うかのように精神と感情の激動のなかに凝固しているからである。いわんや玉座に座るヘロデ王や近侍する首切り人の立像は、むしろ彼らの方が死の国の隠者になったかのように曖昧な色彩の奥に埋もれている。ここでは見えないものの方がいっそう強力に存在する。じっさい、モローは「目に見えるものは信じられない」とまで言ったのだ。「すばらしい目だ。だが目だけの男だ」と評されたモネとのなんという落差。
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 神戸での今回のこの展覧会は、入念というよりはむしろ偏執的に隅々まで仕上げられたモロー流の本格的な完成作の出陳が限られていただけに全体として地味な色合いになったのだが、しかし豊富なデッサン、習作、構想画の紹介は、画家がどれほど丹念な作業を重ねて彼の闇を潜り抜け、そうしてあの絢爛たるビジョンに達したか、その軌跡をつぶさにひもとく企画になった。目だけになったモネが「印象、日の出」(1873)を発表してパリを騒然とさせていたそのさなか、モローはむしろ目を閉じて網膜の底でうごめく七つ首の不気味な水蛇ヒュドラの姿(油彩 ヘラクレスとレルネのヒュドラ 1869〜1876)を見据えていた。そしてこの闇のなかの探求が時としてルーアンの大聖堂に赤々と映える夕日よりもっと赤く燃え立つものに逢着するのを私たちは見るのである。「サロメ」のための構想画(1880〜1890頃)のなかに現れる赤の炸裂。ただただ地獄のような赤の炸裂。
 光の豊富な都市は美しい。だが光だけではまだ真に人間の街とはいえない。心の襞への感受性は陰翳のなかにこそ現れる。モロー展は都市神戸の深層とひそかに共振する奥深いプログラムになったはずだ。
「詩と幻想の画家 ギュスターヴ・モロー展」は2005年6月7日から7月31日まで神戸市中央区脇浜海岸通1の兵庫県立美術館で開催。フランス国立ギュスターヴ・モロー美術館のコレクションから油彩48点を中心に水彩、素描など280点を展観。主催は同美術館と産経新聞社。同美術館078.262.0901
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    2005県展    Powerless ?
 2005県展が神戸・王子公園の原田の森ギャラリーで開かれた(8月13日〜9月3日)。今年は43回目で、日本画、洋画、彫刻、工芸、書、写真、デザインの7部門へ1105点の応募。その中から入選作201点が展示された。
 応募点数の多さから美術兵庫の活況がうかがえるが、創造力はどうかというと、残念ながらひところに比べエネルギーの鈍化が目立つ。とりわけ日本画、洋画など平面の作品で、質感が稀薄である。色彩もモチーフもキャンバスにしっかりと根付けないまま浮遊しているということだ。形式を踏襲している作品も形式を破ろうとしている作品も、ともに小手先の水準でそれを行おうとしているようで、全人格的な闘いがそこにあったと読み取ることは難しい。時代全体が行方知れない漂流状態にある中で、美術がこのように漂泊するのもやむをえないかもしれないが、創造を志すものである以上、それでは心を打つ作品などいつまでたっても望むべくもないだろう。これは技術だけでは解決できない、深い精神の問題だ。
 ただ彫刻の部門だけは、好むと好まざるとにかかわらず素材との生身の格闘を強いられるという条件があってのことか、展示はわずか7点に過ぎなかったにもかかわらず、どれも作者の存在感を十分に実感できる作品で、全体として物足りない県展にさいわい重心をもたらした。高木賢一郎さん(京都府八幡市)の「初芽」(大賞・知事賞)はほぼ等身大の木彫で、大地から萌え出る命の形象化をボリューム豊かに成し遂げた。入り組んだ複雑な曲面を造形に編み込むことで、生命の活動を多元的な位相で表し、そこに制作者の鋭敏な感性と知性が読めた。吉良幸弘さん(丹波市)の「面影思案」(兵庫県立美術館賞)も、若い女性の頭部を直截に、そして端正に表現して、真摯な精神の明るさとすがすがしさを伝えてきた。青浪弘幸さん(川西市)の「躍る」は、太い木の幹をザクッと五つに断ち割ってそれを直感の命令で並べ替えたような大胆な作品だが、これも樹木の荘厳な自立の相をあともう少し深くとらえてさえいれば、大きな宇宙へ至っていたはずの秀品だ。
 美術は既成の形式への反抗によって、しばしば新しい展開を遂げてきた。だがかつてのアカデミズムのような強固な“敵”は今はない。現在の制作者には何をしても許される、却って重圧のようにのしかかってくる自由がある。だが未曾有のこの美の無政府状態こそ、今日の美術家に負荷された最も重要な宿命だ。それぞれがそれぞれの堅固な足場を築くことから始めなければならないということだ。
 


KOBECAT 0016
2005.2.7 神戸国際会館こくさいホール
ジョン・ノイマイヤー/ハンブルク・バレエ「ニジンスキー」

   
――天才ダンサーの“揺らぎ”に迫る――
■勝亦 真也


20世紀の伝説的バレリーノ(男性バレエダンサー)、ヴァスラフ・ニジンスキー の数奇な生涯を、これまた21世紀の伝説になるだろうコレオゴラファー、ジョン・ノイマイヤーが作・振付から舞台装置・衣装までも手 がけてダンスに表現した作品である。ノイマイヤーはここで彼がとらえるニジンスキーの世界を見事に象徴的に彫り上げた。初演は今回と 同じハンブルク・バレエ団(2000年7月2日・ハンブルク歌劇場)
 舞台構成はニジンスキーの人生最後の公演の場面から始まるプロローグ、そしてバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)での輝かしい経歴 が回想的に語られる第一幕、そこからやがて統合失調症(精神分裂病)に侵されたニジンスキーが彷徨うことになる心象風景の第二幕へと 続く。
 圧巻は第二幕。白く発光した大小二つの「輪」(直径約3m/5m)が舞台美術として現れる。この「輪」が様々な象徴的意味を繰り 広げていくのである。

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 なかでも印象的だったのは「輪」がその場面のニジンスキーの意識の『次元』を現すのに実に効果的に用いられたことである。その 『次元』とは、@ひとりだけで周囲からの影響に左右されない内向的な状態、A相手が存在して直接的にその相手と関わっている状態、 B目の前の現実の世界から離れて遠くの時間や空間に心が向いている状態、とだんだんと時空を拡げていくのだが、その段階的な変化が 小さな「輪」と大きな「輪」を象徴的に配することで巧みに表現されているのだ。
 例えば統合失調症(精神分裂病)になったニジンスキーを妻ロモラが介護する場面。二つの「輪」をバックに妻ロモラの引く「そり」 に乗ってニジンスキーが登場する。ここにはそりに引かれながらロモラの愛情溢れる献身的な語りかけを受けるニジンスキーがいる。 すなわちこれがAの二人が直接的に相対している『次元』である。すると二人の後ろから兵士の一団が現れ戦争を想起させる動きをする。 ここでの戦争はまさにニジンスキー自身が実際に軟禁状態を強いられた第一次世界大戦ととらえるのが自然だが、歴史的背景を考えれば 1917年のロシア革命もそこに含まれているかも知れない。あるいはこの場面で使われている音楽がショスタコーヴィチの交響曲 第11番〈1905年〉であることに比重を置けばバレエ・リュス入団前の青年期にあった民衆蜂起(エイゼンシュタイン監督『戦艦ポチョム キン』で有名)も重なっているかも知れない。しかしそれらのどれだとしてもそれはもはやニジンスキーにとって「いま、ここで」起こ っている出来事ではない。つまりこれがBの『次元』の場面である。ニジンスキーの意識は今や現実の世界から遠く離れたところへと移 っている。
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 上記の場面からまずノイマイヤー独自の視点が表れているのは、妻ロモラが夫ニジンスキーを献身的に愛しているという解釈である。 ロモラとの結婚によってバレリーノとしてのニジンスキーが衰退していった「ロモラ悪妻説」というバレエ界での一般的解釈を覆し、む しろロモラがニジンスキーを陰となり日向となり支えていたという解釈を提示したことである。
 もう一つの独自の視点としてニジンスキーの輝かしい部分と病に冒されからの陰鬱な部分という単純に二分的なキャラクターではなく、 病の中でもより綿密にニジンスキーの心象世界を「輪」=『次元』という象徴性のある舞台装置を使うことで描いていることである。 ここにノイマイヤーの人間の見方が表れているように思われる。キャラクターを固定化するのでなく、同じキャラクターの中にも気分の 変化があり、また統合失調症だからといって常に幻覚の世界にいる訳でなくバレリーノとしての現実と統合失調症患者の幻覚の『次元』 を常に行き来しているのだとより細やかにとらえている視点である。
 このように歴史的な常識を覆してる点、またニジンスキーのキャラクターを「伝説的」の名の元に記号化せず、より「揺らぎ」のある 人間であると表現している点から、ノイマイヤーの人間のとらえ方が『ニジンスキー』を通して垣間見えると思われた。 (写真提供:財団法人民主音楽協会)
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Cahier

    草別ひろみ    Soul of a chanson
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 初秋の気配が忍び寄る石屋川近くの神戸酒心館ホールでシャンソン歌手・草別ひろみさんの「秋のコンサート」が開かれた(9月10日)。愛をテーマにした第1部で「詩人の魂」など9曲を、そして生きるをテーマにした第2部で「時は過ぎてゆく」など7曲を歌ったが、女性的なリリシズムへ流れることをあえて抑えて、まっすぐに歌の骨格へ迫っていく迫力に満ちたその歌唱には、シャンソンの中に本来流れている強靭な創造精神と人生への洞察が強い説得力とともに浮き出ていた。
 プログラムの略歴紹介によると草別さんは1988年からシャンソンの道に入ったということだが、深く底へ響くその声には歌の魂をつかみたいと一途に願ってきた人の、その願いの積み重ねのようなものが聴き取れる。シャンソンの魂は、しばしば誤解されているような、甘美さと感傷に尽きるものではないのである。それはむしろ人びとの心の底で沸騰する苛烈な生命の炎であり、ときには冷徹なばかりの理性の眼だ。草別さんはその苛烈さと冷徹さに真正面から向かっている。
 だから彼女が「詩人の魂」を歌うと、それはパリで歌い継がれる今は亡きひとりの詩人の物語だけにとどまらず、あの大震災を超えてわたしたちの心のなかに響いている無数の記憶、無数の情感、無数の失われたものたちの魂の声と結びつく。歌に血が通い、その血の温度がわたしたちの体の奥へありありと染み渡ってくるのである。







KOBECAT 0017
2005.5.27〜29 神戸・篠崎倉庫2階
鶴岡大歩構成・演出「ナム」

     
――演劇の世紀の反演劇――
■山本 忠勝


21世紀は歴史上かつてないほど大仕掛けな演劇の世紀になりそうだ。なにせ中東のどこか荒地の一角に核兵器(大量破壊兵器)が隠されているという白昼夢のような物語が、台本もこれまたどう見ても急ごしらえの粗雑な出来ばえだったにもかかわらず強引に上演へと漕ぎつけられ、それでなんと本当に大規模な殺し合いが始まっているのである。間に合わせの虚構の上で、しかし日々まぎれもなく本当の死者を出す戦いが進行している。しかもこの演劇はたちまちおびただしい民族そして市民を巻き込んで、いまや地球上の多くの場所が劇場に、それも命をかけた劇場に化してしまいそうな気配である。超大国の大統領と彼に追随する各国の首相たちが確かな筋書きもないままににわか演出を買って出た暗黒劇場! だとすれば彼らに先を越された本職の演劇人はいったい何をすればいいのだろう。虚構といえばまだ聞こえがいいが、ありていにいえばウソで始まった無差別なまさしくゲームのような大量の殺戮に、ハムレットの悠長な煩悶などもはや挿入の余地もない。真正の演劇人はおそらく絶句するほかないのである。だが語ることが本業の人間がいつまでも絶句に甘んじていてはもはや存在しないも同然だ。そこで一つの転換点がやってきた。みずからの深い絶句をほかならぬ絶句のまま人びとに差し出すものが現れた。

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写真撮影 大西晋
 鶴岡大歩はこのたびの舞台「ナム」で、間違いなく、彼の絶句を皆の前にさらすことを決意した。あえて沈黙を語ることを決意した。つまり不動を演じることを決意した。これをもうすこし表現論的に言い換えれば、演劇を逆立ちさせようとしたのである。裏返しにしたといってもいい。
 なによりもまず、「ナム」が演じられたその会場が象徴的だ。会場は神戸港の古くからの波止場に面したこれも古い倉庫の二階である。マドロス相手の暗く怪しげな酒場はとうの昔にあたりから消え去って、それどころか波止場じたいが観光客向けの明るい臨海公園に変わってしまった今、コンクリートをむきだしにした古倉庫の灰色の空間は昔の港がもっていたあの荒々しい風景の面影を、時代の流れに見事なほど後れをとって、しかも無比の正確さでとどめている。この「後れ」は無論、ただ単に時系列的な前後関係にはおさまらない。それら新旧の風景は、いまやO点を間に挟んで正と負の対称的な座標の上で対峙し合っている二点である。遊覧船が出入りする晴れやかで健康的でいわば女性的な現在の波止場に対して、荒くれものたちが或る者は陸を追われ或る者は夢を追って船板一枚下は地獄の危うい船で次々と出ていったあの男性的な昔の波止場が向き合うのだ。過去は現在に連続するすでに衰退したかつての現在などではないのである。過去はむしろ反−現在、すなわち逆立ちした現在、裏返しの現在となってここに厳然と現前する。鋭い棘となって今を刺す。鶴岡大歩はその裏返しの場所を発見して、まさしく世界の裂け目のようなその裏部屋へ観客たちを導いた。
 では、装置は? 装置は砂だ。倉庫の床の中央部がいわば聖域を囲い込む結界みたいに枠で四角く仕切られて、そこに砂がびっしりと仕込まれた(倉庫の床面に方形の低い土俵が築かれたと想像されれば、当たらずとも遠からずといえるだろう)。この砂の基壇が、その上を俳優が行き来するステージの役割をも担っているというわけだ。ただもう砂! ただもう砂であるがゆえに、反逆的な砂! 劇場というのは、もともと混沌とした自然のまっただなかに秩序という虚構を持ち込もうとした、最高に精神的な、ということは大なり小なり神学的な、すなわち人為的な装置である。想像を絶する出来事が無際限にそして冗長に継起する大地(自然)からその一角を切り取って、その場所を運命的な出来事が、予定調和的な出来事が、つまり想像力の範囲におさまる制限された出来事のみが継起する虚構の大地(自然)に変えたのだ。善悪を超越した自由で危険な万能神の親政に取って代わって、いささか狭量ながら善悪に基づいた穏健な立憲神政が公布への運びとなったのだ。そして果ては大地そのものが、土そのものが、砂そのものがそこから残らず排除され、代わりにピカピカに加工された檜の床板を敷き詰めて、安全このうえない人工自然がそこに置かれるまでに進展した。かくして想像を凌駕する悪魔的な悲劇が見通しの利くほどほどの悲劇へと縮小され、哄笑的で野放図で残酷でさえある笑劇が行儀をわきまえたそこそこ端正な喜劇へと管理された。だがそこに実は厳格な倫理があったということも忘れてはならないことである。舞台は完璧な美の空間すなわち密度の高い聖域にまで高められなければならないという倫理(芸術的倫理! 神学的倫理!)である。縮小と管理によって手荒く排除したものを、美と聖性で丁寧にあがなった。ところが今日の暗黒劇は全編ただただ手当たりしだいの殺戮であり破壊であり出たとこ勝負のおぞましいドタバタの連続だ。美はあざけられ、聖性は辱めを受けている。現代の“地球座”は文字通り世界全体を舞台に変えたが、もはや妥協的な立憲神政さえ追放され、人間の、人間による、人間のためのこの傲慢このうえないステージは、無節操に世俗へ、世俗へ、世俗へと傾斜を強め、堕落を深めていくばかりである。ここにも人間、そこにも人間、あそこにも人間…。あらゆる場所に人間が満ち満ちて、人間が人間で窒息する。空気を通さねばならない。つまり美と聖性を呼び戻すため、あらためて大地(自然)が必要になったのだ。人間の中心部で土砂を破裂させる必要に迫られた。そして鶴岡大歩はそれをした。
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 すると、俳優は? その砂の結界に登場するのは女性の演じ手一人だが、だからしてむろん俳優は存在する。しかしこの“砂の女”をふつうに俳優と呼べるだろうか。彼女は台詞を一言も喋らない。完璧に無言を押し通す。何かを訴えるような感傷的な仕草など決してしないし、何かを聞き取ろうとするような博愛的なそぶりもない。怒りもしない。笑いもしない。無言で、無表情である。ただそこに現れ、そこを歩き、そこに座り、再び立って歩き始め、そうして初めからまたやりなおす、それだけだ。ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと、終始完璧に同じ速度でゆっくりと…。まわりくどい言い方だが、この俳優はみずからが俳優であるそのことを否定しながら、なにごとか形の定まらない或るものを気の遠くなるような忍耐で演じ続けていくのである。そしておそらく鶴岡大歩が今回のこの「ナム」で最も苦心を極めたのが、この前例のないキャスティングだったに違いない。実をいうとここに登場する菊本千永というこの演じ手は、俳優が本業ではないのである。鶴岡が注意深く選んだ彼女は、神戸を拠点に活動を続けている中堅の、なかんずく形而上的な課題と取り組むことで独自の世界を築いているモダンダンサーなのである。この選択は完全だった。なぜなら、彼は彼女にその表現力に充溢した身体を使いながら表向きなにも表現しないという逆説的表現を十全に表現するように求めることになったからだ。そのような両義的表現に到れる身体を保持するものは、菊本のように思索的なテーマを追究しながら同時に肉体のトレーニングを重ねてきた特異な舞踊家をおいてほかにはない。彼女は砂の結界で自己と自己を取り巻く状況を否定する。徹頭徹尾、否定する。すると徐々に奇跡が起こってくるのである。否定の奥からその否定の圧力にさいなまれながら、しかしぐいと脱け出てくるものがそこに出現するのである。名づけようのない、芯のような或るものが彼女の切り詰められた動きから脱け出してくるのである。やがてそいつがありありとわたしたちの前に立つ。ここに現れたこの新たなものは誰なのか? …そのものは、たぶん、この世紀に至ってわたしたちがもうすっかり忘れたままでいた、もとは既知のものである。おそらく、これは忘却の淵に沈んできたわたしたち自身の暗い鏡像(自画像)なのである。つまり、知らず知らずのうちに深く傷ついてきた体であり、深く傷ついてきた心である。それどころかすでに死んでいる体であり、すでに死んでいる心である。そしてそれでも懸命に生き延びようと力を振り絞っている体であり、生き延びようと力を振り絞っている心である。わたしたちは、見つめることによって苦しくなるものをここで見る。見つめることによって希望を失うものを見るのである。最後の力を頼みにして今はまだ辛うじて生き続けようとはしているが、その一途さにもかかわらず、この上に訪れるものはもはや滅びしかないと、そのように予感させる肉体を見るのである。どのような甘美な脚色も排除して、絶望に照らし出される体。裏返しに返った肉体。反演劇の時空。
 ところで、この時空にほんとうに台詞はないのか? 厳密にいえばないとはいえない。たしかに音声で発話される台詞はないが、言葉はある。その言葉は硬く氷結した記号のように、いちいち映像の白い文字に置き換えられて背後のスクリーンに映される。そしてそれらはむしろ大きな沈黙、おそらく無限大の沈黙をはらんでいる言葉である。中核に沈黙の結晶を抱いた言葉、そう言い換えてもいいだろう。なぜといって、聖典(バイブル、コーラン、仏典)に書かれた言葉は、地上のあらゆる言葉をぬきんでて巨大な沈黙、底知れない沈黙が奥で鳴り響いているからだ。全宇宙の重量と深度に等しい、完璧で高貴な沈黙。まことに超越者へのあらゆる真摯な問いかけは、まさしくその重く深い沈黙によって癒されてきたのではなかったか。希望へ向けてであれ絶望へ向けてであれ、真正の沈黙こそ豊饒な預言を胚胎する泉である。つまり、そういうわけなのだ。スクリーンに刻印される白い文字は、聖書とコーランからの引用というわけだ。だが、こんな不気味な引用のしかたがあろうとは。ここに厳粛に選び出された言葉たちは癒しからは遥かに遠く、まるでたたみかけるようにわたしたちを一つのゴールへ、すなわち死の場所へと慫慂する。いわく、「いのちを救おうとする者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」(新約聖書)。いわく、「あなた方が不信心な者と戦場で見える時は、かれらの首を打ち切れ」(コーラン)…。世界に輝かしくも愛と寛容を押し広げてきたものが、その裏に憎悪と執着をかきたてるベクトルを潜めている? 鶴岡大歩はわたしたちに見ることによって辛くなる肉体を凝視させるばかりでなく、読み取ることによっていっそう絶望へ追い詰められる言葉をも熟読させようと計るのだ。救済へ進んでいるはずの歴史が、思いのほか逆さまにも読めることをここでわたしたちは発見する。救済へ、しかしそれと同じ程度に破滅へ。繰り返し繰り返し第一主題のようにスクリーンに映し出されるフレーズがある。「主よ、私はどれだけ死に近付いたのですか」。わたしたちの終末を聖典のなかで執拗に問いかける言葉である。疑いもなくこれは、問うことによってその都度そこへの距離が着実に縮まっていく運命的な、永劫回帰の問いかけだ。
 さて、題名に掲げられた「ナム」(numb)とは、辞書によれば「感覚を失った」とか「麻痺した」という意味にあたる形容詞だ。いかにも目前の絶望から逃れる最後の手段はあらゆるものに無感覚になってしまうことである。理想的な奴隷というのは、今日を感じることがなく、明日を考えることもない人間のことなのだ。ということはつまり人間を最も効果的に飼いならす政治的戦略は、人間を無感覚にしてしまうことである。世界を荒涼たる砂漠に変え、人間をその風景に慣らすこと。まさしく全地球を砂漠にまで推し進めることで幸福になるものたちが現にいる。地球の滅びによって結局は彼らも滅びるほかはないのだが、それでも生きている間はほかのものに抜きん出て幸福でいられるのだ。(この文脈であらためてこの舞台の異様な装置を読み進めば、砂という表象は地球の砂漠化=全体的不毛化のシンボルを併せ持つことにもなるだろう)。だがこの「ナム」という表題が特段の重みをもつのは、そこへさらにサンスクリット語の仏典からの音写「南無」の響きが折り重なっているように受け取れるからである。「南無」は仏教者にとってとりわけ重要な言葉である。第一義的には「帰依」を意味する。南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏にわたくしのすべてを任せますという極限の態度表明なのである。南無妙法蓮華経とは、法華経に全身全霊を託しますという厳しい決意の宣明にほかならない。仏と仏の教えに正対して心の底からそう呼びかけ、仏の慈悲と不退転の心とを得るのである。だが鶴岡大歩の奇妙な舞台に冠せられたこの「ナム」は、南無と呼びかけはしたものの、呼びかける相手(仏というべきか、神というべきか)を見いだせないまま、発話半ばで行き暮れてしまった未完の言葉のようである。行き場を失って、宙に不安定に浮いたままの甲斐のない稀薄な独白のようである。人間がいまほど真剣に救いを求めている時代はかつてなかったのではなかろうか。だが救いを求めるその自分の言葉をいまほど信じきれない時代もまたかつてなかったことだろう。砂と化していく言葉。
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 見たとおり、反演劇「ナム」は袋小路なのである。わたしたちはそこに至り、そこで立ち尽くすほかはない。立ち尽くしたままただ滅びを待つことになるかもしれないという不安が広がる。だが袋小路というこの現在の最後の場所は、そこを生き延びるものにとって、未来への最初の場所になることも確かである。城砦はそこから切り崩されて崩落する。
 わたしたちが波止場の倉庫で見たものは白昼夢では決してない。実は劇場が壊され、脚本が壊され、俳優が壊された後の、その絶句の静寂のただなかから最後のものとして甦ってきた或る確かなものを見たのである。肉体! 大国の首脳たちが策謀する虚構にもテロリズムの無差別な攻撃にも哀れなほど無防備だし、それでなくてもすでにさんざん痛めつくされてきたのだが、にもかかわらず新しい時代に踏み出すために最も現実的な存在となる肉体。そしてその発見と並行してきわめて簡明な、それどころかこのうえなく平凡な、しかし不気味な観察へと誘われていったのだ。世界のあらゆる出来事はすべてこの肉体の、この皮膚の上で出来して、神経系、循環系、消化系の内部組織へ一気に浸透するという単純な事実へ、だ。すでに広島と長崎では核爆弾がこの皮膚の上で炸裂した。ひとりひとりの上でおそろしく丁寧に炸裂した。肉体の組織が壊れていく激痛を、いったいどんな言葉がカバーしえたか。戦争を早く終わらせるために、というアメリカ政府の大義名分が届いたとして、それでその痛みがやわらいだか。本土決戦を喧伝する日本政府のプロパガンダが痛みの場所をやわらげたか。そして今、爆発の破片で壊疽にかかったイラクの少年の体を前に、わたしたちにどんな言葉があるだろう。
 演出家がこういう舞台をつくらねばならない時代は不幸である。観客がこういう舞台を見なければならない時代は不幸である。だが不幸な時間を共有しながら、わたしたち人間とは、なんと深く希望のためにつくられていることか、と驚きを感じたことも確かである。わたしたちはその夜、ひとりの演劇者の誠実な思索と懸命な表現を暗澹たる気持ちとともに眺めながら、それでも時間が着実に希望へ歩んでいることをそっと確信したのである。
 わたしたちはその夜、新しい精神へ進んでいく小さな洗礼に立ち会った。
 まるで葬送の儀礼のような、しかし心のこもった生誕の予祝に立ち会った。
鶴岡大歩の構成・演出による「ナム」の初演は2005年5月27日から29日まで神戸市中央区波止場町無番地の篠崎倉庫2階で行われた。開演はいずれも午後8時。出演は藤田佳代舞踊研究所所属のモダンダンサー菊本千永。STAFF 映像 手ア信吾/美術 柏木孝成/照明 MAKI(片岡組)/音響 松尾重典/衣装 岡田文絵/大道具 一本どっこ。主催は「ナム」製作委員会。
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Cahier

    菅原洸人    Sacred Light
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 パリの街をむしろ精神的な光で描いてきた菅原洸人氏。その長大なパリ・シリーズの第一歩となった35年前の大作を中心に個展「初心の頃」が神戸・ハンター坂のギャラリー島田で開かれた(05年10月26日〜11月1日)。1970年代に描かれたこれらの作品でとても印象的なのは、背景の空と前景の建物との際立ったコントラスト。長い石段がそそり立つモンマルトル界隈や廃屋の建つ街角などががっしりとした構成で描かれているが、これら構造物がいずれも深い影の中に沈んでいるのとは対照的に、向こうに見える空のなんと明るいこと。その空にはやがて後年の作品で顕著になってくる神聖な輝きがすでにはっきりと現れている。菅原氏のパリ風景の変遷は、かなたから空に満ちてきた聖なる光が少しずつ街に下ってやがて街をすっぽりと覆いつくす、そのような荘厳なプロセスだったようである。





































KOBECAT 0018
2005.8.13〜10.10 兵庫県立美術館
新シルクロード展

 
――愛くるしい2500歳の眠り姫――
■山本 忠勝


代神戸の起源を江戸幕末の開港(1868年)の時期にとれば、この都市の歴史はいまだ140年にも満たないことになる。慣例に倣って一世代をおよそ30年と考えると、今はようやく4代目から5代目の市民たちが街の中核を担っているというわけだ。まだまだ新しい歴史に属する街なのだが、その浅い現代都市の真ん中でなんと紀元前からの深い眠りを眠っている不思議な少女と遭遇した。この世界に生まれ出ておそらく1年とたたないうちに早くも永遠の眠りへと赴いたこのあどけない少女は、むしろまだ母親の胸に乳房を求める嬰児と呼ぶのが正しいのだが、あたかも美しい金魚のように赤い毛布でふかふかに包まれて、目にしみるような青い小さな帽子で飾られ、まさしく母の胸に抱かれているのと変わりのない幸福そうな面立ちで今なお夢路をたどっている。すでに2500年にもなろうかという永い永い至福の夢路! タクラマカンで繁栄したかつての都市国家の砂中の遺跡から掘り出された埋葬ミイラの、その発掘されたときのままの姿だが、ミイラという言葉に宿る不気味な響きはまったくといっていいほどここにはない。あるのは、人魚のように愛らしいその小さな体と、薄命の赤ちゃんに思い切りの愛情を注ぎながらこんなにも綺麗な屍衣で大地の奥へ葬った母と父と、そしておそらくはお祖母ちゃんやお祖父ちゃんの痛切な悲しみだ。わたしたちはちょうど仮死の白雪姫を覗く七人のこびとのようにガラスのケース越しにこの奇跡の少女に見入りながら、少女の母親がこの小さな人魚の上にどれほどの涙を落としたか、それを昨日のことのように知るのである。あまりの愛くるしさにこの目にも涙がにじんでくる。この子はわたしたちのなんと近くにいることか。兵庫県立美術館で開かれている「新シルクロード展」でのことである。
 

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 美術館(あるいは博物館)が都市にとってとりわけかけがえのない存在なのは、それが街のなかに差し入れられた鋭い裂け目だからである。その裂け目に身をすりいれてわたしたちはそこから一気に無限の時間と無限の空間へ出るのである。少女が至福の眠りを眠ってきたその砂漠の遺跡チェルチェンへは神戸から直線距離にしておよそ5000キロメートル、そして彼女が永遠の眠りに入ったその始めへとさかのぼるには時間にして2300年ないしは2500年。わたしたちは自己の限られた生を超えて、悠久の時空のなかで少女と対面するのである。しかもそれでもまだむろん、この裂け目から眺望できる全時間と全空間に比べると、そのごく一部にしか過ぎないのだ。
 眠れる少女の死都チェルチェンからシルクロードを東へ進んで有名な仏教都市・敦煌へ向かう途中に楼蘭がある。華やかな文明の頂に到達した豊饒の王国も忽然として砂漠の砂に掻き消えてしまうことがあるということ、その歴史の非情と衝撃をわたしたちはこの都市・楼蘭の数奇な運命から知ったのだが、その伝説の土地にまつわる神秘と謎が今回の展覧会でまたいちだんと深まった。その楼蘭王国からさかのぼることさらに2000年の古層から最近になって異形の相をした木造りの精霊たちが次つぎと発掘され、これが会場に圧倒的な迫力で並べられたからである。
 まさしく蜃気楼のように砂漠のなかから浮かび出た、これは“精霊の森”である。これは歴史への旅というより、むしろ人間の心の深層への幻想に満ちた彷徨のようなのだ。あたかも巨人族の伝説へといざなうように、背丈が3メートルもある木の大きな人物像が悠然とそこに寝そべっているのである。空がすぐ頭上に広がる砂漠にあっては、まさに天を衝く超人の像である。そうかと思うと地を這い回る小人族の仮面のような、わずか9センチしかない怪異な人面が置かれている。嘘つきピノキオの受難のように異様に伸びた大鼻のすぐ下で、これなら人肉も人骨もたちまち粉々に噛み砕くことができただろう、全部が臼歯のような巨大な歯がむきだしに並んでいる。砂に埋もれていた木棺から発見されたという別のほぼ等身大の木像は、こちらはぎょっとするほどにリアルなミイラの形である。木像の表面に獣の皮を“移植”して皮膚に見せ、髪の毛まで植えているその丹念な“工程”は、人びとがこの木の遺体に並々ならぬ思いを託したことを明かしている。むしろ偏執的とも見える熱のこもった死体作りと死化粧の相である。
 最初の雲を衝く超人像は、霊魂のヨリシロか、あるいは墓の守護神ではなかったかと推理が進められているそうだ。二番目の奇怪な仮面は、葬送儀礼に用いられた道具ではなかったかと考えられているらしい。そして最後のおどろおどろしい木のミイラは、遠方で落命した死者をこのふるさとで葬るために、これを遺体に見立てて埋めたのではないかとみられている。もちろんどの遺物もまだはっきりとした正体はわからない。しかし不思議なのは、その用途は不明のまま4000年前の人びとの暗い魂の奥だけはわたしたちの同時代人のことのように切実に伝わってくることだ。心の深淵に横たわる複雑で不安な世界は、その奥をとことん掘り下げていけば、彼らもわたしたちもどうもよく似た風景に行き当たるようである。
 赤い横糸で素朴に織り出された装飾模様が数千年の年月を超えていまだ鮮明に映えている女性の腰帯。だれの腰を締めたのかそれはおおらかなエロティシズムを湛えている。丁寧に梳かれた髪は今も昔もお洒落の要諦というわけだろう、木片を五本ばかり細く削ってそれを獣皮の紐でつないだ櫛はこれで身づくろいをした人の恋心さえ偲ばせる。そして時代が楼蘭王国にまで下ってくると、薄いブルーと緋色とを大胆に組み合わせた超ファッショナブルな少女のドレスも登場する。素材と技術とデザインはむろん時の流れで変遷する。だがその底を流れている人の心は、これはもうまるで昨日の近さである。いやむしろ今日の出来事なのである。
 ときならず砂漠に現れた“精霊の森”が人間の暗がりから溢れ出る生命力と情念の渦だとすれば、砂漠のなかの仏教都市ダンダンウイリクから出土した生気みなぎる如来の壁画は、人間の明るい知性と感受性とが到達した晴れやかな頂だといえるだろう。砂に消えてしまった大寺院の絢爛たる彩色壁画のその一部が1300年もの時を経て再び地上へ出たのだが、ここにあるこの仏の目鼻立ちはほんとうに奇跡のように美しい。おだやかな顔の輪郭。聡明な明るいまなざし。気高い鼻梁。そして生気に満ちたチャーミングな口。まぎれもなくシルクロードで活躍した天才仏師の仕事である。そして天才の仕事には例外なく時代にあふれる意志と情熱が濃厚に凝縮されて噴出する。
 いかにもこの如来像が描かれた7世紀ないし8世紀は、仏への意志と情熱と霊感が中央アジアから東アジアへかけての一帯に躍動した欣求深甚の世紀であった。日本でも高い精神性を象徴するあの法隆寺金堂の釈迦三尊像がこのころにはもう出来あがっていたのである(623年)。人類史的な遺産とも評される同じ法隆寺の金堂壁画(1949年焼失)が完成したのも7世紀の後半か8世紀初頭のことである。ちなみに地元の神戸に目を移せば、インドの高僧・法道仙人によって摩耶山に天上寺が開かれたのもこのころで(646年)、天上寺はその後わたしたちがいま普通にイメージする六甲山のほぼ全山に塔堂を繰り広げるほどの隆盛期を迎えることになるのである。
 地理的に見れば仏教都市ダンダンウイリクは敦煌よりも楼蘭よりもチェルチェンよりもまだ遠い。だが人類が築いてきた普遍的精神の広々とした風光のもとで展望すれば、ほとんど隣人の近さである。偉大な精神へのこの民族を超えた超地理的な感受性。滔々と流れる精神の大河としてのシルクロード。
 小さなかわいい眠りの姫を砂の奥にそっと残して砂漠の古代都市チェルチェンは歴史から掻き消えた。幼女を飾り立てながらとめどない涙を流した両親も一点の記録をとどめることもなく消え去った。だがこの21世紀の始めになって砂のなかから半ば目覚めることになったこの少女は、少女の再生を願った母と父の熱い思いを少なくとも半ばまではかなえたことになるだろう。母親と父親の時空を超越した熱い思いをわたしたちはこんなに確かに受け止めることになったのだから。
 そう、この会場でことのほかわたしたちを深く打つのはまさに、思い、なのである。
 背丈3メートルの超人に超常的な何かを祈念したそのひたすらな思いがある。木のミイラを身代わりに立て客死したものの魂を思いやったそのはるかな思いがある。ファッショナブルなドレスを着せて娘を喜ばせようとたくらんだその浮き立つような思いがある。人びとの大いなる救済を祈願して寺院の壁に如来や神々の像をぎっしりと描きこんだその荘厳な思いがある。そして救済への心得を伝えようと懸命に歩み続けた僧たちの一途な思い。
 さまざまな思いの形。さまざまな思いの流れ。
 砂の下から現れたものは滅び去った文明の残骸などではないのである。残骸のように見えることで却ってその強さとその不死が際立ってくる人間の思いである。
 すなわち、不死の心。
 2500年前に眠りの少女にそそがれたチェルチェンの涙。それとまったく同じ涙をわたしたちは現代都市のこの神戸で瞼ににじませているのである。
「新シルクロード展〜幻の都 楼蘭から 永遠の都 西安へ」は2005年8月13日から10月10日まで神戸市中央区脇浜海岸通1の兵庫県立美術館で開催。「楼蘭」「タクラマカン」「天山南路」「天山北路とトルファン」「西安・永遠の都」の5部構成で、近年の出土品など130点を展観。主催は兵庫県立美術館、NHK神戸放送局、産経新聞社、NHKきんきメディアプラン、中華人民共和国ウイグル自治区文物局、中華人民共和国陝西省文物局。
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